手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

いい勉強になりました。

寝違えか、ストレッチのしすぎか、ダンス練習でのムチウチ的なものか、よくわからない理由で首を痛めてゐた。もともとひどい頭痛持ちでしょっちゅう寝込んでしまう虚弱体質だから肩から頭にかけての筋肉が緊張してゐる状態には慣れてゐる。けれど今回のは程度がひどく、いかにも別種の痛みという感じだった。

寝転がった状態から起き上がることができないというレベルで痛かった。こういう場合、まづ手で頭を持ち上げて、それから腕の力で上体を起こさねばならないのだ。これはきつかった。

レントゲンをとってもらうと骨の問題ではないようで、やはり筋組織を痛めたことが原因のようだった。二日ほど安静にして、少しよくなってきたところで、好意から大槻先生の治療を受けさせていただき、だいぶんいい具合になった。

なるほど、首を痛めるとこうなるのか、頭とはここまで重いものなのかと、改めて人体の精密な構造に思いをいたす機会となった。いい勉強になりました。

今回のは首の捻挫であって一時的なものだけれども、持病がある人というのは、ずっとこんな具合にいろいろなことが出来ない状態で生きてゐるんだよね。そういう人がたくさんゐることを思えば、自分の虚弱体質もなんだかありがたいもののように思えてくる。

これからはもっと気軽にマッサージやら整体やら治療やらに行ってみようと思う。自分にはしっかり体調管理をしたり身体を正しくケアする能力がないのだから、プロにまかせたほうがよろしい。他力本願(ちがうか)。

数日のあいだ読み書きがまったくできないことは凄く苦痛だった。まったく無益で無駄な時間を過ごしてゐるようで、ふさぎ込んだ気持ちになった。そして、そんなふうに時間に対して守銭奴のような態度をもってゐることについて苦笑せざるを得なかった。

なんにもしてない自分には価値がない。有意義に過ごしてゐないと不安になる。時間を有効に使ってゐないと自分の価値が減じる気がする。こういうのは現代を風靡してゐる病的心理であって、ぼくも深く毒されてゐるようだ。

資本主義の内面化といえるかもしれない。まことに、フ〇ック資本主義だ。