手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「新宗教を問う 近代日本人と救いの信仰」島薗進

新宗教を問う 近代日本人と救いの信仰島薗進 2020 ちくま新書

日本人の宗教意識の変遷について知りたいと思って読んだ。面白かった。こんなふうに手頃なサイズで全体像を提示してくれる本というのは本当にありがたい。感謝です。創価学会、大本、天理教オウム真理教などを紹介しながら新宗教の興隆と低迷を描き、最後に「新宗教以後」のスピリチュアリティについて触れて終る。

スピリチュアリティの問題はまさに現在進行形のことであり、コロナ禍によってさらに増大したように見える現代人の生の不安が、今後どういう方向に救いを求めていくのか、ぼくも強い関心を持ってゐる。アジア蔑視的愛国教がさらに亢進するのだろうか、それは勘弁してほしいものだ。

みなこういう実存的不安についてどう考えてゐるのだろう。日本社会はとうぶん沈んでいくことは間違いないし、人類が資本主義にブレーキをかけ、この非人道的な格差を解消し、気候変動にうまく対応できるとも思えない(もちろんそれが出来たらよいに決ってゐるが)。

とすると、生の不安を「右肩上がりの成長」とか「よりよい暮らし」とか「普通の幸せ」によって埋め合わせることは到底できないのである。地位や収入やいいねの数など、不確かな世俗的価値基準に自己の実存を預けるわけにはいかない。

いまコロナパンデミックで最も深刻な被害を受けてゐるのはインドだ。巨大な人口を抱え、猛烈な格差が存在し、衛生環境も悪いインドのような社会は感染症に弱い。そのインドで、牛糞を体に塗ってコロナを撃退するセラピーが行われてゐるらしい。

たしかに非科学的で、とても汚い。しかし政治も科学もジャーナリズムもぼくたちを救ってくれない。ワクチンはまわってこないし、医療も受けられない、そういう状況に追い込まれれば、この種のおまじないに救いを求める人が出て来るのは当然のことだ。

おまじないでは日本だって負けてゐない。まだ体に牛糞を塗りたくる人は出てゐないが、500億円かけて布マスク2枚を配布するのもおまじないであり、酒の提供を禁止せよというのもおまじないであり、オリピックを開催すれば日本が元気になり、絆が回復されると考えるのもおまじないだ。

牛糞だって真剣にやれば効果があるかもしれない。日本はどうだろうか。コロナ対策も、東京五輪も、ぼくにはとても真剣とは思えない。本気で感染を抑えて五輪をやりたいなら、ちゃんと考えて、いろんな手を打って、国民を説得すると思うのだ。しかしそれをしない。浅薄な思いつきとやってる感とお体裁だけ、という印象。

以下、メモをば。

 宗教史を広く見渡すと、江戸時代には仏教が国教的な一面をもっていたものの、その権威は次第に弱まっていった。民衆は檀家制度によって一様に仏教寺院に所属しなければならなかったが、多くの民衆は講集団などを通じて伝統仏教の枠を超える活動に向かっていった。一方で、武士階級は次第に儒教に影響されていくが、儒教を学ぶ知識層はやがて仏教に対して批判的になっていく。さらにそこに神道の教えが入ってくる。当時の日本人の一割足らずではあるが、支配的階層だった武士が、時代を追うにつれて仏教離れをし、儒教にもとづいて国を治めるという意識を強めていった。

 さらに明治時代になると、政府は神道に期待をかけることになる。ところが、明治のはじめの段階でいえば、民衆の中に神道の基盤はほとんどない。国家体制は整えたものの、神道と一体であるはずの天皇に対する国民の崇拝はそれまでほとんど浸透していなかった。当時は、多様な進行が並存せざるをえない形になっていた。その中で民衆に基盤がある神道色の強い宗教団体を国家側に取り込もうとして、教派神道の公認が進められたのだった。

 この章の冒頭に投げかけた問いに帰ろう。日本人は精神文化の多くを新宗教に負っている。だが、新宗教は今もなお、十分な社会的信用を得られない宗教勢力であり続けている。だから、自分が新宗教に属していることを他者に表明しにくいのだ。それはなぜか。

 体制側の枠組みをはみ出るような民衆主体の宗教集団は、日本の宗教史に根強く存在してきた。奈良時代に民衆の指示を得て一時は禁圧されたが、大仏建立のときに登用されて「大僧正」の地位につくまでになった行基の例を思い出してもよいだろう。民間の宗教勢力がいつしか無視できぬ勢力をもつようになると、政府も支配層も知識層もその存在を容認し、しばしばその力に頼らざるをえない。これは世界的にあることだが、日本の宗教史では、江戸時代以後、キリシタン弾圧の結果、逆説的にこのような構造が温存されてきた。近代においてはそれが新宗教という形をとり、やがてかなり大きな勢力をもつ状況を形づくってきた。創価学会を支持母体とする公明党新宗教教団が有力の支持基盤の一角をなす日本会議が大きな影響力をもつ今もそれは続いている。 187-189頁