手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「インド美術史」宮治昭

インド美術史」宮治昭 2009 吉川弘文館

前にも書いたけれど、最近ひろい読みとか飛ばし読みができるようになって嬉しく思ってゐる。通読しないことへの抵抗がなくなり、平気な気持ちでページをすっとばすことができるようになった。

この本も通読はむづかしそうだったからパラパラめくってピンと来た箇所のみを読んでいった。たいへん面白かった。

カタックの動画をたくさん見て、ぼくの頭の中にはカタックの動き・かたち・リズムの巨大なデータベースができつつある。おそらく脳はぼくが感じたカタックのイメージを抽象化してさまざまな象徴や記号を生成し、具体的な動き・かたち・リズムをそれら象徴や記号によってタグ付けして記憶してゐる。

本を読むという行為は、イメージに学問的な基礎付けを行い、言語化可能にすることである。また書物の知は認識の枠組みをより精緻なものに変えてくれる。

だから勉強は楽しい。

以下、メモをば。

Ⅰ インド美術の先駆

☟はインダス文明(BC2300~1800年頃)の造形作品。

f:id:hiroki_hayashi:20200827205445p:plain

7頁 テラコッタ

 テラコッタ像の中ですばらしいのは牛の表現である。水牛もあるが普通にみられるのは瘤牛である。印章にみられた牛の表現と同じように、動物のもつ生命感に対する直観力は鋭く、生き生きと造形されている。このような巧みな動物の生命力の描出は、動物のいのちに対する共感の上に成り立っているものであろう。後世のインド人の重用な観念である不殺生、あるいは動物存在と人間存在との間に断絶をおかない考え方とも関係があろう。 7頁

たしかにこの瘤牛の造形は素晴らしい。生命力がみなぎってゐる。リアルだが、象徴性も高い。鮮烈だ。

☟こちらはモヘンジョダロ出土の踊り子。

f:id:hiroki_hayashi:20200827204802p:plain

9頁 モヘンジョダロ出土の踊り子

腕輪が多いね。そして伏し目がかわいらしい。左のトルソーは保存状態が悪いけれど、あるべき部分を想像するとたしかにインド舞踊のポーズが見えてきそうだ。腹の肉付きがいいですね。

インダス文明が滅んだあとマウリヤ朝アショーカ王の時代まで1500年ほどの年月はインド美術史の空白の時代になるんだそうだ。

BC1500年ころまでにアーリヤ人が侵入し、定住してカーストを形成した。またヴェーダという宗教・神話の総体をもちこんだ。著者によれば、この空白はバラモンの絶対的な権威のもとでのヴェーダの祭式中心主義と関係があるとのこと。

「神の像を造形したり、偶像を造って崇拝したりすることはなく、祭壇に供物ソーマを投げ入れ、神々を讃えることによって、いわば観念的に神が喚起された。」11頁。

Ⅱ 古代初期の仏教美術

マウリヤ朝(BC320~180年頃)において、インドの土壌の中で生まれた民間信仰の神々を造形した庶民的美術が勃興してくる。

ヤクシャ(男神)、ヤクシー(女神)が代表的。

この本の中で一番感激したのが☟のヤクシー像。

f:id:hiroki_hayashi:20200827204700p:plain

サータヴァーハナ朝 サーンチー遺跡

「マンゴーの樹の幹に右手をからめ、左手で枝を握り、全身を大胆に屈曲させて立つポーズは僅かな首飾りをつけるだけの全裸の柔らかな肉付けと相まって、インド的な美と豊穣と官能の合一を遺憾なく表現している。」45頁

この写真を見た、その刹那、ぼくはマードゥリー・ディキシットだ! と思いましたよ。

いや完全にマードゥリーぢゃないですか。この頃からインド人はマードゥリー的身体を愛してゐたんですね。

 Ⅲ 仏教美術の革新

 ☟はクシャーン朝(1~3世紀頃)のマトゥラー美術の造形。

f:id:hiroki_hayashi:20200827204732p:plain

豊穣の女神ヤクシー

(・・・)欄楯に女神を表すことは、魔的な力を防ぐその地母神的な、アルカイックな性格を受けついでいるが、ここでは人間のより現世的な情念の世界を鼓舞しているかのようである。ガンダーラ美術が禁欲的・教説的な性格を表しているのに対して、マトゥラー美術は急速に進展してきた市民社会に根をおいたヒンドゥー世界を反映しているものといえよう。ヒンドゥー世界にあっては、性愛は拒否さるべきものではなく、神の本源的な力の顕れなのである。 98-99頁

これら女神のモデルは高貴な遊女であった可能性があると著者は書いてゐる。

遊女というのはインド舞踊においてかなり重要な存在なので、各時代の性の観念などこれから調べないといけない。ただこれは非常にやっかい。むづかしいと思う。

Ⅳ 仏教美術の完成と衰退

グプタ朝(AC320~550年頃)の時代、ヒンドゥー文化が花開き、後世の範となるべきインド文化が生まれた。「インド的なるもの」が一つの完成をみたインドの黄金時代である。

「グプタ美術は、肉体性と精神性、力動性と優美性、土俗性と洗練性、これら両者の逆説的な結合によって、緊張感溢れる様式を創り出した。」121頁

☟など素敵。

f:id:hiroki_hayashi:20200827224031p:plain

飛天カップル アジャンタ第16窟 前廊天井

Ⅴ ヒンドゥー教美術の勃興

この章の冒頭におかれたヒンドゥー教の形成に関する記述はほんとうに素晴らしいと感じた。インドへの理解がぐっと深まった気がする。

中世期には、グプタ朝までの古代期に繁栄した仏教美術にかわって、ヒンドゥー教美術はより民族主義的な性格の強い美術を形成する。

ヒンドゥー教には二つの源流がある。一つはインダス文明ないし非アーリヤ的な土着の信仰、もう一つはアーリヤ人ヴェーダの宗教。この二つの要素が混合しヒンドゥー教をかたちづくる。

中世期に「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」「プラーナ」といった古伝説集が成立。そこには様々な神話・伝説が挿入されてゐるが、ヒンドゥーの信仰はやがてヴィシュヌとシヴァという最高神に収斂されていく。

 ヒンドゥー教においては、神々は決して人間から離れた存在ではない。樹、山、洞窟、川など自然はすべて、潜在的な神聖さでしみわたっており、寺院や神像、図像においてそうした潜在的な神がはっきりと目にみえる形で顕れる。それらによって実在の神の世界が可視化されるのである。(・・・)大多数のヒンドゥー教徒はシヴァ、ヴィシュヌ、もしくは女神をそれぞれ最高の原理として崇拝するが、彼らは決して互に排他的になることなく、諸信仰は平和に共存している。これは、究極の神性は信仰の相違を超えて存在し、いずれの信仰も最終的には必然的に同一の目標へと到達するという信念に起因している。 152-153頁

いいですねえ。これですよね。図像に神が見えるという。

あと「いずれの信仰も最終的には必然的に同一の目標へと到達するという信念」も大事。つまり、多神教一神教はよく対立的に語られるけれど、少なくともインドの多神教一神教的要素をもってゐるということですよね。だからこそイスラムと共存できたと。ここは超重要。

☟はカジュラーホの女性像。見事ですねえ。

f:id:hiroki_hayashi:20200827204821p:plain

 カジュラーホは11世紀に栄えた北インドチャンデーラ朝の都。

☟これはとても有名。チョーラ朝時代の舞踊の王・ナタラージャ(シヴァ)。完璧な造形。

Ⅵ イスラム時代のインド美術 

偶像崇拝を禁止するイスラム教と、熱心に偶像をつくり礼拝するヒンドゥー教とは強く対立するが、インドではヒンドゥー教の勢力が強く、建築や装飾美術において在来の伝統と融和した独特のインド・イスラム様式が生まれる。

☟のラージプート画にはとても感動しました 。これは画質が悪いけれど、「Abhisarika Nayika」で検索するとたくさん綺麗なのが見られる。とてもいいですね。

f:id:hiroki_hayashi:20200827232422p:plain

ラージプートとは西北インド・ラジャスタン地方に住んだヒンドゥー教徒の武人階級の人達。ムガル宮廷でムガル細密画が栄える一方、西北インドではラージプート細密画が発達した。

主題の多くはクリシュナ説話。☝「雨宿り」はクリシュナ説話の一場面。

(・・・)ラーダーはクリシュナに献身的な愛を捧げ、最後には2人の魂が一体化して究極の歓喜に至る。2人の愛の場面は、にわか雨や雷雨にかこつけて、寄り添い、抱き合う姿で表わされる。一見世俗的ともみえるこのような恋愛の情景も、実はヒンドゥー教によって培われた宗教的精神にもとづいている。ヒンドゥー教において、性愛は人間存在の根底にあり、かつ宇宙的な力とみられており、自己犠牲的な恋愛は神へのゆるぎない献身であり、究極的には神との合一を意味するものとされるのである。 212-213頁

☝「恋人を探しに行く女」は「Abhisarika Nayika」といい、男女の関係を表す8種の分類の一つなんだそうだ。

これはこの本に書いてゐないことなんだけれど、この8類型はナーティヤ・シャーストラに基づくんだそうだ。

これはかなり重要なのでは? ちら見しただけだけれど、めちゃ面白いやんか。

たいへん収穫の多い読書でありました。