手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「平成時代」吉見俊哉

平成時代」2019 岩波新書

平成の三〇年間を「失敗の時代」として、経済・政治・社会・文化、それぞれの領域から論じる。

本格派の、とても勉強になる良書だった。いや、名著と言いたい。

こんなにいい本が900円で手に入る日本の書籍文化は素晴らしい。

しかしこういう良書を読みたいくらいに知的好奇心が旺盛なぼくは、それを買う金がなく、図書館でかりてきて読まねばならない程度に貧乏である。

33歳、独身、非正規、貯蓄ゼロ。

これはかなり底辺のスペックだ。

そして日本の支配層はまったく理解できてゐないようだが、実際のところ、ぼくぐらいの「底辺ぶり」は現在の日本では当たり前の前提であり、むしろましなくらいなんだ。

平成期の日本は、このような「底辺」の人間を増やしつづけ、それが社会の活力を削ぎ、衰退と没落は決定的なものとなった。

ぼくがこのような苦境にあるということは、ぼく自身の人生の「失敗」であると同時に、「平成という時代の失敗」でもあるだろう。

「底辺のスペック」ではあるが、幸いなことに、ぼくは世の中を恨んでをらず、夢も希望もあるし、このような書物を読んで世界を理解したいと思い、そのための努力を続けてゐるのだから、かなり恵まれてゐるほうだと思う。

そういうわけだから、「33歳、独身、非正規、貯蓄ゼロ。」だけを切り取って、世俗的な価値のなかに置くならば、ぼくの人生は「失敗」かもしれないのだが、ぼくは自分の人生を失敗だなどとは思ってゐない。

多くの人がそうだろう。

みんな必死に生きてきた。そして懸命に生きた人々がつくった平成という時代は、見事なまでの失敗に終わったのだった。

一九八九年から二〇一九年までの「平成」の三十年間は、一言でいえば「失敗の時代」だった。「失われた三〇年」と言ってもいい。この時代には、様々な分野で数多くの「失敗」が 繰り返されていったが、それらの「失敗」を数え上げることは容易でも、それら全体がどのように結びついていたのか、私たちはなぜ三〇年も「失敗」の連鎖から抜け出すことができなかったのかを示すことは容易ではない。平成の「失敗」は、いったいどこまで必然だったのかー。ヴァーサ号の建造がそうであったように、平成時代に誰かが大きなミスを犯し、社会を失敗に導いたとは必ずしも言えない。それぞれの組織や職場において、人々は精一杯の努力をしてきたように思う。それにもかかわらず、失敗の連鎖かれこれほど長い間、抜け出すことができなかったのはどうしてなのだろうか。 6頁

 この視点は大切だと思う。

「失敗」を認め、それと向き合い、検証することは、「マイナス思考」でも「自虐」でも、ましてや「反日」でもないのだ。

みんながんばってきた。それでも「失敗」だったのだ。

ぼくは1986年に生まれた。

小学生のときに起こった阪神淡路大震災オウム真理教事件が、記憶してゐる社会的事件としては一番古いものだ。

中学生のときには9.11同時多発テロが起こった。

高校生のときに小泉政権ポピュリズムが席巻し、ホリエモン村上ファンド的な拝金主義の世相となった。

大学生のときリーマン・ブラザースが破綻し、鳩山政権が生まれ、すぐに倒れた。

社会人になった年に東日本大震災が起こり、福島第一原発が爆発した。

そして第二次安倍政権が誕生し、日本人は失敗から目を背け、妄想の中に逃げ込んでしまった。

そうして平成が終わり、今に至る。

「冷戦期の繁栄」を知らないぼくにとって、「平成が失敗だった」という感覚は、とてもしっくりくる。容易に受け入れられる感覚である。

しかし、今の日本の支配層、また人口のボリュームゾーンである年代層、つまり高度経済成長やバブル期の日本を知ってゐて、それに郷愁を覚え、そこにアイデンティティの基礎を置いてゐる人々は、「平成が失敗だった」ということを受け入れられずにゐるようだ。

平成の失敗とは、単に経済成長が止まったとか、デフレが20年続いたという経済的な指標によってのみ語りうるものではなかった。

昭和の終わりから平成の始まりにかけて、世界規模で様々な構造的変化が同時に発生した。

そしてその様々な変化は、冷戦構造の中で繁栄した日本にとって克服することが難しいような種類の変化だったのだ。

昭和末期の日本にとって乗り越えられない構造的変化が、複合的、重層的に平成期の日本に襲いかかった。

本書によれば、それはグローバリゼーションであり、ネット社会化であり、少子高齢化である。

日本は、これらの構造的変化が起こる前に、最も繁栄した国だった。その状態で社会システムを構築し、世界認識をつくりあげた。

だからこそ、繁栄を支えてゐた構造が壊れたときに、日本は最も失敗した国となった。

今日本には韓国ヘイトが溢れかえってゐる。韓国いぢめを政府が率先して行い、それをメディアが煽り、内閣支持率は上昇してゐる。

冷戦期に最も栄えた国が、冷戦をほんとうの意味で終わらせようとしてゐる国を叩いてゐるのだ。

世界史の必然はどちらに味方するだろうか。

 対内的には格差を拡大させ、分裂を強め続ける日本に未来がないのと同じように、対外的にはすでにその覇権に陰りが見え始めているアメリカにすがり続け、アジアとの関係を根本から再構築しようとしない日本には未来はない。平成は危機の時代であり、この危機の時代は平成が終わってもしばらくは続く。小手先細工では、危機から脱することはできないのだ。しかし同時に、人も社会も危機のなかでしか自らを変えていくことはできない。だから何よりも重要なのは、危機の実相を正面から見据え、危機を危機として誰しもがしっかりと理解することである。 248頁

危機感が足りないようだ。

「まだ大丈夫だ」と思ってゐる人がたくさんゐるから安倍政権が続いてゐるのだし、やっぱり五輪は開催するのだろう。

もっとひどいことにならないと、変われないということだろう。

それまで当分のあいだ、社会の「弱い環」が割りを食うことになる。

ぼくとしては、勉強する以外にない。

沖縄について、韓国について、そしてサンフランシスコ体制について、地道に勉強を続けていこう。

最後に、本書の要約とも言える部分を「おわりに」の中から、長くなるが、引用しておく。

これを読んで関心をもった方は、是非、本書を手にとってみてください。

  すでに論じたように、この三〇年間は、何よりも「失敗」と「ショック」の時代だった。本書ではまず、「平成」がはじまる直前の金融政策の失敗がいかにバブル経済を肥大化させ、またその崩壊後、日本企業が未来を見誤りどう失敗を重ねていったかを検証した。次いで、政治改革から政治主導に向かうことを目指した平成の政治が、日本新党ブームや社会党の自滅、小泉改革ポピュリズム、そして民主党政権の大失敗を経て安倍政権の官邸主導に行き着く過程を確認した。さらに社会の次元で、平成の日本を襲った様々なショックが、外発的であると同時に内発的でもあったこと、つまり二つの大震災は外からもたらされたものでも、福島第一原発事故はもちろん、オウム真理教事件や社会に悪意を抱いた数々の犯行、それに格差の深刻な拡大と止まらぬ少子化等々は内発的なショックであり、それらは日本社会を根底から変えつつあることを指摘した。最後に文化の次元では、諸々の崩壊を予言するかのように、昭和の終わり頃から日本が「終末」の予感にとらわれてきたこと、そして平成を通じ、戦後に作り上げられたアメリカニズムとナショナリズムが一体化した文化の体制が崩れたことを示した。

 いうまでもなく、この変容を通貫していたのはグローバル化とネット社会化である。平成の日本が不運だったのは、このグローバル化とネット社会化による社会システムの基盤的な変容が、ちょうど経済や人口構造の衰退期に一致してしまったことだ。中国をはじめとする新興国のように、経済や人口の拡張期とこれらの変化が一致した場合には、変化を発展のための基礎とすることができた。しかし、高度成長期に政治経済の骨格ができあがり、バブルで頂点を極めてしまった日本社会は、そのバブル崩壊と人口減少、グローバル化、それにネット社会化が折り重なる平成時代を過ごさなければならなかった。しかも、他の先進諸国ならば、日本が一九九〇年代に経験する諸々の限界を、すでに七〇年代に深刻に経験しており、そうした状況への対応として社会の骨格を変化させてきていた。だから九〇年代は、欧米にとってはむしろ復活の時となったのである。ところが日本社会は、七〇年代の困難を社会の骨格を変化させないまま乗り越えていたから、九〇年代に何重にも荒波が襲ってきたとき、それらの荒波への対応と自らの構造改革を一挙に進めなければならない状況に直面したのだ。そしてすでに述べてきたように、平成の日本はこの困難を乗り越えることに失敗した。しかも、平成時代に日本が経験した困難は、七〇年代からの歴史の結果であり、そかから数えるならば半世紀に及んでいるわけだから、「平成」が終わってもそれで「ご破算」になるわけではまったくない。

 この困難な時代を本当に克服するには、過去の成功体験にしがみつくのではなく、そこにあった無数の問題、そして平成時代に顕在化してくる数々のショック、社会的な限界に目を凝らし、それらの「失敗から学ぶ」ことが何よりも必要である。もちろん、「失敗から学んだ」からと言って、それだけでは未来は開けてこない。それこそ文化的なイノベーションも、社会の草の根的な運動も、経済的なチャレンジも、政治的な手練手管も不可欠なのだが、しかしそれらの出発点は、「成功」の再演ではなく、「失敗」からの学習でなければならない。 218-220頁