手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「論語の話」吉川幸次郎

論語の話吉川幸次郎 ちくま学芸文庫 2008 

四書五経

孔子五経を尊重した。五経とは、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」を指す。宋代の朱子以前の儒学は「孔子が尊重したものを孔子とともに尊重する=五経を中心とする」というものだった。が、朱子五経のほかに四つの古典を新しく選択した。それが四書。四書は、「大学」「中庸」「論語」「孟子」。このなかで論語がもっとも重要とされたため、儒学の方向性が「孔子自身を尊重する」という態度に変っていった。

(・・・)江戸時代の政治というのは、その創設者であります徳川家康が、朱子の学問ですね、さっき申しました「論語」を人間の教えとして最も尊重する朱子の学問を、林羅山その他を顧問といたしまして、国教的な地位に据えたのであります。それ以来日本の儒学、江戸時代の儒学も「朱子学」を中心としたということは、別のことばでいえば「論語」を中心としたということなのであります。 22頁

天命

孔子が自身の精神の発展について述べた有名な章がある。為政第二の、

子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にしての心の欲する所に従って、矩を踰えず。

五十にして天命を知ったという。天命とはなにか。天が自分に与えた使命とも、天が自分に与えた運命とも解することができる。

(・・・)「論語」のなかの〈命〉ということばは、いつも使命、つまり人間としての義務という意味と、運命、人間がその限定としてもつ運命、このふたつの意味を同時にもつようであります。そうした〈天命〉というものを知ったのは、五十のときである。ということは、このように人間の文明のために努力することが、それこそ天がこの私に与えた使命である、ないしはこのように人間の文明のために努力せざるを得ないこと、それが自分に天から与えられた運命であるということを、はっきり感知した、そういう意味だと私は考えます。 41-42頁

天に就いてのこの不満を、彼は何よりも師の運命に就いて感じる。殆ど人間とは思へないこの大才、大徳が、何故かうした不遇に甘んじなければならぬのか。 
中島敦「弟子」

人生を生き抜くためには勇気が必要である。

子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。

子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。

知と仁と勇と、これが人生の三つの重要な道徳である。勇気は何のためにつかうか。

義のために。

(君子はやはり勇気を必要とするかと子路が問うた)すると孔子は答えました。「君子義以為上」〈君子は義を以って上となす〉君子にとって何よりも大切なものは、それは正義である。「君子有勇而無義為乱」〈君子勇有りて義無ければ乱を為す〉。正義というものが何よりであって、たとい君子でも勇気だけがあって正義の感覚に乏しいものは、それは無秩序ということになるだろう。「小人有勇而無義為盗」〈小人勇有りて義無ければ盗を為す〉普通の人たちが勇気だけあって正義の感覚がない場合は、どろぼうになるぞといっております。 176頁

徳と好色

子曰、吾未見好徳如好色者也。

子日く、吾れ未だ徳を好むこと、色を好むが如くする者を見ざるなり。

美しい女が好きなほど道徳が好きなものはないという。この好色を、色欲を好む、というふうに解すると少し下品になる。男女の愛情のことであると考えてみてはどうか。

孔子は男女の愛情をたいへん尊重してゐた。それは孔子が編んだ「詩経」のうちに恋の歌がたくさんあることから明らかだ。真理や本質を求めることも恋の道と同じで、恋しく思うこと、思い詰めた上に思い詰めることが肝要なのだ。

(・・・)男女の愛情というものは人間としてたいへん大切なことである、しかし同様に大切なのは道徳である、しかるに男女の愛情ほどに道徳に愛情をもつ者はいない、そういっていると読めるのでありまして、男女の愛というものに対しても孔子はやはり肯定的であって、そういうふうに見てよろしいのではないかと思います。 194頁

人間の可能性に対する信頼

孔子の生きた時代は下剋上の世であり、不愉快な事件が次々と起り、孔子自身もたびたび迫害を受けた。孔子の理想はどこへ行っても達せられなかった。にもかかわらず、あるいはそれゆえにこそ、論語の中には人間の可能性に対する信頼が満ちてゐる。

これが論語におけるいちばんの主題である。

(・・・)「不怨天、不尤人」〈天を怨まず、人を尤めず〉私がこうした希望のない旅を続けているのも、これは天の意思であるかもしれない、しかし私は天をうらむ気持ちにはならない。また人間というものは確かに悪い、しかし人をとがめない、私はその中で依然として私の態度を保持してゆくだけだ。

「下学而上達」〈下学して上達す〉、あるいは〈下に学びて上に達す〉私はいろいろこまかな勉強をし、そうしたこまかな素材による知識によって、〈上に達す〉ずっと上のほうにある理想に到達したいと思う、というのが「下学而上達」ということばの意味であると思いますが、そうした態度を保持しよう。 207-208頁

 また孔子の人人に対する態度がそうであり、人人に対する期待が常にあったことは、こういう挿話でも示されます。これは「述而」第七に見える挿話でありますが、遊歴の旅の途中であったでありましょう。互郷というところへ通りかかりました。互郷というのは村の名前でありましょう、どこにあるのか、よくわからないのでありますが、その村の人間はたいへん話がしにくいという評判でありました。「互郷難与言」〈互郷は与に言い難し〉。

風俗のあまりよくない土地だったのでありましょう。ところがそのある若者が、〈童子〉と書いてありますが、若者でしょう、「童子見」〈童子見ゆ〉孔子に会いたいといったところ、孔子は気持ちよくその若者に会ってやった。「門人惑」〈門人惑う〉弟子たちはふしぎがった。あのはしにも棒にもかからないといわれている土地の子供にお会いになるのはどういうわけだろうと、〈門人惑う〉。

「子曰」〈子曰わく〉孔子は申しました。「与其進也、不与其退也」〈其の進むに与するなり、其の退くに与せざるなり〉彼が現在の瞬間において私に会いたいというのは、それは彼が進歩の過程にあるのである、私はその進歩に協力するのであって、〈其の退くに与せざるなり〉彼は次の瞬間には、あるいはまた退歩するかもしれない、しかしその退歩のほうには私は協力しない。

自分に会いたいというその進歩、それに協力するのである。お前たちはそれに対して批評がましいことをいうが、「唯何甚」〈唯何ぞ甚しきや〉お前たちの態度は少しひど過ぎやしないか、「人絜己以進、与其絜也」〈人己を絜くして以って進む、其の絜きに与するなり。人間が自分の気持ちを清めて進歩の過程にあるときには、その清らかさに協力したい。「不保其往也」〈其の往を保せざるなり〉これから先どうなるか、それはともかくとして、いま現在の瞬間、彼は誠実な気持ちで私に会っているのだ、私はそれに協力しただけだという、これは挿話でありますが、そういうことも「論語」に書いてございます。 227-228頁

学問

子曰、性相近也、習相遠也。

子曰く、性は相い近きなり、習い相い遠きなり。

人間の本来の性質はみんな近接したものであり、善人とか悪人とかにわかれるのは、みな後の習慣によってそうなるのである。

子曰、有教無類。

子曰く、教え有りて類無し。

本来、人間は平等であって種類とか区別いうものはない。存在するのは教育というものである。

 しかしながら孔子は、では人間はただ自然に生きていればそれでりっぱになるか、そう考えたかというと、決してそうではありません。人間はたゆまざる努力が必要であるということをも常に語っております。そのことを最も総括的にいうことばは「衛霊公」第十五のことばでありますが、「子曰、人能弘道、非道弘道」〈子曰く、人能く道を弘む、道の人を弘むるに非ず〉。〈道〉というのはすぐれた生活、それを拡大するのは、ほかならぬ人間である、人間こそその能力をもっている、決してすぐれた生活という抽象的なものが、人間を拡大するのではない。〈人能く道を弘む、道の人を弘むるに非ず〉。 229頁

(・・・)人間の任務は〈仁〉すなわち愛情の拡充にあります。そうして人間はみなその可能性をもっている、しかしそれはただ素朴にそう考えるだけではいけないのでありまして、学問の鍛錬によってこそ完成される、いいかえれば愛情は盲目であってはならない。

人間は愛情の動物であり、その拡充が人間の使命である、また法則であるには違いありませんが、愛情の動物であり、その拡充が人間の使命であり、また法則であるということを確かに把握いたしますためには、まず人間の事実について多くのことを知らなければならない、その方法は学問にある。

と申しまして、孔子のころには自然科学はまだ学問の重要な部分ではなかったでありましょう。天文学についてだけは多少の知識をもっていたと思いますが、それ以外については古代のことでありますから、なお無知であったでありましょう。孔子が学問として意識いたしますものは過去の人間の経験であります。それを記載した書物をよく読むということが、孔子の学であります。 262頁

このような人間を、子路は見たことがない。力千鈞の鼎を挙げる勇者を彼は見たことがある。明千里の外を察する智者の話も聞いたことがある。しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。 
中島敦「弟子」