手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「日本近現代史講義」山内昌之/細谷雄一 編著

日本近現代史講義山内昌之/細谷雄一 編著

8月14日。大型の颱風が近づいてゐる。明日近畿に上陸。新幹線一部運休決定。東京はまだ晴れてゐる。午後から雨らしいが犬のシャンプーを予約してゐる。豪雨でなければなんとかなるだろう。シャンプーのあいだに中華料理屋で胡麻団子を食べる予定。たまに贅沢をする。盆だし、颱風だし、なんかハレの日。

吉本新喜劇桑原和男の訃報に接す。「ごめんください、どなたですか」の。衆人環視のなかで性的な妄想をして「ああ、そこそこ、ガクッ」とか、布製のしなしなおっぱいを放り出して男の口に押し込むとか、すごいキャラだった。

彼のギャグに、性的な妄想をして気持ちよくなった最後に「ああん、マッカーサー」と決め台詞を言うのがあったと思う。「昔のことを思い出して」と続く。占領期、米兵相手のパンパンがたくさんゐたことや、マッカーサーが帰るときに何万もの日本人が空港で見送ったことなどが記憶されてゐることが前提のギャグだ。子供の頃、分からないながらに笑っていた。

麻生太郎が台湾で「いざとなったら台湾防衛のために防衛力を使う、戦う覚悟だ」という意味のことを言ったそうだ。「政府内部を含め、調整をした結果」とのこと。無茶苦茶だ。専守防衛はいづこへ。存立危機事態? でも日本はいちおう台湾が中国の一部であると認めてゐるので要件を満たさないのでは・・・

イキって煽って、戦時意識を醸成して増税改憲が狙いですか。お願いですから、現状維持のための外交をやってください。

日本の夏、敗戦の夏、ということで歴史の本など読んでゐる。「日本近現代史講義」第12章「戦後日中関係」は日本と中国・台湾との関係を手際よく纏めてくれてゐてたいへん勉強になった。

 日本国内でも「ニクソン・ショック」を受けて状況が動きはじめた。財界からの訪中団派遣が相次ぎ、国内では「中国ブーム」が巻き起こった。さらに一九七一年十月には、国際連合において、中華民国が国連から脱退して、ついに中華人民共和国の国連加盟が実現した。これを受けて日本の政府内でも、台湾との断交を前提とした日中国交正常化を支持する声が強まるようになるのである。

 日中国交正常化交渉をリードしたのは終始中国側であった。佐藤政権が退陣して田中角栄政権が発足したとき、中国側はすでに国交正常化の準備を開始していた。一九七二年七月に田中政権が成立すると、中国側は、これまで争点としてきた安保問題や台湾問題について柔軟な姿勢をとるようになった。さらに戦争賠償の請求を公式に放棄することも初めて明示した。中国側は対日要求を日本と台湾との外交断絶に絞ることで、日本側に国交正常化の決意を促したのである。

(・・・)

 台湾問題については、共同声明調印後に大平外相が日華平和条約の「終了」に関する声明を行う形で合意が図られた。日本を悩ませてきた「二つ中国」問題は、日華平和条約の「終了」と引き換えに日台民間関係を維持するという、これまでの日中関係の「政経分離」を逆転させる形で決着したのである。 261-262頁

憲法のこと。

一、敗戦→占領→憲法→軍備放棄

二、朝鮮戦争再軍備自衛隊

三、一と二の矛盾を解釈で解消⇒自衛隊は合憲/集団的自衛権は認めない

四、存立危機事態のときに集団的自衛権の行使可

五、日本への攻撃及び存立危機事態のときに反撃能力の行使可

四と五は本当に最近のこと(安倍と岸田)。二つそろって、存立危機事態のときは日本を攻撃してゐない他国を攻撃出来るわけでしょう。それってふつうに「戦争放棄」の放棄ぢゃないか。みなさんそれでよろしいのか。

でもそのなし崩し的な平和主義の放棄を許したのは、そもそも一と二の矛盾を解釈で誤魔化すという三の状態を、一とニの歴史的経緯が忘れられるほど長いあいだ放置してきたからだ。戦争を知らない子供たちの国になり、「戦争放棄」がイヤになってきた。

まづいと思う。言葉(概念)とそれが意味するものとが乖離して議論がむづかしくなってゐる。これほど概念が混乱しては考えることが出来ないから、中国や北朝鮮の脅威を煽ればなんでも出来るわけだ。

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