手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「母性のディストピア」宇野常寛

母性のディストピア宇野常寛 集英社 2017

熱い本だ。

批評って不思議だな。アニメーション作品に戦後日本の精神構造(母性のディストピア)があらわれてゐて、それを緻密に解剖していくのだけれど、読んでるとなるほどたしかにそうなってるなあと思う。

最終章でいかにして「母性のディストピア」から抜け出し「終わらない戦後」を終わらせるのかについての宇野さんの回答が示される。

吉本隆明の対幻想概念を駆使して「母性のディストピア」に回収されない主体の形成を提案し、その具体像として「シン・ゴジラ」で表現されたオタクたちの成熟を例示する。ここの手際には興奮した。

(・・・)問題は共同幻想の性質ではない。天皇に依存する人間は戦後民主主義にも依存し、決して自立することはない、という諦念が吉本隆明の立脚点であった。消費による自己幻想の肥大は、今日の20世紀的イデオロギー回帰への処方箋にはなり得ない。消費社会の精神では情報社会の病を克服できないのだ。それは言い換えれば、情報社会に耐えうる幻想をどこに求めるのか、どう育成するのかという問いでもあり、ドナルド・トランプに回収されない個をどう育成するのかという問いだ。 450頁

(・・・)このグローバル/情報化された世界におけるネットワーク社会下では、時間的永続に規定された対幻想(夫婦/親子的なもの。「母性のディストピア」構造によって共同幻想に転化する)の相対的な希薄化に比して、空間的永続に規定された対幻想(兄弟/姉妹的なもの)が強く機能するようになる。それは平易に言い換えれば地域コミュニティからテーマコミュニティへの、中間的なものの変化だ。かつて吉本が国家という共同幻想と接続し得るものとして切り捨てた兄弟/姉妹的な対幻想こそが、今世紀においては零落した共同幻想としての国家/イデオロギー回帰への抵抗の拠点となり得るのだ。 460-461頁

シン・ゴジラ』に登場する技官、研究者たちの動機はナショナリズムでもなければ、父性の獲得でもない。ただ目の前にある情報を整理し、謎を解き明かし、情況をコントロールすることだ。彼らの発揮する公共性は、こうした快楽に結びついている。おもしろいこと、気持ちのいいこと、夢中になれることと結びついた公共性への回路が、ここに出現している。 468頁

 

 

(吉本の「幻想」概念ってすごい発明だな)