手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「一九八四年」ジョージ・オーウェル

一九八四年ジョージ・オーウェル 訳:高橋和久 ハヤカワ epi 文庫 2009

翻訳が素晴らしいですね。とても読みやすい。

終盤、オブライエンによる拷問あたりからの展開はとても興奮した。オーウェルの筆もここがいちばん冴え、熱を帯びてゐるように感じた。「全体主義の魅力」というものがよくわかる。知的でカッコイイ。支配欲を満たし、全能感に浸らせてくれる。

哀しいことに、ウィンストンとジュリアは互いを裏切ってしまい、ふたりの愛情生活はどうやら終わりのようだ。まことに「見事な」拷問で、心底おそろしかった。あの拷問をやられてしまっては転んでも仕方ないという気がする。

だからああなるまえに全体主義の芽をつんでおかねばならないのだろう。それは自己を越えた圧倒的な存在に自發的に服従して一体化することで全能感を得ようとする心理、人間の弱さ。

「覚えているかね?」オブライエンは話を続けた、「君は日記に書いたーー『自由とは二足す二が四であると言える自由である』と」

「はい」ウィンストンは言った。

 オブライエンは手の甲をウィンストンの方に向けながら、左手を上げてみせた。親指を折り、他の指四本は伸ばしている。

「わたしは指を何本出しているかね、ウィンストン?」

「四本です」

「もし党が四本ではなく五本だと言ったとしたら?ーーさて何本だ?」

「四本」

 その答えの最後には激痛が走った。 385-386頁

(・・・)権力が何を意味するか、そろそろ君なりに考えをまとめてもいい頃だろう。最初に認識すべきは、権力が集団を前提とするということだ。個人が個人であることを止めたとき、はじめて権力を持つ。〈自由は隷従なり〉という党のスローガンを知っているだろう。この逆も言えると考えたことはないかね? つまり、隷従は自由なり、ということだ。一人でいるーー自由でいる、このとき人は必ず打ち負かされる。それも必然というべきだろう、人は死ぬ運命にあり、死はあらゆる敗北のなかで最高の敗北だからね。しかし、もし完全な無条件の服従が出来れば、自分のアイデンティティを脱却することが出来れば、自分が即ち党になるまで党に没入できれば、その人物は全能で不滅の存在となる。 409頁