手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「脱成長」セルジュ・ラトゥーシュ

脱成長セルジュ・ラトゥーシュ 2020 白水社 訳:中野佳裕

 脱成長という語は、概念ではない。また、経済成長の対義語でもない。脱成長は何よりも論争的な政治的スローガンである。その目的は、我々に省察を促して限度の感覚を再発見させることにある。特に留意すべきは、脱成長は景気後退やマイナス成長を意図していないという点だ。したがって、この語は文字通りの意味で受け取ってはならない。縮小するために縮小することは、成長するために成長するのと同じように馬鹿げたことだ。「脱成長派」ーー脱成長運動の賛同者のことを人々はそのように呼ぶーーは、生活の質、空気や水の質、そして経済成長のたえの経済成長が破壊してきた多くの物の質を向上させることを望んでいる。 8-9頁

なるほど、「脱成長」は政治的スローガンであり、決して景気後退やマイナス成長を意図するものではない。経済成長を崇拝すること(成長至上主義)をやめよう、という運動であると。この運動は人類の思想的な大転換を企図するものであり、終章では「再魔術化」という概念を提示する。

 脱成長社会の実現は、世界の「再魔術化」という問題を提起する。この言葉によって、脱成長という宗教を発明しなければならないのだと誤解してはならない。そうではなく、聖なるものの意味を再発見し、人間の精神的次元ーーこのスピリチュアリティは完全に世俗的なものでありうるーーに再び正当性を与え、さらには〔世界の美しさに〕驚嘆する能力を回復することが重視されるべきだ。詩人、画家、あらゆるタイプのアーティストーー端的に言えば、有用性のないもの、無償のもの、夢の世界のもの、我々自身の犠牲にされた部分を扱うすべての専門家ーーは居場所を見つけ、「内在的超越」と逆説的に呼ばれうるものへの道を拓いていかねばならない。 141頁

この本の言葉使いはいかにも左派的で、生真面目で、説教臭くて、面白くないけれども(すみません!)、大きな方向性としてはこれしかないように思う。というか、人々の意識も、世界も、その方向に動き出してゐるように思える。「再魔術化」みたいな術語を使わないだけで。

ただ「脱成長」という言葉はどうしても成長そのものに反対してゐるような印象を与えるので、スローガンとしてはよろしくないと思う。豊かになりたい、もっといい生活がしたいという普通の感覚に対立してしまうから。(でもスローガンてそんなものか)

ぼくは、週休三日制とベーシックインカムの導入を望んでゐる。それはだいぶ先になりそうだけれど、消費税の減税や低所得者所得税免除などはすぐにできるのではないかしら。いいかげん富裕層からたくさんとって貧困層に還元するということをちゃんとやってもらいたいものだ。自己責任論は本当に有害。

岸田新首相の「新しい資本主義」はアベノミクスを継承し、消費税はそのまま、金融所得課税も撤回し、成長の果実を労働者に行き渡らせるものらしい。成長なくして分配なし。これは新しいか? 政権交代するしかない。野党共闘にがんばってほしい。

立憲民主党の公約では「時限的に、年収1000万円程度まで個人の所得税を実質的に免除し、消費税率を5%に引き下げる」とする。「時限的」と書く必要があるのか、5%では弱くないか、とか思うが、とにかく政権交代が必要だと考えるので、がんばってください。ほんとうに、自民党政治を終らせないとダメだと思います。