手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「日本語はいかにつくられたか?」小池清治

日本語はいかにつくられたか?小池清治 ちくま学芸文庫 1995

面白かった~。簡単にメモをば。

万葉仮名から草仮名が生れ、そこから質的転換を経て平仮名が生れた。この「平仮名」化の動きは905年に成立した古今和歌集で一応の完成を見る。古今和歌集は仮名文字が公的文書に用いられた最初のものである。

なんと、筆者によれば、草仮名から平仮名への大転換には9世紀末から10世紀初頭の政治情勢、具体的には菅原道真の失脚が関係してゐたというのである。びっくりだね。大碩学であり仮名遣いに関して守旧派だった菅原道真古今和歌集を撰信してゐたなら、いま見る古今和歌集は存在しなかっただろうと。

藤原定家の仕事の意味について。

彼はしっかりと時代の流れを見詰め、見抜いていたに相違ない。それは、時代の大転換の時期、古代の滅びの時であると。そして、そのような彼がなすべきことは、二つしかない。一つは、貫之が準備しておいてくれた虚構の武器で文芸の世界をより強固に作り上げること。いま一つは、滅びんとする古代の姿を「古典」として定位し後世に伝えることであった。 89頁 

「古代の滅び」とは源氏・平家の武家が勃興してきて貴族の時代が終わることを指す。そこで彼は二つのことをなしたという。

「虚構の武器で文芸の世界をより強固に作り上げること」とは後鳥羽院とともに和歌の芸術性を極限まで高めることである。これが新古今和歌集に結実する。

「古代の姿を「古典」として定位し後世に伝える」とは基本的文献の書写と整備である。その行為を通じて「定家仮名遣」が生れた。

このドラマは感動的だ😂 いつかじっくりと新古今を読んでみたいな。

 藤原定家の作業がなされるまで、日本には「古典」は存在しなかった。

「古典」は何らかの権威の裏付けが必要なのだ。権威がなければ「古典」は存在しない。定家(既に「さだいえ」では、ふさわしくなく、「テイカ」なのだが)は日本における文化的「権威」の始祖であり、その権威が「古典」を創造したとも言えるのである。定家の目を経て、「作品」は「古典」となった。 99頁