手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「14歳からの社会学」宮台真司

14歳からの社会学宮台真司 世界文化社 2008

とてもよかった。大人でも読む価値がある。ぼくのように未熟な大人はとくに🥶

中学生に語るという趣意のものだからか、宮台さんの声がすぐそこから聞こえてくるような気がした。年少の友達にプレゼントしたいと思った。

グっときた箇所をメモしておく。

第6章「〈理想〉と〈現実〉」から。

 自分がどんな人間で、何をしているときが幸せか。「これさえあれば自分は幸せ」と思えるものは何か。それをつかむためにだけ「試行錯誤」して、おぼろげながらでもつかんでいく。そうすれば、自分に必要じゃないものに過剰な期待をしなくて済むようになる。

 自分に必要なものが見つかったら、それを手放さないためには最低限どうすればいいのか考えればいい。こういう態度が、仕事に限らず、いろんなものについて必要なんだと思う。 123頁 

これは本当にそうだと思う。自分に必要じゃないものに過剰な期待をしないように、「最低限」のトーナメント戦をやっていくべきだという。そうして最後に残たものが「これさえあれば自分は幸せ」と思えるものであり、「生きがい」であると。

さて、そこで次のこともまた重要なのだが、すなわち、さまざまなもの対して期待値を下げる必要があるが、「人間」に対してだけは高い期待をもたなくてはならない。なぜなら、そうでないと、入れ替え可能な人間関係しか得られなくなって、さびしい人生を歩むことになるからだ。このあたりの記述は14歳の人たちに向けた、実に愛にあふれるメッセージだと感じた。

第6章「〈生〉と〈死〉」から。

 まとめよう。どんな死に方が幸せか? ぼくの答えは 「〈社会〉に関わって生きてきたこと自体を福音だと感じながらも、〈世界〉の中に直接たたずんで死んでいくこと」。幸せな出来事も、不思議な影絵のようだと感じながら、〈世界〉に帰ろう。 163頁

これも名文句だ。〈世界〉とは「ありとあらゆるものの全体」で、〈社会とはコミュニケーション可能なものの全体〉すなわち人間社会のことだ。〈社会〉では「承認」が問題になるが、〈世界〉において一人の人間はアリンコみたいな小さな存在だ。

〈社会〉において人は名前のある存在として他者を承認し、また承認されて生きるが、〈世界〉においては名前をもたない存在として、犬や猫、石ころや雲なんかと同列に一人たたずむのである。

端的にいえば、社会的承認と信仰と両方あったほうがよいといってゐるのだと思う。

☟も第6章「〈生〉と〈死〉」から。

 さっきの女の子と彼の自殺を経験したぼくは、少し成長した。ずっと謙虚になったと思う。どんなに人と親しくなったと思っていても「親しくなったつもり」。どんなにその人のことを考えても「考えたつもり」。「つもり」以上のものにはならない、ということだ。 169頁 

これも大事だなあ。だれかと関わりをもつ、その人のことを知る、と、すぐに自分の理解の枠のなかに押し込めようとする。これは他者に対してそうであると同時に、自己に対してもそうなんだよね。このあたりの語り口は本当にジーンときますね。

第7章「〈自由〉への挑戦」から。

 ぼくは2つのことをいった。〈歴史〉を参照することと、《歴史》を参照すること。〈歴史〉を参照するとは「歴史に if を持ちこむ」ことだ。「かつて同じような状況で、別の選択をしていたら、どうなった?」と。そうすることで、賢明な戦略的行動が取れるようになる。

 《歴史》を参照することはそれとは別だ。ぼく(たち)が賢明な戦略的行動を取った程度のことではどうにも変わらない《歴史》の「流れ」を見極め、「流れ」に自分を位置づけて、1コマのエピソードにすぎない自分を受け入れ、かつ《歴史》に勇気をもらうことだ。 201頁

二つの歴史意識の持ちようを〈歴史〉と《歴史》というカッコのつけかたの違いで異化して説明してゐる。これはとても簡明に書かれてあるけれど、すごく高度で抽象的な議論をしてゐますよね。すごいなあ。

この二つの歴史の峻別は、21世紀の日本を生きるぼくたちにはことに重要なことに思える。〈歴史〉の次元では、大日本帝国の敗北と戦後体制の形成について、歴史に if を持ちこんで考え直さないといけないし、《歴史》の次元では、日本の没落を決定的なものとして受け入れて、そこから勇気をもらわないといけない。

ううむ。こうして読書ノートを書いてみると、改めて、名著だなあ、と。