手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

中島敦の「李陵」

猛獣

中島敦の「李陵」を読み直した。なんど読んでも凄い作品だ。悲劇の武将李陵を中心に、武帝司馬遷、蘇武の性情と運命を描く。

同じく中島敦の「山月記」に、

「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。」

という言葉がある。人間の性情は猛獣である。この猛獣は天から与えられるものであり、これを容易に手なづけることはできない。性情という名の猛獣はしばしば猛獣使の制止をふりきって、主人を予想もしなかった運命にひきずりこむ。

李陵も、武帝も、司馬遷も、蘇武も、歴史に名を残した傑物。その性情たるや並みの人間の猛獣ぶりではない。猛獣が人間をしてときに偉業を為さしめ、ときに絶望的な不幸に突き落とす。

「我在り」という事実

権力者の周りには必ず佞臣酷吏が集まり、保身のための阿諛追従をなす。才気ある者は必ず嫉妬され、讒言を受けて失脚する。匈奴征伐に派遣された李陵が降伏し捕虜となったとき、彼を弁護したのは司馬遷だけだった。武帝の逆鱗に触れた司馬遷宮刑(男を男でなくす刑)に処される。

彼は煩悶のうちに思索する。いったい、なぜ自分がこのような辱しめを受けねばならぬのか。なにが悪いのか、だれが悪いのか。

(・・・)心の傷だけならば時と共に癒えることもあろうが、己が身体のこの醜悪な現実は死に至るまでつづくのだ。動機がどうあろうと、このような結果を招くものは、結局「悪かった」といわなければならぬ。しかし、どこが悪かった? 己のどこが? どこも悪くなかった。己は正しい事しかしなかった。強いていえば、ただ、「我在り」という事実だけが悪かったのである。 「ちくま日本文学12 中島敦」131-132頁

司馬遷は「我在り」という悪のために、男でなくなり、絶望の末に、人間として生きることをやめた。彼は畢生の大事業たる史記の完成のために、「知覚も意識もない一つの書写機械」として働くことを決意する。

運命と意地の張合い

李陵は捕虜となりながら匈奴に歓待され、厚遇を受ける。当初は単于の首を取り帰還する計画を胸に秘めてゐたが、好機は訪れず、武帝に家族を殺され、忠誠の心も廃れてしまう。やがて草原の生活に馴染み、妻を娶るまでになる。

自身の不遇と不運を受け入れ、蛮族の大地で余生を過ごせばよい。そう決心したころ、李陵は旧友・蘇武と再開を果たす。蘇武は李陵より以前に使節として匈奴の地にやってきたのだが、内紛に巻き込まれ囚われの身となってゐる。

蘇武は李陵とは異なり、降伏せず、荒涼たる厳寒の地でひとり牧羊者として暮らしてゐる。李陵は蘇武に降伏をすすめるために会いに行ったのである。

李陵には蘇武の行動が理解できない。なぜ降伏しないのか、なぜ自殺しないのか、彼の行為が報われることはないのに。

(・・・)運命と意地の張合いをしているような蘇武の姿が、しかし、李陵には滑稽や笑止には見えなかった。想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、(しかもこれから死に至るまでの長い間を)平然と笑殺して行かせるものが意地だとすれば、この意地こそは誠に凄じくも壮大なものと言わねばならぬ。(・・・)しかもこの男は自分の行が漢にまで知られることを予期していない。自分が再び漢に迎えられることはもとより、自分がかかる無人の地で困苦と戦いつつあることを漢は愚か匈奴単于にさえ伝えてくれる人間の出てくることを期待していなかった。誰にもみとめられずに独り死んで行くに違いないその最後の日に、自ら顧みて最後まで運命を笑殺し得た事に満足して死んで行こうというのだ。誰一人己が事蹟を知ってくれなくとも差支えないというのである。 同 155-156頁

聞くまでもなく、蘇武には降伏する気がない。こんな人間が存在することが李陵には信じられない。蘇武の前に立つと、いくら「やむえない」と自分を納得させてゐても、匈奴の妻を持ち匈奴の服を着る自分という人間が小さく感じられる。まさに「蘇武在り」という事実が、李陵を苦しめる。

 南に帰ってからも、蘇武の存在は一日も彼の頭から去らなかった。離れて考える時、蘇武の姿はかえって一層きびしく彼の前に聳えているように思われる。

 李陵自身、匈奴への降伏という己の行為を善しとしている訳ではないが、自分の故国につくした跡と、それに対して故国の己に報いた所とを考えるなら、いかに無常な批判者といえども、なお、その「やむをえなかった」ことを認めるだろうとは信じていた。ところが、ここに一人の男があって、いかに「やむをえない」と思われる事情を前にしても、断じて、自らそれは「やむをえぬのだ」という考え方を許そうとしないのである。

 飢餓も甘苦も孤独の苦しみも、祖国の冷淡も、己の苦節がついに何人にも知られないだろういうほとんど確定的な事実も、この男にとって、平生の節義を改めなければならぬほどのやむをえぬ事情ではないのだ。 同 157-158頁

重要なのは、蘇武は天を信じてゐるのではないということである。至誠天に通ずと考えてゐるのではない。いつか漢に帰って名誉を回復できる日が来るなどとは考えてゐない。誰も自分の戦いを知らなくてけっこう、報われずともよい。「最後まで運命を笑殺」してやろうという「凄じくも壮大な」意地なのである。

ところが、運命を拒否し、平生の節義を貫く蘇武に対し、天は手を差し伸べる。

天は見てゐる

蘇武は偶然にも漢に帰れることになった。李陵は動揺する。

 (・・・)再び漢に戻れようと戻れまいと蘇武の偉大さに変りはなく、従って陵の心の笞(シモト:人を打つための棒)たるに変りはないに違いないが、しかし、天はやはり見ていたのだという考えが李陵をいたく打った。見ていないようでいて、やっぱり天は見ている。彼は粛然として懼れた。今でも己の過去を決して非なりとは思わないけれども、なおここに蘇武という男があって、無理ではなかったはずの己の過去をも恥ずかしく思わせることを堂々とやってのけ、しかも、その跡が今や天下に顕彰されることになったという事実は、何としても李陵にはこたえた。 同 163頁

これは深刻だ。なるほど確かに「天は見てゐる」と言いたくなる。蘇武の勝ちだ。しかし「天は見てゐる」と思ったのは李陵であって、蘇武ではない。蘇武は天が見てゐようとゐまいと関係なしに、運命と意地の張合いをやってゐた。彼は勝ち負けの埒外で生きてゐた。

自分にできないことをやってのけた蘇武が漢に帰れることになった、という事実が、李陵には、「天が見てゐる」ように見えた、ということなのだ。李陵がそう感じたに過ぎない。天が何を考えてゐるのか、蘇武がどう感じたのか、わかったものではない。

もちろん蘇武だって「やはり天は見てゐたのだ」と思ったかもしれない。けれども、そこは本質ではない。重要なことは、蘇武という存在があり、李陵ではなく蘇武が戻れるように運命が動き、そこに至って、李陵が「天は見てゐる」と感じたということだ。

再び、これは深刻だ。なんということだろう。蘇武がゐなければ、また蘇武の性情があんな猛獣でなければ、そして運命が彼を帰還させなければ、李陵はこのような天の厳粛なあらわれを目にすることはなかったのだ。しかもその蘇武は天などおかまいなしだったのである。天を信じてゐなかった蘇武が報われ、報われた蘇武を見て、李陵は天を知った。

この伝記の主人公は李陵ではなく、天、あるいは運命なのだとぼくは思う。小説「李陵」は、運命が人間世界にどのようにあらわれるか、天の差配が人間からどのように見えるかを描いた、打ちのめされるような傑作だ。