手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り🌴

フィギュアスケートのジャンプについて

こんなニュースを見た。

1980年五輪銀メダリストのマリーナ・チェルカソワという人が、

「女子はフリーでも4回転ジャンプを禁止すべきです。男子はさらに進化しなければなりません」

「女性らしい、美しいスケーティングを見たい」

と言ったらしい。

女子シングルにおける4回転については、フィギュアのプロフェッショナルの間でも、ファンたちの間でも、少なくない論争を呼んでいる。

何人かの専門家は、4回転は女性選手の身体にとってよくない、と警告している。

世界で初めて、4回転を教え子の女子選手たちに教えてプログラムに組み入れた、有名コーチのエテリ・トゥトベリーゼ氏は、あるインタビューで「どのジャンプも、すべて、とても大きなリスクを負っている。そのリスクは他の何とも比べようのないものだ」と話している。 

なるほど。

ぼくもジャンプ偏重についてかねがね面白くないなあと思ってゐたので、我が意を得たりという感じだ。

キム・ヨナの芸術」にもちょこっと書いたと思う。

チェルカソワ氏は女子について限定して語ってゐるけれど、ぼくは正直、男子も4回転は不要だと思ってゐる。

同意してくれる人は少ないかもしれないが、男子も女子も、三回転で充分だというのがぼくの考えだ。

いや、二回転でいいとさへ思う。

その分ほかのテクニックや振りなどに気力をそそいで、フィギュアの可能性を拡張してほしい。

羽生選手の4回転など、ホントにすごいなあと思うけれど、そのすごいなあというのは芸術的な感動ではなく、何か中国雑技団のすごい技でも見てるような感じなのだ。

いや、雑技団がダメだというのではない。

雑技団の公演を見たことがあるが、あれはとんでもなくスゴイものだ。

感激しましたよ。まぢで。

けれど、それは舞踊芸術を見たときの感動とは違う。

フィギュアのジャンプは、回転数があがるほど雑技団に近づいて、スゴイものを見てるという感覚は増すけれど、それがために芸術的感興はむしろ下がってしまう。

難度が高く、成功率も低くなる。

だから、ジャンプの前の助走がむやみに長くなる。

選手はそこで時間をかけて呼吸をととのえて、えいやっ、と飛ぶ。

そこで、何が起こるかというと、音楽との調和が壊れる。

全体の振りのバランスもいびつになる。

要するに芸術性が損なわれる。

それがぼくにはつまらない。

ただチェルカソワ氏の言うように禁止にすべきかというと、そこには同意しかねる。

なにも禁止にすることはないでしょう。

単純に、回転数が増えても点数が上がらないようにすればいいではないか?

3回転以上は全部点数を同じにすれば、無理して挑戦する必要もなくなる。

限界に挑戦する姿が見たい、「飛べるの?飛べないの?どっち~!?」というハラハラを味わいたいとう人も多いかと思う。

そんなら、「ジャンプ」という競技を別につくったらいいのではないだろうか。

水泳における「飛び込み」みたいなかっこうで。

身体への負担も大きいのだから、ジャンプはほどほどにしてもらいたい、とぼくは思う。