「犬の科学 ほんとうの性格・行動・歴史を知る」築地書館 2004
著:スティーブン・ブディアンスキー 訳:渡植貞一郎
化石の発掘調査やDNA解析が進んでゐるので、犬についての新事実が次々と明らかになってゐるらしい。この本によれば、狼と犬は13万5000年前に遺伝的に分岐し、原始犬は狼から離れ、人間と同じ場所で生活を始めたらしい。けれども人間の側から手を加えることがなかったので、およそ10万年の間、原始犬に体形の変化はなかったという。
十万年以上、原始犬に、めだった体系的変化がなかったことは、その間、人間が手を加えなかった証拠だ。彼らは、人間のまわりをうろつくことを選択し、そうすることによって、自分自身の起源となった相手から、自分の意志で、自らを隔絶した。彼らは、雇われたのでもなく、奴隷でもない。あるいは、招かれた客人でもない。彼らは、パーティー会場に押しかけ、もぐりこみ、決して立ち去ることはなかったのである。 31頁
犬の体形の変化はおよそ1万4000年前に始まる。これはおそらく人間が狩猟・採集社会から農業社会へと生活様式を変えたことによる。好ましい特性または行動を示す犬たちを人間が選別したのだ。
けれども最近、ニ三百年前でも、いまのぼくたちが知ってゐるような「犬種」という概念はなく、ただ機能別に分類されてゐるだけだった。DNA解析によれば、犬種の系統樹はたがいにもつれ合ってゐて乱雑である。進化の過程で世界中でよく混ざり合い、ある犬種に固有のミトコンドリアDNAは存在しない。つまりみんな雑種だった。
この状況は19世紀末のイギリスで犬種協会(ケネル・クラブ)が設立されてから急変する。協会は「純粋種を育てて保存する」という大義名分を立てた。認知される犬種の数は次第に増加した。1800年にイギリスのある文筆家が書き出した犬種の数は15だったが、今では400種を超える。
次の箇所、わたくし、うなりました。う~む。
これらすべての事情の背後に、ヴィクトリア朝的な人種差別の要素が隠されているのを見過ごすことはできない。十九世紀から二〇世紀への境目に書かれた動物育種の書物や文献は、弱者を排除し、血統の純粋性を維持して犬種を活性化することを奨励するのに懸命である。雑種、駄犬、混血を誹謗し、邪悪な血を受け継いだ個体の悪しき性質がはげしく排斥されている。 45頁
つまり、人間の側に人種思想が強くなって、優生学なるものが生まれ、それを犬の側にあてはめたことから、「犬の血統」や「純粋種」という考え方がでてきたというのだ。
著者は最終章において、犬の繁殖業者が極端な近親交配を続けてゐることを批判してゐる。犬種を次々と小さな集団に分離して、閉鎖的集団のなかで近親交配を続けていくと、悪い劣勢遺伝子が確実に次世代に受け継がれる。先天的な虚弱体質になりやすい。生物として、どんどん弱くなっていくのだ。雑種のほうが健康で優秀な犬が多い。
犬繁殖業者がある特定の形質だけを追求して近親交配を続けることは、特定の系統にその長所を固定させるうえでは確かに有効な手段である。しかし、その反面、まさにその系統の犬に、知らず知らずのうちに欠点をも固定させていることに気づくべきだ。犬種繁殖業者は、現代の家畜育種家が牛や豚の純粋種をつくった経験から学ぶべきである。これらの牛や豚は生産性を計測した結果に基づいて作出されたのであって、独裁的に決めた外観の標準を押しつけたのではない。家畜の育種家は、望んだ形質を向上させるための近親交配と、成立した系統に必ず伴う遺伝的欠陥を抑え込むための異系交配を組み合わせて、目的を達している。品種間の交雑も、場合によっては、均質性と多様性のバランスをとるのに必要である。 286-287頁