手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

結婚披露宴 祝辞

先日、奈良は猿沢池のほとりのとある会場で、友人の結婚式および披露宴に出席した。 ぼくは光栄にも新郎の友人代表祝辞という大役を仰せつかった。 緊張したが、なんとかその任を務めることができた。 結婚式というのはよいものですね。じーんときた。

ここにその原稿を載録しておく(新郎新婦の名前は変えてあります)。 二人の末永き幸せをお祈り申し上げます。  

 

本日はまことにおめでとうございます。

お二人にも、それからご家族の皆様にも心からお喜び申し上げます。

ただいま司会の方からご紹介いただきましたとおり、ぼくは新郎・トモヒロさんの高校の同窓で、高校一年生のころからの附き合いでございます。 といっても一年生のときは同じクラスではありませんでした。

はじめて会ったのは、吹奏楽部の定期演奏会の手伝いの場においてでした。 吹奏楽部は毎年5月に、近くのホールを借りて演奏会を開いてをりまして、その最後に、入部する新入生がでてきて、合唱で参加するというのが恒例となってゐました。 トモヒロさんとはそこで出会いました。

吹奏楽部は男子が少ないものですから、みなすぐに顔見知りになります。 トモヒロさんと客席の通路におりていきまして、ザ・ブームの「風になりたい」という歌を歌ったのを今でもはっきりと覚えてゐます。 ところが、演奏会のあとにトモヒロさんは吹奏楽部の練習に来なくなりました。

どうしたのかなと思って、廊下で会ったときに聞きましたら、吹奏楽部にではなく、バレー部に入ったということで、実ははじめからそのつもりだったということでした。 ぼくが「そしたら、なんで演奏会きてたん?」と聞きましたら、トモヒロさんは 「いや、人が少ないので困ってはるいうことやったから・・・助けたいなと思って」 と言いました。

ぼくのトモヒロさんに対する印象というのはその出会いの瞬間から、今にいたるまで変わることなく、こんな具合に、まことに人を助けてばかりゐる男だというものです。

実は今年の8月に、新婦のヨシエさんを紹介してくれるということで、3人で食事をいたしました。 そこで聞いたところ、ヨシエさんが奈良の上北山村に越してきて、二人で暮らすのだということでした。

上北山村というのはどういうところなのかとぼくが聞きますと、トモヒロさんは 「限界集落やねん」と答えました。 「え、限界なん?」とぼくは言うと 「うん、そうやねん、人が少なくて」と言います。 「限界って、大丈夫なん?」と聞きますと 「せやから、子供つくって、助けたいなと思って・・・」 ということでした。 つくづく、人助けの好きな男だなと思いました。

そのとき、隣に座ってゐるヨシエさんは、うんうんうん、としっかりうなづいていらっしゃいましたので、二人はきっとそんなあたりで共鳴するところがあり、結婚することになったのだなあと、そのときぼくは深く得心がいったのでした。

このようなセリフは今の御時世ですと、うっかりすると、たいへんなハラスメントになる危険がありますが、お二人とも子供が好きで産み育てたいという気もちがあるという話を聞きましたので、あえて申し上げます。

どうぞたくさん子供をおつくりになって、限界集落を、元気な子供たちの声でみたしてほしいと思います。 そしてすてきな思い出をたくさんつくっていただきたいと思います。

家庭を運営し、子育てをするというのはたいへんなことも多いでしょう。 そのときにはみなさま、今日、この席につらなって祝意を表したという縁で、どうそお二人に友情を示し、いろいろ相談に乗ってやっていただきたいとお願いします。

とにかく本日はおめでたいことで、嬉しい極みであります。 トモヒロさん、ヨシエさん、まことにおめでとうございます。