手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「これからのエリック・ホッファーのために」荒木優太

これからのエリック・ホッファーのために」荒木優太 東京書籍 2016

通読はしんどそうだったので、食指が動いた人物の頁だけ拾い読みした。そういう読書があってもいい。

仕事をしながら舞踊探求を続けてゐるぼくにとってたいへん勇気づけられる内容だった。取り上げられるのがみな人文系の学者の話で直接には参考にならないのだけど、本質は同じ。

在野研究の心得その四〇、この世界には、いくつもの〈あがき〉方があるじゃないか。約めていえば、本書のメッセージはこれに尽きる。 253-254頁

荒木優太さんのメッセージは十分に伝わった。

エリック・ホッファーの言葉がいい。

本を書く人間が清掃人や本を印刷し製本する人よりもはるかに優れていると感じる必要がなくなる時、アメリカは知的かつ創造的で、余暇に重点をおいた社会に変容しうるでしょう。 2頁(作品社『エリック・ホッファーブック』59頁からの引用)

これ大事。インテリが偉そうにしてはいけないし、非インテリがコンプレックスを感じる必要もない。みな平等。

われわれは、仕事が意義のあるものであるという考えを捨てなければなりません。この世の中に万人に対して、充実感を与えられるような意義ある職業は存在していないのです。〔中略〕そういうわけで、私は、一日六時間、週五日以上働くべきではないと考えています。本当の生活が始めるのは、その後なのです。 19頁(作品社『エリック・ホッファー自伝』166-168頁からの引用)

そうだよね。そういう生活を実現したいものだ。

あと小室直樹のエピソードも傑作だった。魅力的な人だなあ。

 また、小室は学問有用論にも反対している。植木屋は仕事に役立たないから大学になど行くべきではないのか? 小室は否という。

「大学は、まったく役に立たないところに値打ちがあると思う。昔の番頭さん、小僧さん、このたたきあげの苦労人は、これが社会の慣習だとかなんとか、あたかも自明のごとくいうでしょう。だから苦労人のお説教は決まっていて、世の中はそういうもんじゃねえよとくるわけ。そこには規範と存在が無媒介的に混入しているわけ。そうじゃなしに、社会に対して距離をおいて見るとか考えるとかいうことはグータグータラむだな時間を持たなかったら絶対できない」

 ルンペン哲学ここに極まる。大学は物事に対して「距離」を提供するものだ。そうでなければ、人々は有用性や喫緊の課題に追われ、規範(であるべし)と存在(である)を混同してしまう。それを回避するためには、ルンペン的「グータラ」、野村隅畔流にいえば「ゴロゴロ」が必須である。 215-216頁(小室の発言は『エコノミスト、東大は解体すべきか下、1975』からの引用)

なるほど「規範と存在が無媒介的に混入している」といえばいいのか。うまいなあ~。これを混同せず、またどちらか一方に偏らず、自分のなかで並存させてバランスよく生きるのが大事なんだと思う。規範だけだと生きていけないし、存在だけだと生き甲斐がない。

そのためにはホッファーがいうように「一日六時間、週五日以上働くべきではない」のだろう。職業人としての務めを果たして収入を得ながら、知的かつ創造的で、余暇に重点をおいた生活をする。そういうのがいいよな。