手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「NHK100分de名著 西田幾多郎『善の研究』」若松英輔

NHK100分de名著 西田幾多郎『善の研究』若松英輔 NHK出版 2019

善の研究」は図書館や古本屋でパラパラめくったことがあるだけで、まだ挑戦したことはない。本書を読んで、きっといつか読もうと思った。「絶対矛盾的自己同一」なんていう鍵語だけ頭にあって、こういうことが書いてある本だとはまったく知らなかった。若松さんの著書はたぶん4,5冊読んでゐる。いつも感動する。

以下は、西田がモーツァルトを論じたくだりを引用した直後の文章。大切。

 美しいものにふれることと、大いなるものを信じることとは同質の経験である。美の経験とは、美を通じて人間を超えるものにふれようとすることであるというのです。また西田は、「かかる直感は独り高尚なる芸術の場合のみではなく、すべて我々の熟練せる行動においても見る所の極めて普通の現象である」(同前)とも述べています。

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 西田の言葉が本当であれば、たとえば日々、料理を作るとき、掃除をするときなどにも「知的直観」は開かれていることになります。そこに音楽や絵画のように表現されたものがなくても、人間は日々の生活で「知的直観」を深く経験し、体現している、というのです。しかし、そのことに私たちはあまり自覚的ではありません。問題は「知的直観」が働いていないことではなく、それを自覚できていないことなのです。

善の研究』で一貫して述べられているのは、日常の再発見です。

 何気ない姿で日常に存在するものを、日常の外に見出そうとしても、永遠に見つけることはできません。西田の言葉を信じるなら、私たちは「実在」を外の世界ではなく内なる自分に見なければならない。日常で「純粋経験」を生きてみなくてはならないことになります。

 まだ見ぬ未来や外の世界を凝視するより、己れのなかにすでに在るものを見つめる。それが西田の哲学の基点であり、究極点でもあるのです。 89ー90頁