手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「セックスレス亡国論」鹿島茂

セックスレス亡国論鹿島茂 朝日新書 2009

お稚児趣味

日本は伝統的にセックス自由の国であるが、戦国から江戸にかけて、武士階級が禁欲的な性道徳をもってゐた。外で戦ってゐるときに奥さんに好き勝手セックスされてしまったら困るからだ。「節婦は二夫にまみえず」である。

鹿島 では武士階級はどこで性欲を発散するのか。この問題の解決のために生まれたのが「衆道」、いわゆる「お稚児趣味」です。合戦に出るとき、武士たちはお稚児さんを連れて行って戦場で性欲処理したのです。

MJ 男同士の恋愛ですか!

鹿島 これは濃密でした、切った、はったの世界です。高倉健の映画にも出てくる「死ぬときは一緒」というのは、お稚児さんとの固い固い男同士の愛なのです。歴史学者氏家幹人さんによると、この男同士の愛が、平和になって男女間に移され、心中というイデオロギーに生まれ変わったということです。とにかく、日本でお稚児趣味はとてもいいこととされていました。ヨーロッパと違って、日本ではアナルセックスは許されていたのです。恋愛、快楽は男同士。子づくりは家庭でする。これが武士の考え方です。

MJ お稚児さんには、どのような人がなったのですか?

鹿島 今でいうジャニーズ系の若い美少年です。日本のホモセクシュアルは、若い男でなければならない。若い男を掘る、これはOKです。しかし、成年に達した者が掘られる、これは禍々しいこととされました。

MJ 少年を相手にしたセックスしか許されていなかったのですね。

鹿島 元服して一人前の男になったら、今度は掘る側に回らなくてはいけない。それが日本における衆道の原則です。3代目将軍家光は、年をとっても「掘られるのが大好き」で、周りの者が困っていました。 151-152頁

設計ミス

セックスにおいては、男にとって気持ちのいいものは女にとって気持ちのいいものではなく、女にとって気持ちのいいものは男にとっては気持ちのいいものではないという大原則がある。これを「セックスの非対称性の原則」と呼ぶ(鹿島さんは)。これは明らかに、神様の設計ミスだ。

鹿島 この点でも、神様は設計ミスをしたのではないかと思います。男のピストン運動が女性に快楽をもたらすようにしておけば、すべては解決したのに、なぜか、そうはしなかった。やはり、根本的な設計ミスじゃないかと思います。男と女で、快楽を得るポイントがそれぞれ違うようにできているのですから。それが、今日の男女の分かれ道をつくってしまったのです。男は、ピストン運動を模したオナニーでオーガズムを得られれば、それで満足してしまうことが多いけれど、女の人は、オナニーのオーガズムだけではおおいに不満が残る。これは女性にとって悲劇です。

MJ 本当にその通りです。女性の場合は、物理的な刺激だけでは男性のようにオーガズムに達せませんから。オーガズムを得るための前提条件として、体全体がリラックスして、身体の隅々まで放恣に開いていなければならないと思います。言いかえれば、それだけ無防備な状態になるためには、相手の男性への絶対的な信頼感、つまり愛されているという確信が必要なんです。Gスポット云々かんぬんは、その先の話です。だから、その前後の過程が「面倒くさい」なんていう男性とは、金輪際、オーガズムは訪れないと断言します。 177-178頁