『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』2020 日本
原作:吾峠呼世晴 監督:外崎春雄
原作マンガもアニメシリーズも未見、ほとんど予備知識なしで見に行った。興行収入新記録を打ち立ててからけっこう時間が経ってゐる。ここまで見ずにきたのは、子供のもんだと避けてゐたのではない。ただなんとなく行く気にならなかった。
見たら、めっちゃ感激した。ぼく、泣いちゃった😂
いやいやこれスゴイぢゃないですか。子供には「みんなそれぞれに役割がある。助け合って生きていく、それが人間というものなんだ」という健全な教育的メッセージがあるし、大人は「鬼になるまい、オレは乗り越えられる、強くなるんだ」と自分を鼓舞することができる。泣いて浄化される。
そういうのを抜きにしても、単純にキャラクターが魅力的で、映像も音楽も声優さんの演技もすごいと思った。服の模様をはじめ全体のデザイン、みんな素敵。特に後半の戦闘シーンのビジュアル的魅力は最高だった。鬼の魘夢(下弦の壱)も猗窩座(上弦の参)もカッコイイよ。嫌いになれない。煉獄さんは「初対面だが、オレはすでにお前のことが嫌いだ!」といってゐたけれど(なんだこのセリフは笑)。
象徴してゐるものがすごくわかりやすくて、なにを伝えたいのか誤解の余地がない。それをくどいくらいにセリフで説明する。そういうところが不満な人もあるかもしれないけれど、ぼくはこの劇場版しか見てゐないせいかまったく気にならなかった。ああ親切だなあ、初見さんにもわかるようにしてくれてるんだなと思った。
人間が人間らしく生きるとはどういうことか、それがいかに困難なことか。それを描いてゐる。鬼は人間を眠らせ夢を見させ、無意識に侵入してその人間の「精神の核」を破壊する。「精神の核」を破壊されると人間は鬼になってしまう。
煉獄、炭治郎、善逸、伊之助の4人は一度眠らされてしまうのだけれど「精神の核」を破壊されない。その理由がそれぞれ違ってゐて、これが面白い。
煉獄さんの無意識には情熱の炎がメラメラ燃えてゐて鬼は手をつけれらない。炭治郎はあまりに心が綺麗でなにも存在しない、愛にあふれてゐて鬼のほうが癒されてしまう。善逸は禰󠄀豆子を愛しすぎてゐて他のものは排除されてしまう。伊之助は無意識の世界が真っ暗闇で視線がきかない。
伊之助の無意識がなぜあんな真っ暗なのか、そのへんは原作未読なのでよくわからないのだけれど、4人それぞれの資質というのがあってそれによって「精神の核」を守ることができた。これ面白い。「精神の核」を守る方法はいろいろあるんだね。
どうやって夢から覚めるか。ここが自分的には本作で一番教訓的なところだと思ったのだけれど、自分で夢から覚めることができたのは柱である煉獄さんではなくて、炭治郎だった。炭治郎は夢の中で「自分を殺す」。なんど魔術にかけられてもそのたびに「自分を殺す」。炭治郎は「自分を殺す」勇気をもってゐる。これって大事ぢゃないですか。
心地よい夢のなかで生きてゐたい。人間は弱いから、自分を甘やかしてくれる妄想に浸ってゐたい。でもそれぢゃダメなんだ。自分を殺さないと前にすすめない。魘夢(下弦の壱)とのバトルシーンで何度も何度も「自分を殺す」ところ、グッときた。
一番燃えたのはやっぱり煉獄さん。カッコイ~😆
猗窩座(上弦の参)と戦いながら名セリフの乱れ打ち。このバトルシーンは振り付けも音楽もすごくよかった。鬼もカッコイイよほんとに。
「何度でもいう。オレとお前とは価値基準が違う!」「老いるからこそ、死ぬからこそ、たまらなく愛おしく、尊いのだ」「若い芽は摘ませない!」カッコイ~😆
宝塚スターを応援するのってこういう感じなのかしら。煉獄様~😆という。
泣いちゃいますよ。
カラスまで泣いてたもんね笑