手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「詩を書くってどんなこと?」若松英輔

詩を書くってどんなこと?若松英輔 2019 平凡社

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☝は若松英輔さんの講演。

以下、ノートをば。

 詩を書くことを勧めたいのは、詩は 表層意識だけでなく、私たちの深層意識、こころの深いところにあるものを表現できるからです。

 別の言い方をすれば、意識で考えていることだけでなく、ある意味では思考が及ばないところに大切なものがある場合がある。リルケは、同じ手紙で次のようにも書いています。

 

 あなたの問いには、あなたの最も内部の感情が、最もひそやかな瞬間におそらくこたえてくれるものでありましょう。 (高安国世訳)

 

 ここに記されていることは本当です。リルケが「最も内部の感情」に潜んでいる人生の宝を私たちは見過ごしていることが少なくありません。事実、私がそうでした。私たちは自分に必要なものをすでに内に宿している。私たちは詩を書くことで、それを浮かびあがらせ、自分を励ますことができるのです。

 もしかしたら、必要なものは誰かから与えられる、あるいはお金を出して手に入れなくてはならない、と信じ込んでいるのかもしれません。詩を書くことは、そうしたことが、思い込みに過ぎないことを教えてくれます。 84-85頁

 悲しみや苦しみに苛まれることは誰にでも起こります。では、そのとき、いつも隣に誰か励ましてくれる人がいるとは限りません。

 もっといえば、人は、他の人からどんな言葉を掛けられても慰められない痛みを背負うことだってあります。でも、そんなときでも詩の扉をあければそこに必ず内なる詩人がいて、本当に必要な言葉を与えてくれるのです。

 さらにいえば、人は一人のときにこそ勇者になる。一人になった時に、自分の中にある力を感じて、言葉を紡ぎ、詩の炎をもって世の中に出ていくことができるのです。

 さびしいのはよくないことのように感じられます。しかし、さびしさにもさまざまな「さびしさ」があります。詩人のなかには、さびしいと感じるのは「よい」ことだという人もいます。

 

 もうけつしてさびしくはない

 なんべんさびしくないと云つたとこで

 またさびしくなるのはきまつてゐる

 けれどもここはこれでいいのだ

 すべてはさびしさと悲傷とを焚いて

 ひとは透明な軌道をすすむ

  (宮沢賢治小岩井農場 パート九」『心象スケッチ 春と修羅』)

 

 賢治は、「さびしさと悲傷」を焚くといいます。彼にとって詩を書くとは、言葉の炎で自分の人生の道を照らしだすことでした。 89-90頁

  畏怖を表現したものとしてはブッシュ孝子(一九四五~一九七四)という詩人の「折れたバラ」という作品を紹介したいと思います。この詩人について説明する前に、まず、作品を味わってみましょう。

 

 かわいそうな赤いバラ

 まだ開きはじめたばかりだというのに

 首もとからポッキリ折られて

 地にうちすてられた

 

 でも私のバラよ なげくことはない

 やさしい白い手がお前をひろいあげ

 小さなガラスの器に

 お前をうかばせた

 

 今ではお前は

 咲きほこるどのバラよりも

 ずっと美しくみえる

 涙のようなつゆを宿してずっと

 ずっと輝いて見える

          (『白い木馬』)

 ここでの「バラ」は、彼女自身でもあり、この世に存在する生けるものすべての異名でもあります。見える世界がこの世での役割を終えようとするとき、「白い手」がそれをもう一つの世界へと導いてくれる。そこでは、この世にあったときよりもずっと美しい姿となる。そして、その存在を深みから照らすのは、その「たましい」の奥にたたえられた、見えない涙だというのです。 110-111頁

 後の世の人に、未知なる苦難を生きる人に詩を贈ってください。苦しみのなかにあって助けを見出せない人を思い浮かべながら、詩を書いてみてください。あなたは一人ではないのだと未来に向かって言葉を書き送ってください。(略)

 まず、取り上げたいのは、先に見たブッシュ孝子の作品です。私は次の詩を悲しみの底にあるときに読み、文字通り救われたおもいがしました。

 

 暗やみの中で一人枕をぬらす夜は

 息をひそめて

 私をよぶ無数の声に耳をすまそう

 地の果てから 空の彼方から

 遠い過去から ほのかな未来から

 夜の闇にこだまする無言のさけび

 あれはみんなお前の仲間達

 暗やみを一人さまよう者達の声

 沈黙に一人耐える者達の声

 声も出さずに涙する者達の声

         (『白い木馬』)

最後に、本書で紹介されてゐた山下春彦(一九一三~一九九七)という人の詩を三篇メモしておく。とても好きです。

 『春の日はまひる

ずっと 前から

誰かが わたしを呼んでいる

それは

遠い日のことでもあるようだし

いま 耳もとで

呼んでいるようでもある

ゆれる 木の葉

過ぎ去った 日々の翳(かげ)

遠くで

見えないところで

誰かが

わたしを呼んでいる

わたしは

そっと 振りかえる

 『夢幻樹』

美しい樹があった

不思議な 光彩に粧われて

ただ 一本

高雅に すっきりと

そこに立っているだけで

たとえようもなく 美しく

かたちは 棕梠の木のようで

花が咲いているわけではない

実がなっているわけではない

その佇(た)っている姿が

そのまま 優雅で

やはり それは

夢の中にしかない 樹であった

 『大きな手』

どんなに 厳重な塀でも

とりつくしまもないほど

遮断してある塀でも

どこかに

ひとところは

そっと とり外せるように

仕掛けてあって

じっと立ち止まって 眺めていれば

かならず

それが見えてくる

立ち騒ぎさえしなければ

そのことを

もっと早く わかっていれば

もっと楽に 人生を送れたものを

ひと ひとりが

生きてゆく道を塞ぐほどの

おおきな塀は ありはしないのだ