手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「コロナ後の世界を生きる」村上陽一郎 編

コロナ後の世界を生きる村上陽一郎 編 岩波新書 2020

24名の小論を収める。拾い読み。

科学史の大家である村上陽一郎氏は1936年生まれ。Wikipediaによると9月が誕生日で84歳になる。この年齢でこういう瞬発力を要する仕事をするのはすごいと思う。今後5年10年のうちに、村上氏のような戦争を経験した世代がほんとうに日本社会から消えてしまうと思う。そのとき日本の言論界はどうなるだろうか。養老先生とか亡くなったら、ぼく、辛い😿

村上氏の論考「COVID-19から学べること」。

新型コロウイルスの登場以前から、我々は類を見ない超高齢化社会にゐる。これは成員の相当数が死と隣り合わせで生きてゐる社会である。そのことを思い出すべきという。

 かつての「非常時」 、私たちは、今日を生き延びられた夜、ほっとして今日一日を何とか「生きた」という実感を、敢えて言えば「悦び」を得ていた。私は小学生だったが、その実感は今も忘れない。しかし、今日、そうした「生」の充実感は、どこか遠いところにある。「死」を遠ざけた結果、「生」もまた遠ざかったのかもしれない。私は高齢者の一人として、今日を無事に生き得たことを、何ものかに感謝する習慣を取り戻している。 64頁

藻谷浩介氏の論考「新型コロウイルスで変わらないもの・変わるもの」。

日本はもともと「小さくて弱い中央政府多極分散型国土構造」の社会なのであるから、コロナ禍で露呈した中央政府の機能不全はじつは「伝統回帰」的な現象だという。これはなるほど面白い。

 つまり中央政府が、無能なリーダーを据えて機能しないのは、日本ではむしろ歴史的な常態であり、誰も期待していないがゆえに、いくら機能不全でもよほどの危機でない限り倒されることもない。しかし中央政府が弱くても日本そのものが一体性を失うわけではなく、織豊政権以外にも明治維新がそうだったが、むしろ地方発祥の勢力が中央を席捲することが、国全体の革新を促進したりする。変な話、中央の無能なリーダーを放置しつつ、自分の生活に直結する身近なところではもう少しまともな人物を見分けて選ぶ、そういう伝統がこの国にはあるのではないか。 271頁 

あるのかなあ🤔 維新の会でないことを祈る👋

あと、無能なリーダーの放置もたいがいにせなあかんと思うわ。