手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「定本 日本近代文学の起源」柄谷行人

定本 日本近代文学の起源柄谷行人 岩波現代文庫 2008

明治期の「言文一致」の本質は「漢字御廃止」にある。これは形象よりも音声を重視する、文字は音の従属であるという音声中心主義にもとづく。「言文一致」と「内面」の発見は連関する。

  漢字においては、形象が直接に意味としてある。それは、形象としてに顔が直接に意味であるのと同じだ。しかし、表音主義になると、たとえ漢字をもちいても、それは音声に従属するものでしかない。同様に、「顔」はいまや素顔という一種の音声的文字となる。それはそこに写される(表現される)べき内的な音声=意味を存在させる。「言文一致」としての表音主義は「写実」や「内面」の発見と根源的に連関しているのである。 54-55頁

めちゃ面白い。おおっ!ってなった。こういうのが批評というのですね。

あとこれは注で紹介されてゐるのだけれど、吉本隆明の「初期歌謡論」はかなりすごいっぽいな。ぜひ読みたい。

 吉本隆明の考えにしたがえば、歌の発生あるいは韻律化はそもそも漢字を契機としている。宣長が祖形とみなすような「記」、「紀」の歌謡は、文字を媒介しなければありえないような高度な段階にある。それは音声で唱われたとしても、すでに文字によってのみ可能な構成をもっている。《たぶん、宣長は、〈書かれた言葉〉と〈音声で発せられた言葉〉との質的なちがいの認識を欠いていた。すでに書き言葉が存在するところでの音声の言葉と、書き言葉が存在する以前の音声の言葉とは、まったくちがうことを知らなかった》(同前)。 346-347