手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「漢文脈と近代日本」齋藤希史

漢文脈と近代日本齋藤希史 NHKブックス 2007

いろいろと蒙を啓かれた。感動した。

著者によれば、日本の知識階層のうちに素養としての漢文が定着したのは近世以降のことらしい。特に重要な契機となったのは松平定信による「寛政の改革」と、頼山陽の「日本外史」である。

1790年、寛政の改革の一環として「異学の禁」が行われた。その主眼は幕府における教学の標準を定めることである。ここで儒教の経典の解釈学として朱子学が正統と位置付けられ、陽明学や古学などは禁じられた。幕府による教育=登用システムの確立したのである。

これが各藩に波及し、家臣教育の充実を図る学問奨励策として広く受け入れられた。解釈を朱子学に一本化することで、カリキュラム化が可能となり、教育のモデルが出来たのである。各藩は学問所(藩校)を開き、ここで漢籍素読が行われ、漢文を読み書きするという行為が全国に広がることとなった。18世紀末から19世にかけてのことだ。

 朱子学儒学をシステム化したのです。個人と精神修養としても、世界の把握としても、政治の方法としても。理気二元論を基盤に構成された秩序には外部が存在しません。すべてはその秩序へと向かいます。しかも、その秩序は上から押し付けられるものではなく、あくまで自発的なものです。 46頁

 朱子学がシステム論であるならば、それを教学の中心に据えれば見通しのよい社会ができると考えても不思議はありません。逆に言えば、それを嫌う学問を教学の中心に据えるわけにはいかないはずです。秩序の外部を志向されては困るのです。実際、日本における朱子学は正学たるべくして正学とされたところがあります。古学ーーーさらにその展開としての徂徠学ーーーや陽明学は、むしろ反朱子学的な存在としてこそ光を放つように思います。もともと野党的なのです。 47頁

頼山陽(1881~1832)の「日本外史」についての記述もすこぶる面白い。このように重要な書物であるとは知らなかった。1826年に完成した日本外史の発行部数は30万、あるいは40万に達するという。

日本外史の特徴はわかりやすい漢文、朗誦しやすい漢文で書かれてゐることである。声に出して読んだときに、語気が快く、音調に優れる。この名調子がいかに生れたか、ここにぼくは凄く驚いたのだけれど、この頃、訓読の仕方、漢字音の読み方が変ったのだそうだ。

漢文に「履行」という語があった場合、その訓読は「履み行う(フミオコナウ)」と「リコウ」と二つの読み方がある。近世前期までの訓読はどちらも重んじたのだが、漢文が異国の古代言語であることを強調した荻生徂徠(1666~1728)の登場によって、日本語らしく読む前者の読み方が廃れてきた。

そして「リコウ」と字音でそのまま読む傾向が強くなり、訓読文は日常の言語とは違う人工的な言語であるかのような響きを持つことになった。頼山陽はこのリズムを体得し、声に出して気持がいい漢文で「日本外史」を書いたのである。

やがて漢文という書記言語における訓読という行為は付随的なものから中心的なものへと移行し、これが明治の公式文となった。

と、このあたりまだ序盤であり、ここからさらに面白いのだけれど、仕事が終ってゐないので、以下、核心部だけノートにとっておく。自分で考えてまとめる時間をつくるべきなのだけれど、なかなかそうもいかない。そんなもん、そんなもん。

 訓読文と言文一致ーーーもしくは現代文ーーーとは、だいぶ違うように見えますが、文章(エクリチュール)の重心を、これまで積み上げられてきたことばの集積に求めるのではなく、いま語ろうとしている事物や心をそのまま表現することに置くという点で、それらは一つの流れにあると言ってよいものです。言文一致の特徴である口語性は、目の前にある事物や心を、ことばの集積とは無関係であるかのようにそのまま表現するという志向を促進するために採用されているのであって、その志向自体は、漢文から訓読文への転換によって始まったものなのです。(・・・)それはやはり現代文への志向によって漢文から離脱しようとした文体と見ないわけにはいかないでしょう。

 そして、さらなる離脱のために、古典文の要素をいっそう払拭するために、より透明なことばへと向かうために、口語への接近が図られたのだと言ってよいのです。(・・・)簡単に言うと、訓読文が脱=漢文だとするならば、言文一致体は、反=漢文として成立しているものなのです。 207=208頁

いまぼくたちが生きてゐるのは「脱=漢文」の訓読文を経た「反=漢文」の言文一致の世界である。日本の近代は漢文脈を捨てて成立した。とすれば、なぜ捨てたのか、それを捨てたぼくたちは何者なのか。考えなくてはならない。ぼくたちが遠ざけてきた世界がどのようなものであったのかをもう一度知ることが必要だ。

 先人たちは漢文と格闘し、ある者はそこに生き、ある者はそこに風穴を開け、ある者はそこから外へ出て行きました。それによって、今の私たちのことばが成り立っているとすれば、私たちのことばが何であるかを知るためにも、今後は逆の方向から、漢文脈の世界へと足を踏み入れる時期に至ったとは言えないでしょうか。 227頁