なんか村上春樹が読みたいなあと思って図書館にいって「ム」の棚を見た。
村上春樹の本がたくさんおいてあった。
見たことのない装丁の本があった。
それが、カット・メンシックがイラストをかいた村上春樹作品だ。
「バースデイ・ガール」「図書館奇譚」「パン屋を襲う」「ねむり」の四冊。
いづれも短いものですぐ読めそうだったし、絵がステキで楽しい感じだったから、四冊まとめて借りて、まとめて読んだ。
たぶん、初見は「バースデイ・ガール」だけで、他の三冊は過去に読んだことがあるかもしれない。けれど読んだそばから忘れていくので、読んだような気がするだけで、実は初めてかもしれない。
誰かの批評を読んで、自分も読んだ気になってゐるだけかもしれない。なんでもいい。
カット・メンシック氏のイラストが妖しくっていい感じだ。
「バースデイ・ガール」
とてもいい。大好き。「望み」「願い」などということばがちりばめられた、ミステリアスでどこか艶っぽい、不思議なお話。主題は、「選択」とか、そういうことかな。
「もちろん。私はかまわんよ。君がそう望むなら」
私がそう望むなら?と彼女は思った。ずいぶん奇妙な言い方だ。私がいったい何を望んでいるというのだろう? 24頁
「これでよろしい。これで君の願いはかなえられた」
「もうかなえられたんですか?」
「ああ、君の願いは既にかなえられた。お安いご用だ。」と老人は言った。 46頁
「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。そして耳たぶを掻く。きれいなかたちをした耳たぶだ。「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」 54頁
彼女はもう一度僕の目を見る。それはとてもまっすぐな率直な視線だ。「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と彼女は言う。 55項
ぼくらはそれと知らずに、今この瞬間に、何かを望み、何かを願い、それをなしてゐる。「今」というのはつねに、過去に自分が願ったこと、望んだこと、そうして行った無数の選択の結果ということなのかもしれない。
「図書館奇譚」
カット・メンシック氏がつけたイラストがなかなか強烈。物語の怖さが倍増してゐるように思う。村上春樹は、主人公と同じように、「地下」におりていってこの物語をすくいあげていったのだろう。
羊男はオルターエゴだとか、美少女は〇〇の象徴だとか、いろいろ分析的にいえそうな気もするけれど、そういうことはたぶん作者は望んでゐないだろう。没入して体験すればよいと思う。
といいながら、主題は「母」からの解放か・・・などと・・・
老人は楽しそうに笑った。犬の緑の目が妖しく光りはじめた。
その時、犬の歯のあいだでむくどりが少しずつふくらんでいることに気づいた。むくどりはやがてにわとりくらいの大きさになり、まるでジャッキみたいに犬の口を大きく押し開けた。犬は悲鳴をあげようとしたが、その時はもう手遅れだった。犬の口が裂け、骨が飛び散る音が聞こえた。老人はあわてて柳の枝でむくどりを打った。しかしむくどりはそれでもふくらみつづけ、今度は老人をしっかりと壁に押えつけた。むくどりはもうライオンくらいの大きさになっていた。そして狭い部屋は力強い羽ばたきに覆われた。
〈さあ、今のうちに逃げるのよ〉、後ろで美少女の声がした。ぼくは驚いて振り向いたが、後ろには羊男しかいなかった。羊男もあっけにとられたように後ろを振り向いていた。
〈さ、早く逃げるのよ〉、もう一度美少女の声がした。ぼくは羊男の手をとって正面のドアに走った。震える手でドアを開け、転がるようにして部屋の外に出た。 66頁
「パン屋を襲う」
最高。「パン屋を襲う」と「再びパン屋を襲う」を所収。すごい作品。この二作は相当読み応えがある。参った。いやすごい。
これはなんだろう。何かすごく「わかる」感じがするけれど、何が「わかる」のかはよくわからない。けれど、こういうことってあるよね、という感じがする。
この異様なおもしろさはなんだろうか。とても興奮する。
うまく言えなくてもどかしいのだけれど、どうも、「節度」「規矩」「労働」とか「報い」「代償」「不可避性」などについての寓話なんだという気がする。
物語内では「交換」とか「呪い」という言葉でその主題をうきあがらせてゐる。
これはかなり深淵で根源的なお話だと感じた。ほんとうにスゴイ作家だ。
物語を起動させる「虚無」というのがたいへん怖い。
「空腹感」が巨大化して「底知れぬ虚無」となり・・・
「パン屋を襲う」
神もマルクスもジョン・レノンも、みんな死んだ。とにかく我々は腹を減らせていて、その結果、悪に走ろうとしていた。空腹感が我々をして悪に走らせるのではなく、悪が空腹感をして我々に走らせたのである。なんだかよくわからないけれど実存主義風だ。 11頁
「なるほど」と主人はもう一度肯いた。「そういうことなら、こうしようじゃないか。君たちは好きにパンを食べていい。そのかわりワシは君たちを呪ってやる。それでかまわんかな」
「呪うって、どんな風に?」
「呪いはいつも不確かだ。地下鉄の時刻表とは違う」
「おい待てよ」と相棒が口をはさんだ。「俺は嫌だね、呪われたくなんかない。あっさり殺っちまおうぜ」
「待て待て」と主人は言った。「ワシは殺されたくない」
「俺は呪われたくない」と相棒。
「でも何かしらの交換が必要なんだ」と僕。
我々はしばらくつめきりをにらんだまま黙り込んでいた。 20頁
「再びパン屋を襲う」
「こんなにおなかがすいたのってはじめてだわ」と妻が言った。「結婚したことと何か関係があるのかしら?」
どうだろう、と僕は言った。あるのかもしれないし、ないのかもしれない。 34頁
「それで襲撃は成功したの?」
僕はあきらめて新しいビールのプルリングをむしりとった。妻は何かを聞き始めたら、最後まで聞きとおさずにはいられない性格なのだ。
「成功したとも言えるし、成功しなかったとも言える」と僕は言った。
「我々はパンを好きなだけ手に入れることができたけれど、それは強奪としては成立しなかった。つまりパンを強奪しようとする前に、パン屋の主人が我々にそれをくれたんだ」 40頁
・・・「もちろんそれが呪いだとは、あなたの話を聞くまではわからなかった。でも今ではそれがはっきりとわかる。あなたは呪われているのよ」
「君はその呪いの影をどんな風に感じるんだろう?」と僕は質問してみた。
「何年も洗濯していないほこりだらけのカーテンが天井から垂れ下がっているような気がするのよ」
「それは呪いじゃなくて僕自身なのかもしれないよ」と僕は笑いながら言った。
彼女は笑わなかった。
「そうじゃないわ。そうじゃないことは私にはちゃんとわかるのよ」 51頁
「ねむり」
あとがきで著者がいうようにテンションの高い小説。すごい筆力。
突然「眠り」を奪われてしまった主人公が少しづつ現実から遊離していくという怖いお話。
「眠り」の喪失、というのは文字通り眠れなくということでもあり、比喩でもある。「魔が差す」とでもいうのか、自分の存在や現実について確信がもてなくなり、立体感を失い、不安に襲われるという感じ。
そうして「あっち」の世界に行ってしまって、「こっち」の世界に戻ってこられなくなる。
主人公は「人生の単調さ」という魔に憑かれてしまった。こんな具合に。
・・・何という人生だろう、時々そう思う。しかしそれで虚しさを感じるというのでもない。私は単に驚いてしまうだけだ。昨日と一昨日の区別もつかないという事実に。そういう人生の中に自分が組み込まれてしまっているという事実に。自分のつけた足跡が、それを認める暇もなく、あっという間に吹き払われていくという事実に。そういう時、私は洗面所の鏡の前に立って、自分の顔をじっと眺める。十五分くらい頭の中を空っぽにして、自分の顔を純粋な物体として観察する。そうすると私の顔は、だんだん私自身から分離していく。・・・ 23頁
こういう分離の感覚に襲われるというのは誰しもあることだ。
誰にでも起こりうることであり、実際しょっちゅう起こってゐるのだが、それを各人各様の仕方でつなぎとめてゐるのである。
分離から戻ってくるために何が必要か。「物語」だ。
「眠り」をうばわれた主人公は「物語」を失い、彼女の見る世界からは「意味」がはがれおち、現実が融解してゆく。「あっち」の世界こそが、自分が本当に生きる世界なんだと思いこむ。
これまで生きてきたあたりまえの現実が異様なものに見えはじめる。
私はそこに立ったまま、彼の寝顔を眺めていた。布団のわきから奇妙な角度で裸足の足が突き出されていた。まるで誰か他人みたいな角度で。それはごわごわした大きな足だった。口が半開きになり、下唇がだらんと下に垂れて、時折思い出したように鼻のわきがぴくっと動いた。目の下のほくろがいやに大きく、下品に見えた。目の閉じ方もどことなく品性がなかった。瞼がたるんで、色褪せた肉の覆いのように見えた。まるで阿呆みたいに眠っている、と私は思った。まるで阿呆みたいに眠っている。なんて醜い顔をしてこの人は眠るんだろう。いくらなんでも、これはひどすぎる。昔はこんなじゃなかったはずだ。 73-74頁
でも何かが私の神経にさわった。息子に対してそんな風に感じるのは初めてだった。いったい息子の何が私の神経にさわるのだろう。私はそこに立ったまま、また腕組みをした。もちろん私は息子を愛している。心から愛している。でも、そこにある何かが確実に今、私の神経を苛立たせている。 75頁