手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

3度目の波

新型コロナウイルス流行の第3波がきたらしい。第1波は3月~4月だった。第2波は7~8月だった。第3波は11~12月という感じになるのだろうか。とすると現在の対策では4カ月ごとに波がくるので、来年の夏は第5波ということになるがオリンピックはどうするつもりだろうか。もちろん、この周期がなんらかの理由でなくなることもあるわけだけれど。

3度目の波なのだが、ぼくはいまだに政府がどのような状況認識で、どのような状態をめざして対策をとってゐるのか、あるいはとってゐないのかがよくわからない。検査・隔離体制はどのていど拡大できたのか、医療体制はどのていど余裕があるのか。そのなかでいまの感染拡大はどのくらい危険なのか、どのくらいまでなら持ちこたえられるのか。こういう場合にはこうして、別の場合にはこうする。というごく当たり前の説明がなされない。

波を重ねるごとに感染者数が増えてゐるようだが、それは対策があまりうまくいってゐないということではないのか。今回のウイルスは東アジアの人々にはどういうわけか比較的やさしいみたいだけれど、こんど逆の性質のウイルスがあらわれたら大変なことになるような気がするのだが。

まったくの肌感覚なのだけれど、さすがに3度目なのでぼくたち国民の側が「ああ、またか」みたいに思ってる感じがある。なんというか、なにも信じてないし、なにも期待してゐない感じだ。政府の期待/信頼されてゐなさっぷりをひしひしと感じる。

政府は継続して三つのメッセージを国民に送ってゐる。1、感染対策しっかしてくれ。2、経済大事だからGOTOしてくれ。3、五輪は開催するのでそのつもりで。ひとつひとつの意味はわかるのだが、三つあつまると困惑する。それぞれ別の都合と利権から放たれたメッセージであって、全体をうまく動かすための統合的な視座がないからだ。

感染症対策と経済対策のバランスをとるとのことだが、現在の状態はバランスがとれてゐるといえるのだろうか。どっちもやろうとして、どっちも効果が小さくなってゐるように思えるのだが。1兆3500億円のGOTO関連予算は、波がこないようにするための体制構築につかったほうが経済対策としても良策だったのではないだろうか。

それにしてもストレスフルな状況だ。政府によるハラスメントといいたいくらいだ。これでは自殺者が増えて当然と思える。ぼくはいま幸いにも在宅で仕事ができてをり、それなりの人間関係の網のなかにゐるからこうして平常心でゐられるけれども、それがなにかのきっかけに失われたなら精神の平衡を失ってしまうだろう。

もちろん政府からのメッセージを無視すればよいわけで、「賢い」人は実際にそうしてゐると思うのだが、それは結局のところ虚無なんだ。そんなふうに政治について考えることを放棄してしまう人が増えれば、無気力な現状肯定の圧力が強まるばかりで、政治の機能不全はいっそう深刻になる。ぼくはコロナウイルスよりも、この虚無が恐ろしい。

コロナ禍で歳出が増え、しかし経済は縮小し、そのなかで対米従属とアジア蔑視的な外交しかできないなら防衛費は増大する。そうなると、社会保障や教育費はさらに削られるだろう。これではいま苦しい立場にゐる人がもっと追いつめられることになるし、そういう人が増えることになる。

こういう状況が続いても、人々のこころが虚無におかされてゐては、冷笑的な現状追随に身をまかせることになる。つまり政治になにも期待しなくなり、したがってなんの抵抗もしなくなり、すべてを「自助」の次元で考えてしまうということなのだ。

政治について考える回路が消えてしまうのは実に恐ろしいことだ。これは結局のところ転落しても自己責任、上昇できたら自分の努力のおかげという発想なのであって、公共性の欠如ということになる。政府と国民とのコミュニケーション不全がこの虚無を生んでゐる。本当に、安倍・菅政権は公共をすっかり破壊してしまったな。

何度も同じことを書いてゐる気がする。こういう文章を書きたくはないものだ。

11月下旬なのに異様な暖かさだ。地球もいよいよ様子がおかしい。散歩に出る🏃