手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

芥川龍之介の陰謀

もっとも典型的な陰謀論の語り口に「○○は死んでゐる/生きてゐる」というのがある。キム・ジョンウンは死んでゐるとか、マイケル・ジャクソンは生きてゐるとかいうもの。生を否認することで死を捏造し、逆に死を否認することで生を捏造する。否認することにより別の事実への「可能性」が生まれる。

「可能性」が生まれたらあとは何とでも言える。関東大震災の直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という噂が飛び交い、日本人が多くの朝鮮人を虐殺した。これは事実であり、裏付ける証言も資料もある。その証言や資料を否認してしまえば、虐殺はなかったとも言えるし、井戸に毒を入れたのは本当だったとも言える。

証言や資料といったエビデンスは大切だが、他方でエビデンスそのものを信じるか信じないかはもっぱら人間の感情やら良識やらにかかってゐるから、エビデンス「だけ」に頼ってゐると、それを信じない人間を翻意させることができないし、ウソのエビデンスを出されたときにうっかり信じてしまうことになる。

このあたりの気味合いを描いた短篇が芥川龍之介の「西郷隆盛」だ。若者が「西郷隆盛は生きてゐる!」という陰謀論をうっかり信じそうになる話。

この小説は、史学科卒の本間さんが「真偽の判断は聞く人の自由です」と言って芥川に語った話を芥川が文章にしたという体裁をもつ。芥川にはこの種の「○○から聞いた話」型の小説がすごく多い。伝聞という形式をとることで事実がフィクションになる、逆にフィクションでも事実らしく見えるという仕組を利用して短篇を量産した。

そしてこの方法論はまさに「西郷隆盛」の主題そのものでもある。

史学科の学生・本間さんは列車で老紳士と出会う。論文の題目は何かと問われた本間さんが「西南戦争です」と答えると、老紳士は次のように言う。

西南戦争ですか。それは面白い。僕も叔父があの時賊軍に加わって、討死をしたから、そんな興味で少しは事実の穿鑿をやって見た事がある。君はどう云う史料に従って、研究されるか、知らないが、あの戦争については随分誤伝が沢山あって、しかもその誤伝がまた立派に正確な史料で通っています。だから余程史料の取捨を慎まないと、思いもよらない誤謬を犯すような事になる。君も第一に先ず、そこへ気をつけた方が好いでしょう。」

正確だとされてゐる史料にもウソが多いから気をつけろと。ところが本間さんの方ではそう警戒する必要も感じられない。いったいどういう誤伝があり、どのような事実をあなたは発見したのか。本間さんが訊くと、老紳士は西郷隆盛が城山の戦いで死んだというのはウソであると答える。

「しかもあの時、城山で死ななかったばかりではない。西郷隆盛は今日までも生きています。」

きみが西郷隆盛が死んだと信じてゐるのは、史料に書いてあるからでしょう。史料が正確であるという假定のうえに立って、西郷隆盛が死んだと言ってゐる。でも史料は現実そのものではない。わたしはあなたの信じる史料を否定する。だからあなたがいくら史料を弁護しようとナンセンスである。

わたしには弁護ではなく実証がある。それをお見せしよう。

「それは西郷隆盛が僕と一しょに、今この汽車に乗っていると云う事です。」

本間さんが老紳士に連れられて別の車両に行くと、なんとそこに西郷隆盛が座ってゐる。山のように大きな、堂々たる風貌。写真で見た通りの、あの西郷隆盛である。本間さんは不安になる。自分の頭を信じるべきか、自分の目を信じるべきか。

老紳士は畳みかける。

「そこで城山戦死説だが、あの記録にしても、疑いを挟む余地は沢山ある。成程西郷隆盛が明治十年九月二十四日に、城山の戦で、死んだと云う事だけはどの史料も一致していましょう。しかしそれはただ、西郷隆盛と信ぜられる人間が、死んだと云うのにすぎないのです。その人間が実際西郷隆盛かどうかは、自ずからまた問題が違って来る。ましてその首や首のない屍体を発見した事実になると、さっき君が云った通り、異説も決して少くない。そこも疑えば、疑える筈です。一方そう云う疑いがある所へ、君は今この汽車の中で西郷隆盛――と云いたくなければ、少くとも西郷隆盛に酷似している人間に遇った。それでも君には史料なるものの方が信ぜられますか。」

老紳士が意地悪をするのもここまでで、この後は「あの男は西郷隆盛によく似た男にすぎない」という「真実」が明かされて終わる。老紳士はどこかの大学の先生で、本間さんがあまりに真面目だからからかいたくなり陰謀論をふっかけたのだった。

強固なエビデンスがあってもいろいろ理屈をつけてひっくり返すことができる。そこへ目に見える「真実らしきもの」を提示すれば、真面目なひと、エビデンスを盲目的に信じてゐるひとほど騙されてしまう。

わたしは昨年この小説を読み、近年流行してゐる陰謀論歴史修正主義の論理とそれを信じてしまう心理をきれいに描いてゐるのに驚いた。虚実はあっさり反転する。いかにこれに対抗するかについて、もちろん芥川は答えを出してゐない。

それは文学の仕事ではなく、政治の仕事だろう。懐疑をどこかで断ち切り、こうであるという暫定的事実を認め、決断すること。そして言葉で論理を組み立て、説得し、納得させること。