生活の芸術

あるいは正しいことを可愛げにいう練習

キム・ヨナの芸術

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   目次 

  • はじめに
  • 様々なる舞踊
  • 傷だらけの雲雀
  • ヨナの覚醒
  • 珠玉
  • 哀しみの芸術
  • 結び
  • 4年ぶりの作品(加筆分)

 

                はじめに

 

 昨年来の朝鮮半島危機はおそらく、90年代初頭から繰り返されてきた北朝鮮核・ミサイル危機の中でも最大のものであらう。2017年、北朝鮮は6度目の核実験を行い、十数発のミサイルを発射し、着実にその技術を向上させ「国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現された」と宣言した。

 その間、米国のトランプ大統領北朝鮮キム・ジョンウン最高指導者は互いに罵詈雑言を浴びせあった。その応酬の一つ一つはまさに戦争に近づく足取りのようにみえた。中国・ロシアは両者に自制を促し、韓国のムン・ジェイン大統領は「朝鮮半島で二度と戦争があってはならない」と言ったが、日本の安倍首相は憑かれたように「対話のための対話には意味がない、もっと圧力を」と繰り返した。憲法破壊を願う安倍首相にとっては東アジア情勢が緊迫してゐたほうがよい。だから危機を煽ってゐるのだ(積極的平和主義!)。

 危機収束の兆しが見えぬまま2018年になった。と、北朝鮮は突如として態度を軟化させた。南北対話を受け入れ、韓国で行われるピョンチャン五輪への参加を表明したのだ。米国もこれを歓迎し五輪期間中の合同軍事演習延期を決定した。韓国政府はこれを機に南北融和を深化させ、米朝対話に結びつけたいと考えてゐる。

 昨日、ピョンチャン冬季オリンピックが始まった。

 半島危機は今小康状態にある。

 聖火リレーの最終走者を務めたのは韓国の至宝、キム・ヨナ。彼女は4年前のソチ大会で銀メダルを獲得して引退。その年のアイスショーを最後にリンクから離れ、ピョンチャンオリンピック広報大使を務めてきた。

 ソチ五輪の競技終了後、「バンクーバー金メダリストとして記憶されることを願いますか?」との質問に対してヨナはこう答えた。

 「ただ何の大会で金メダルを取った選手としてでなく、キム・ヨナという選手として記憶して欲しい」

 素敵な言葉だ。

 フィギュアスケートはスポーツと芸術が一体となったものだ。スポーツを芸術化したものとも言え、芸術をスポーツ化したものとも言える。点取り競争のゲームに一喜一憂することもできるが、エキシビションアイスショーのように芸術及びエンタテインメントに特化した形式もある。

 「キム・ヨナという選手」はスポーツと芸術、その両面において突出したパフォーマンスを示した選手だった。主要四大会(グランプリファイナル・四大陸選手権・世界選手権・オリンピック)に全て優勝し、出場した全ての競技会で表彰台にのぼった。アスリートとしてこれ以上ないというくらいの成功だ。

 けれどこうした記録は彼女の偉大さを証明するものであっても、それは単に過去の記録であり事実に過ぎず、今生きているぼくらを感動させるものではない。

 が、彼女の芸術は違う。ぼくらはアーカイブの時代を生きてをり、幸いなことにヨナの滑ったほとんど全てのプログラムはネット上で繰返し見ることができる。ヨナのスケートは今生きてゐるぼくらの魂を揺さぶり、熱狂させ、癒しを与えてくれるものだ。

 それはアスリートの勝利が与える感動ではなく舞踊芸術が与える感動である。

 ぼくはこの「キム・ヨナの芸術」において、彼女のスケートから芸術的側面を抽出し、その驚くべき豊穣と、それを見ることの愉悦について語りたい。

 だから、どの大会で世界記録を出し、誰に勝ち或いは負け、メダルの色は何色だったかといった類の事柄は必要最小限の言及にとどめる。

 勝ち負けも記録も重要ではない。大切なことは彼女のスケートからいかに多くの芸術的滋養を引き出せるかだ。

 いったい舞踊芸術がもつ魅力、又はそれが与える本質的な感動とは何だろうか。踊る喜び、それを見る喜びの一番深いところには何があるのか。

 以下「様々なる舞踊」では、まづ、フィギュアスケートとは似てもにつかぬダンスを見ていく。似てはゐないが疑いようもなく全て舞踊芸術である。文字通り様々な舞踊を材にとり、舞踊芸術とはぜんたい何であるか、その本質に迫りたい。

 

               様々なる舞踊

 

 人類は言葉を獲得する以前から踊ってきた。

 それは「踊り」ではなかったかもしれない。あるいは「蠢き」や「ゆらぎ」であったかもしれず、無闇に踏ん張ったり跳ねたりするだけであったかもしれない。とにかく、そこに身体があった。

 おそらく声を発したろう。それはやがて「歌」と呼ばれることになる何かで、きっと「うー」とか「あー」といふ呻きに似た音の連続だった。

 言葉がないのだから、当然「喜び」「哀しみ」「怒り」「祈り」といったふうに情念は分化してゐなかった。「この哀しみを表現しよう」といふ記述可能な思考そのものがなかった。

 はっきりしてゐるのは人間がゐて世界があったということだけだ。

 森の中を歩いてゐたら清水が湧き出てゐた。飲んだらうまくて飛び上がった、とか。猟に行く前、恐怖を鎮めるために仲間みんなで大地を踏み鳴らした、とか。なんでもいい、そんなとき、言葉を持たない古代人はその肉体を緊張させたり解放したりして内なる衝動を昇華させたのだろう。

 人が生きてゐて自然に生じる情念が、肉体を通して表出されること。人間が世界と衝突することによって生まれる化学反応。それが踊りの「原型」だ。

 つまり踊りとは人間と世界が出会い交わることで生まれる子供のことなのだ。

 舞踊に必要なのは「人間」と「世界」であり、それはつまりどんなものでも舞踊になりうるということであって、そうした性質が舞踊の定義付けを困難なものにしてゐる。というよりも「純舞踊」なるものを取り出すことはほとんど無理だと言っていい。

 だから舞踊芸術は、その表現の力点をどこに置くかによって、容易に他ジャンルに接近し、また、越境したり融合したりする。あるいは融合して出来上がった形式それ自体を何とか舞踊とか、何とかダンスと呼ぶ。

 舞踊と最も相性がいいのが「音楽」と「物語」だ。誰でも知ってゐるようにオペラにもバレエにも歌舞伎にも、音楽と物語がある。

 言うまでもなくフィギュアスケートは舞踊とスポーツの融合体であるが、振り子の振れ方次第で、又鑑賞の立場によってその性格を大きく変える。

 選手みながバレエレッスンにうんと精を出せば、フィギュア全体がより芸術的なものになるだろうし、ジャンプ重視の結果誰もが4回転を飛ぶようになり、しまいに5回転に挑戦ということになればフィギュアはサーカスに近づくだらう。

 「人間が生きてゐて生まれる情念が、肉体を通して表出されること。人間が世界と衝突することによって生まれる化学反応。それが舞踊の原型だ」とぼくは書いた。

 その観点から見ると、全ての赤ん坊はダンサーだということができる。

 赤ん坊は一瞬一瞬、新しい現実に直面するわけだが、彼等はそれを「解釈」したり「分析」したりしない。手足をばたつかせたり、声をあげたり、不器用に肉体的な反応を示すだけだ。そこに原初的な人間と世界との衝突を見ることができる。

 赤ん坊はやがて言語を習得し、それにより世界を文節化し認識し始める。それに伴い世界は完全に外部となり、自意識が生まれ、かつては意識することもなかった自分の身体さえもが認識の対象となる。

 知らぬまに、彼の生きる文化特有の歩き方や走り方を覚える。そうした身体作法は生活の全領域、即ちくしゃみや咳、性愛時の喘ぎ声に至るまである民族・文化特有の型があり、一度身についてしまうとそれ抜きにはいかなる表出も不可能なものだ。

 赤ん坊を見てゐると、こちらの体も緩んできて不思議な多幸感に包まれる。その時ぼくらは見るという行為を通じて自己を拡張し、その輪郭を打ち解き、赤ん坊と一体となってゐる。

 そして赤ん坊の感覚、言語も身体作法も獲得する以前の、世界と未分化であったときの感覚を思いだす。だからあんなに気持ちがいいのだ。

 舞踊を「見る」際にはそんな風に見なくてはならない。ダンサーの動きを「見る」ということは、それを通じてぼくらがそのダンサーに「なる」ということなのだ。

 

 選ばれたダンサーは、赤ん坊のように生命力に溢れた肉体を持ち、生命そのものの輝きを放つ。

 例へばインド最高の女優マードゥリー・ディクシット(Madhri Dixit)はそんなダンサーの一人だ。

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  マードゥリー・ディクシットはそのダンスの見事さからインドではダンシング・クイーンと呼ばれてゐる。このパフォーマンスは2012年のテレビショウのもので、彼女がこれまで出演した映画のダンスシーンから特に有名なものを繋ぎ合わせたものである。

 ここで彼女が踊ってゐるのは完全なボリウッドダンスであって「芸術的」な要素は皆無と言っていい。ボリウッドダンス特有のコミカルな動きが多く、それら一つ一つの振り付けは並外れた筋力や柔軟性が必要とされるものではない。形を真似するだけならばそう難しいようには見えない。

 ところがどうだろう。彼女の肉体が放つ生命力、神々しさ、しなやかさ、気品は圧倒的だ。それは彼女が絶世の美女であるからではなく、踊ることを通じてより高次の美の世界に繋がってゐるからだ。

 あまりに完璧に、そして楽しそうに踊ってゐるから技術的な巧さなどちっとも感じさせないが、つぶさに見れば、彼女がいかに全身を精密にコントロールし、精妙な動きを構築してゐるかがわかるはずだ。

 とりわけ表情のダンスの素晴らしさは特筆に値する。彼女はパフォーマンスの最初から最後まで、口角のあげ具合、目を伏せるタイミング、眉の角度、視線、そして空間のどの一点をどの程度の凝縮力で見つめるか、その全てを完璧にコントロールしてゐる。

 もちろん表情だけではない。バックダンサーと比べてみればよくわかるが、彼女はまったく異質の動きをしてゐる。

 後ろで踊ってゐる若く逞しいダンサーたちの動きからは「筋肉」や「骨格」の動きが見てとれ、いかにも「ダンサーが音楽に合わせて自分の体を動かしてゐる」という印象を受ける。つまりダンサーの意識と身体と音楽が別個のものとして存在してゐる感じがする。

 一方マードゥリーはどうだろう。彼女の肉体からは「筋肉」や「骨格」といったごつごつした物体感は一切感じられない。全身を構成する60兆の細胞がキラキラと輝いて生きることの喜びに震えてゐるかのようだ。

 彼女の肉体は赤ん坊のようにしなやかで豊かだ。

 肉体がそこにあることの快。「ぼくらが肉体を持って生きてゐることは、気持ちがいいことなんだ」ということを感じさせる。これは舞踊芸術が与えてくれる喜びの中でも最大のものの一つだ。

 また、彼女はどんな振り付けでもそれに最高の解釈を与え命を吹き込むことができる。「振り付けを自分のものにする」とは彼女が振りと、そして音楽と一つになるということである。

 マードゥリーを見てゐると「肉体」と「振り付け」と「音楽」が一体となって迫ってくる。つまり彼女が音楽を聴き、それに合わせて体を動かすといった具合に、ダンサーが客体としての音楽と振り付けを自らのうちで融合させてゐるのではなく、あたかも、初めからひとつのものとしてこの世界に生まれたかのような印象を受けるのだ。

 そこではマードゥリーという人間の個性は消えてゐる。

 彼女自身もちろん美しい。しかしそれだけはない。踊ってゐる彼女には個性を超越した人間の美が宿ってゐる。舞踊芸術は自己表現ではないということがよくわかる。

 人間は美しい。生きてゐることは素晴らしい。

 マードゥリー・ディクシットはその踊りによって人間と、そして世界を祝福してゐるのだ。

 ところで、彼女のダンサーとしての才能はいかにして開花したのか。あの見事な表情のダンス、しなやかな動き、素晴らしいリズム感はどのように養われたものなのか。

 実は彼女は三歳の頃からカタック(kathak)というインドの伝統舞踊を習ってゐた。彼女の動きの秘密はそこにある。

  一つ、彼女が踊ったカタックを見てみよう。2002年公開の映画「Devdas」より。

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  豪華絢爛とはこのことだ。

 まづ、これほど整った顔の人がゐるということにぼくは驚くが、それはどうでもいいとして、まことに荘厳たる美の世界だ。

 伝統舞踊とはある民族、ある人間集団の美意識の結晶であり、そこにはその民族や集団が何を美しいと感じ、何を崇拝したか、どのように座ったり立ったりしたか、又、どのように女が男を誘惑し、男が女に愛を告白したか、即ち文化=生き方全体が息づいてゐる。

 このシーンでは女が自身の美しさを示し、男を誘い、じらし、いなし、また、誘うということが繰り替えされてゐるが、それを表現するための振り付けは繊細を極める。

 カタックを見たことがある人は多くないだらう。けれど、その驚くほど洗練された表現に心が打たれるはずだ。

 ある民族、ある文化が洗練させた様式に触れることを通じて、その美意識を理解し、さらに普遍的な美にまでアクセスすることができる。

 

 この素晴らしい振り付けを行ったのはインドの生きる伝説、史上最高のカタックダンサー、ビルジュ・マハラジ(Birju Maharaj)。

 次に彼の「孔雀の舞」を紹介したい。

 短いものだから出来るなら二度三度見て欲しい。ビデオからでも舞踊芸術がもつ最も根源的な「あるもの」が感じとれると思う。

 その「あるもの」とは何か。

 ずばり、聖性。

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 これほど聖性に満ちた表現をぼくは他に知らない。信じられない。本当に。

 変な言い方になるが、およそ人間味を感じさせない表現であって、見てゐるあいだ、彼の性別、年齢、体型、技術はもちろんのこと、これがカタックという伝統舞踊であるということさえ意識させない。

 カタックの身体運用をもとに孔雀の形態模写を行い、それを舞踊に昇華させてゐるわけだが、それを通じて、彼自身が聖なる世界と俗なる世界を繋ぐ回路となり、彼の存在する時空を変質させてゐる。

 まさに具象化された聖性。聖性がたまたま人間の形になったという印象を与える。

 舞踊は動物を模倣することから始まったという説があるが、これを見ると、きっとそうなんだらうなあと思う。繰返し見てゐるうちに、自分の中の原初的な感覚が呼び醒まされてくるのがわかる。

 それは例えば、万葉集の名歌を繰返し読んでゐるうちに、あるとき、ぞっとするほど理解が深まって、古人に繋がり、彼等と同じ世界に触れた気がするのに近いだろうか。

「私自身は、踊ってゐるつもりはないんです。神が踊りを見たくて、私に宿ってゐるんです。私は、神のお気に入りだから」

 マハラジはかつてこんな風に語ったことがあるが、これは本心だろうと思う。

 彼の踊りを見ると、舞踊は本質的に神への捧げ物であり、舞踊家は聖職なのだと認識させられる。

 

 伝統舞踊でも、それがエンタテインメント化してくると、捧げ物としての意味あいが遠のき、聖性は薄らいでくるものだが、続いて、それとは正反対に、安易な「わかりやすさ」にまったく歩み寄らない、頑なに「儀式」としての形式を守ってゐるラーンナー王朝(現在の北タイ)の伝統舞踊&武術、フォンジューン(fonjerng)を見てみよう。 

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  フォンは「踊り」、ジューンは「武術」を意味してゐる。フォンジューンはその名の通り、祝福と鎮魂の業である舞踊と、殺傷の術である武術が融合したものだ。

 この逞しい青年の動きはまさに、踊りと武術のあわいにゆれながら、自由自在だ。武術の演舞と呼ぶにはあまりに舞踊的すぎ、舞踊と呼ぶには武術的過ぎる。この不可思議なキメラ性がフォンジューンの魅力だ。

 限りなく大地に近づく低い重心と、空中にゆったりと八の字を描く腕と手が、東洋的な一如の世界を作り出してゐる。

 さりげなく、手先の動きで花をつくり、糸を紡ぎ、布を晒す。子供達はこうした舞踊・演舞を見て、自分達の先祖がどんな生活を営んできたのかを知るだらう。

 それだけではない、彼の肉体はもっとスケールの大きいものを表現してゐる。具象的な表現とは関係なく、彼はまことに山のやうに力強く、水のようにしなやかで、花のように美しい。華麗で、優雅で、威厳に満ちてゐる。

 それはつまり、人間の可能性であり、理想であり、美徳だ。

 舞踊はある民族の美意識を示すとともに、その理想や美徳を示すものだ。これは舞踊の大切な仕事である。ここに舞踊の、共同体及び社会における存在意義がある。

 自分達の先祖が何を大切にしてきたのか、何を美しいと感じ、男或いは女がどうあるべきだと考えてきたのか。ぼくらはそれを知らねばならない。そしてそれを大切にせねばならない。

 なぜなら第一に、ぼくらのアイデンティティとは過去と繋がってゐるという意識によって支えられてをり、それを失えば自己を喪失してしまうからである。

 第二に、理想や美徳、そしてそれを大切にしなくてはいけないという規範が失われた途端、人間はいとも簡単に堕落し、社会が壊れてしまうからだ。

 舞踊は、不思議なことに「勇気」とか「威厳」といった抽象的な観念をもはっきりと目に見える形で示すことができる。

 

 

 伝統舞踊を通してぼくらは古人と繋がることができるが、結局のところ我々は現代人である。ほとんどの人が都市で暮らし、今様の服を着て、職場にでかけ、寝るために帰ってくるのだ。

 現代には現代の恋があり、男らしさや女らしさがあり、口説くマナーと口説かれる作法が必要になる。そこには当然新しい様式を持った舞踊が生まれなければならない。 

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 20世紀はアメリカの世紀だった。アメリカ文化の影響から完全に自由であった国や民族を探すことは難しい。

 自由・平等という理念のもとに建設されたアメリカは、大量の移民と資本を吸収し、史上類のない繁栄を達成した。彼等はその富を、20世紀最大の芸術たる映画につぎこんだ。

 古き良きアメリカとはおそらく、ハリウッド最大のスターであるフレッド・アステアジンジャー・ロジャースが体現してゐた気品と優雅さのことを意味するのだろう。

 アメリカ独立宣言には、人間には「幸福を追求する権利」が与えられてゐると書いてある。

 幸福とは例えば、たくさんお金を稼いで、大きな家に住み、カッコイイ車に乗って郊外のレストランにランチを食べにいく、とかそういうことである。

 けれどもっと大切なことがある。「誰と生きていくのか」という問題。

 人間の幸福は結局のところ、誰と出会い、誰と結びつき、誰と生きていくかにかかってゐる。

 そのためにぼくらは想いを寄せる相手に言い寄り、気持ちを伝え、自分が何者であるかを示し、また、相手を知り、相手にふさわしい人間にならなくてはいけない。

 つまり、これ、恋愛というやつ。

 アステアとロジャースは都市文明に生きる男女が、社交の場で出会い、互いが想いを寄せ合う様、「綺麗だ」と言い「ステキよ」とこたえる様をダンスによって示した。

 都会人の恋はかくも素敵で、優雅で、知的である。

 二人のダンスは、一応のところ男がエスコートするという形式はとってゐるものの、決して男が主で女が従といった、黙って俺についてこい式の古臭い関係性ではない。

 自立した二人が、互いに敬意を抱き、節度を保ちながら、関係を深めてゆく有り方が示されてゐる。

 アメリカに敵対する国においてもハリウッド映画は大いに受け入れられ、アステアとロジャースのダンスを見て「素敵だ」と思った。それはつまり、二人が示す男らしさや女らしさ、男女関係、恋愛の形式を受け入れたということだ。

 「素敵だ」と感じてまったらもう引き返せない、「憧れ」という感情はしばしば、ぼくたちを今とは全然違う場所につれていくものだ。

 もちろん、彼等の形式を受け入れたと言っても、そう簡単に消化できるものではない。少なくとも本邦においては、ぼくらは洋服を着こなすようには、うまく「恋愛」できてゐないやうに思える。

 それはおそらく、日本人がまだ「自立した個人」というものにピンときてゐないからだ。そして、人間は平等であるといふ観念が浸透してゐないからだ。

 話がとっちらかってきた。

 ダンスに戻る。

 

 アメリカ中西部インディアナ州ゲーリーという町に、アステアのミュージカル映画が大好きな少年がゐた。

 20世紀後半、彼は成長して「ポップ・ロック・ソウルの真の王(The true king of Pop,Rock and Soul)」と呼ばれることになる。

 ご存知、マイケル・ジャクソンだ。

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 ウィキペディアによれば、カッコイイという意味の「cool」はもともと、アフリカ系アメリカ人ブルーカラー層が使ってゐたスラングで、それが20世紀末になって非英語圏以外にも広がっていったものだそうだ。

 日本語でも普通に「クール」と言い、中国語でも「酷(クー)」と言ったらカッコイイという意味だ。かなり一般化してゐる。

 私見では、というかぼくの妄想では、「cool」といふ語感でしか表せない種類のカッコヨサを提示したのがマイケル・ジャクソンだった。つまり、こんなかっこいい奴を誰も見たことがなかったのだ。そして、彼のカッコヨサを表す語が必要になってしっくり来たのが「cool」だった。

 80年代、マイケルが「Off The Wall」「Thriller」「Bad」によって世界を制覇する過程はまさに、「クール」という語が非英語圏に浸透していく過程だった(根拠はない)。

 「ポップ・ロック・ソウルの真の王」である彼の音楽を聞くと、からだが勝手に動いてしまう。踵でリズムを刻み、腰を振り、頭をゆらし、ああ、いい気持ち。うん、つまり誰もが踊り出してしまうのだ。

 人をして否応なく踊らしめてしまう音楽の力。これを「グルーヴ」という。

 マイケルは、彼自身の音楽がもつグルーヴをその肉体で表現することができた。

 彼はグルーヴを視覚化してみせたのだ。

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  マイケル・ジャクソンは耳なじみのいいベースラインをひたすら繰り返すことでグルーヴを作った。

 「Billie Jean」において、ドラムスは最初から最後までシンプルな8ビートを繰返し、フィルらしいフィルも入らない。その上にベースがのり、これまたシンプルに「ドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンドゥン」と決まったフレーズを繰り返す(二つ目の太字、裏拍のアクセントが効いてゐる)。ときどきギターが別のリズムを刻み、キーボードが和音を導入する。

 そして、さらにその上に、子音を強調したマイケルのボーカルと、「ダ!」「ウ!」「ア!」等のボイスパーカッションをのせることで、多層的なグルーヴを作り出し曲全体のテンションをあげてゆく。

 ベースラインに揺られながら、少しづつ、少しづつ、ちょうど、螺旋階段でも上がっていくように、聴衆のテンションもあがりはじめる。

 やがて、聴衆はエクスタシーに達し、何度も「イク」ことになるわけだが、彼等が一番感じてゐるのはどこだろうか、彼等は何をきっかけにイッてゐるのか。

 それはターンである。マイケルがクルっと回ってピタっととまる。そのあまりに完璧なターンに痺れてしまう。

 シンプルな曲だから、聞いてゐる者はすぐに曲の構造を把握し一体化する。だから、マイケルのターンがいつやってくるのか、こちらも予想をしてゐる。

 くるぞくるぞ、回るぞ、と思って見てゐる、そこへ、今だ、ここしかない、というタイミングでマイケルが完璧なターンを決める。そこでイっちゃう。これはたまらない。

 観客を自身の肉体に共鳴させ一体化させることにより、マイケルはターン一つで彼等を昇天させることができた。

 死の直前まで準備してゐたコンサート「This Is It」のリハーサル映像の中に、素晴らしい「Bellie Jean」を見ることができる。

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 1983年に初めて「ムーン・ウォーク」を披露して以来、「Bellie Jean」は、そして彼のダンスは進化し続けてきた。

 「This Is It」のとき、マイケルは50歳。当然のことだが、筋力は落ち、若い時分の瑞々しい肉体はない。が、それによりむしろ、彼のダンスの核のようなもの、そしてその凄みが露になってゐる。

 リハーサルだから、ここで彼は何よりも音楽を聞くことに集中してゐる。いつどこに移動して、どんなステップを刻むのか、まだ厳密には決めてゐない段階だろう。そこで彼は自分が創造した音楽に没入し、体を揺らし始める。そのシンプルなノリ方やステップの何というカッコヨサ。神々しさ。

 まさに、音楽と身体が出会う瞬間、グルーヴが具象化される瞬間だ。

 もしマイケルが生きてゐたら、本番でどんな「Bellie Jean」を見せてくれたのだろうか。ぼくらは繰返しこのリハーサル映像を見て、彼の目指したもの、彼が見せるはずだったものを想像するほかない。合掌。

 

 ところで、マイケルが世界中を熱狂させてゐた1980年代、「コンテンポラリーダンス」というものが生まれた。その定義付けは難しい。

 先に、舞踊とは「人間と世界が出会い交わることで生まれる子供のこと」、「人間が世界と衝突することによって生まれる化学反応」であると書いたが、コンテポラリーダンスはその原点回帰と言えるかもしれない。

 つまりこういうことだ。

 人類はこれまでに様々な舞踊を生み出し、それを「型」として誰もが学べるように形式化してきたわけだが、世の中がどんどん複雑になり、変化が早くなり、グローバル化とか言われる世界に一人放り出された時に、もうこれまで創造されてきたいかなる「型」によっても、今生きてゐる人間が感じてゐる、この、のっぴきならないリアリティを表現することができなくなってきた。

 そこで誠実なダンサーたちは、型をとっぱらって、生の肉体で世界と切り結ぶことにしたのである。

 例えばアクラム・カーン(Akram Khan)はたった一人でその絶望的なまでに孤独な戦いに挑み、「人間以前」とか「生命の根源」という言葉でしか言い表せないような、深い深い場所に下りていく。

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 アクラム・カーンはバングラディシュ人の両親のもとに生まれたイギリス人。7歳から先に取り上げたカタックを始め、大学時代にコンテンポランリーダンスに出会った。2000年に自身のダンスカンパニーを立ち上げ、2012年にはロンドンオリンピックの開会式でパフォーマンスを行ってゐる。現代を代表するダンサー・振付師だ。

 これは「Nameless(名前のない/名づけられない)」と題する彼の短いソロ作品。

 椅子から立ち上がった彼は、すっと音も無く舞台に伏す。と、そこから先、ぼくらはいかなる解釈も拒絶する、見たことのない動きの連続に驚くことになる。

 彼は肉体のあらゆる部位、普段人間が行ってゐるあらゆる動作、動きから、「意味」を丹念に剥ぎ取り、動きの「型」を見事に解体してゆく。

 ぼくらの意識にある「人はこんな風に立ちあがるものだ」とか「腕はこんな風に動かすものだ」と言った予断を全て砕いてしまうのだ。

 やがて彼の肉体が「人間ではないもの」に見えてくる。大きな一つの細胞でできた軟体の生物のようでもあり。蠢いてゐるわけのわからないエネルギーの塊のようでもある。

 ぼくはこれを見たとき「動的平衡」という言葉を思ひだした。動的平衡とは分子生物学者の福岡伸一博士が提唱する生命の原理である。即ち、生命は動的=流れのなかに平衡を作り出してゐる時間的存在だというのだ。

 「Nameless」におけるアクラム・カーンはまさにそれだ。彼の肉体は安定と崩壊とのあわいにゆれながら、そのゆれてゐる姿そのものが平衡をつくり出してゐる。

 彼はここで「人間」を解体して「生命」そのものになってゐる。

 続いて、彼の別の作品を紹介しよう。43分から48分過ぎまでを見てほしい。前段、スキンヘッドにペイントをすることで「父になる」そして「父に捧げる」と言っゐる。

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 第一印象でこれを「美しい」と思う人はゐないだらう。頭部に目と鼻らしきものをぞんざいに描き、前かがみになり、左手で自身の顔を隠す。と、人らしきものになった。ノートルダムのせむし男を思わせる、無様な造形だ。このひどく抽象的な「人」ははっきり言って、とても醜い。

 手をバタバタさせて舞台を左右に動きまわり、床に倒れ、身悶え、必死に何かを懇願してゐるように見える。なんだか惨めな奴隷のようだ。

 ところが、この不恰好な「人」の切迫した、必死な姿を凝視してゐると、なんだかとても崇高なもののように見えてくる。そして醜いと同時に崇高な姿に親しみを覚え始めた頃に、ふと、ぼくらはこう感じるのだ。「これは自分だ」と。

 人生は誰にとっても苦しいものだ。生きていくためには、意にそわないことをせなばならないし、自分を殺さねばならない。不当に虐げられることもあるだろう、それをただ甘受する他ないこともあるだろう。

 そんな惨めさに耐えながら、人は「明日はきっとよくなる」と思って生きてゐる。そして子が生まれ親になると「この子には幸せになって欲しい」と願い、さらに必死になって生きるのだ。

 ここでアクラム・カーンは不恰好で醜い造形と、惨めで哀れなマイム表現により、生きることそのものの哀しみを表現してゐる。この醜い生き物は必死で生きてるぼくたちの姿そのものなんだ。

 子ができ父となったアクラム・カーンは、人間の普遍的な哀しみを描いたこの小品を父に捧げた。なんと深い愛の表現だらうか。

 

 アクラム・カーンをもう一つ。

 これは上の二つのやうに「深刻」なものではない。彼のダンサーとしてのバックグランドであるカタックの動きを自由に拡張することで完成させた、清らかなパフォーマンスだ。15分から23分までを見てほしい。

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 ぼくの感覚では、「身体の使いかたの見事さ」に関してこれほどの人は他に思い浮かばない。ちょっと飛び抜けて凄い人だと思ってゐる。

 もの凄く速く動いてゐるのに、すべての動線が驚くほどクリアで、一つ一つの動きに宿ってゐるイメージもまた、極めて明確だ。

 そして何より素晴らしいのが、彼の肉体含めた作品全体に横溢する澄明の気。 陳腐な言い方になるが、心が洗われるようだ。

 彼が大地を蹴り鈴を鳴らすたびに、又、勢いよく腕を左右に広げるたびに、邪気が祓われ、善きものが召喚されてくるのがわかる。

 「伝統を現代に生かすとはこうやるんだ」というお手本のような作品だ。こうした表現が大事なのは、それがぼくらの生き方に極めてポジティブなビジョンを示してくれるからだ。

「伝統を現代に生かす」それは舞踊においてとても大切なことであり、文化にとって、即ちぼくらの生き方にとってもまた、重要な課題だ。

 現代において、文化のない人々が「伝統」を捏造し、それによりかかり他者を排斥し、安物の一体感を作り出すことのいかに多いことか。「伝統」を盛んに連呼する人たちの内に、実際「伝統」が生きてゐたためしはない。彼等にとって「伝統」とは他者を操るための道具でしかないのだ。

 移民の子であるアクラム・カーンはそのダンスによって「伝統を生きる」とはどういうことなのかを教えてくれる。

 彼が自身のダンスのルーツであるカタックを発展させて優れた表現を生み出したように、ぼくらは過去に学び、伝統を生き、一人一人が自分の人生を創造せねばならない。

 さて。

 「様々なる舞踊」は上掲の動画においてアクラム・カーンと共演してゐるシルヴィ・ギエムのソロ「Two(Rise and Fall)」を紹介して終わりにする。

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 踊ってゐるのも振り付けたのもバレエの人だが、ここではバレエを連想させる動きは排除されてゐる。バレエ的な動きを崩したり応用して新しい表現を生むということは指向してをらず、バレエの訓練でつくりあげた肉体によってそれとは関係のない、別種の肉体言語を創造しようとしてゐるように見える。

 例えるなら、日本語とか英語を使って何かを表現するのではなく、オリジナルの言語を創造しようという試みだ。

  作品半ばまで、動きの少ない状態が続くが、ここでダンサーは肉体が自律的に動きだすのを待ってゐる。新しい言語の萌芽を捉えるべく意識を研ぎ澄まし、内なるエネルギーが凝縮するのを待ってゐるのだ。

 ぼくの感覚では、タイトルのTwo(Rise and Fall)とはこの内なるエネルギーの源泉、二つ相反する指向性を示してゐる。要するに、陰と陽だ。

 低音が細かなリズムを刻みはじめるとともに、ダンサーはエネルギーの源泉に近づき肉体を同調させることに成功する。打ち込みのドラムスとスネアが入ってくると、一気に加速し、固有のスタイルのようなものが現れはじめる。

 まっすぐ伸びた手足が空間を切り裂く様が鮮烈だ。股関節・肩関節の可動域の広さに驚く。

 奇妙な動きに見えるかもしれないが、注意深く見ると「自律的な運動」が行われてゐるのが見てとれると思う。こういう動きをしたら、今度はこう動く他ない、という感じ。全ての動き、ポーズが必然性に貫かれてゐる。

 ビートが高まり、はっきりとしたモチーフが展開され、繰り返される。自信に満ちた、迷いのない決然たる動き。茫漠たる世界に一人立つ一個の人間。そこに孤独の影は露ほどもない。

 この時、この場所、この肉体に固有の言語が生み出されたのだ。

 先にコンテンポラリー・ダンスとは何かを説明する際に、ぼくはかう書いた。

 〔世の中がどんどん複雑になり、変化が速くなり、グローバル化とか言はれる世界に放り出された時に、もうこれまで創造されてきたいかなる「型」によっても、今生きてゐる人間が感じてゐる、こののっぴきならないリアリティを表現することができなくなってきた〕と。

 現代人は程度の差こそあれ、誰もがアイデンティティ・クライシスに苦しんでゐる。世の中の変化があまりにも速く、上の世代を見ても生き方のモデルがない。親が生きてきたようなスタイルで、今日を生きることはできない。

 アクラム・カーンの項でぼくは「伝統を生き、一人一人が自分の人生を創造せねばならない」と書いたが、それができる人、自身の内に帰るべき伝統が生きてゐる人はとても幸福だ。

 われわれの多くは過去から切り離された根無し草だ。どこかに答えがないかとキョロキョロと彷徨って、いろいろつまみ食いしてみても満足しない。

 どうしたらいいのか。

 シルヴィ・ギエムがこの表現で行ってゐることをする他ない。内なるエネルギーが凝集してくるのを辛抱強く待ち、ここぞという時に、それをしっかりと掴み取る。そのためには、自分の感受性を研ぎ澄ましておかなくてはいけない。

 この作品で彼女が固有の言語を創造したように、われわれは、手探りで自分のスタイルを見つけ、一人毅然として立たなくてはいけない。困難な仕事だが、ギエムの力強い姿を見てゐるとエネルギーが湧いてくる気がするぢゃないか(ぼくだけかな?)。

 

 ここまで、様々な舞踊、様々なダンサーを取り上げ、舞踊芸術とは何であるか、その見方、魅力、社会的意義について語ってきた。

 稚拙な筆ではあるが、ジャンルに囚はれず、時代にも国にも拘らず、普遍的な舞踊の魅力とその美について書いたつもりだ。

 以下では、たくさんの天才達を見てきたのと同じ視点から、キム・ヨナのスケートを見たいと思ってゐる。

 即ちフィギュアスケートという枠組みを取っ払って、舞踊芸術として見たときのヨナの表現について書きたいと思う。

 

 

             傷だらけの雲雀

 

 土曜日、家族でオリンピック公園に行ってアイスショー「アラジン」を見た。二つの部分に分かれてゐた。

 メガネをかけて行ってよかった。わたしは眼が悪いから、ぼやけてしまったらいけない。ショーが終わってわたしは心に決めた。がんばって練習して韓国代表選手になる。

               1997年、小学一年時の日記

   キム・ヨナキム・ヨナ 7分間のドラマ』、中央出版社2010 

       (本邦未訳、引用は中国語訳から林が訳したもの)

 キム・ヨナは1990年9月5日、韓国プチョン市に生まれた。初めてスケート靴を履いたのは5歳の時。バレエもバイオリンも退屈で続かなかった彼女だったが、スケートの楽しさには夢中になった。

 小学校にあがり、上級クラスを修了した時、コーチはヨナの母に言った。「ヨナには天賦の才がある。フィギュア選手になれるかもしれない。」

 フィギュアはとてもお金のかかるスポーツだ。恵まれた経済状況にはなかったが、スケートの虜になってゐるヨナの姿を見て、両親はコーチの提案に従うことに決めた。ヨナはフィギュアスケーターとなるべく特別指導を受け始める。

 1998年、長野オリンピックが開催された。ヨナはミシェル・クワンの演技に他の選手にはない特別なものを感じた。

 「わたしもあんな風に滑りたい!」

 ヨナはクワンの演技をビデオに撮り、繰返し見た。そうしてクワンの振りを覚え、表情を真似し「オリンピックごっこ」をして遊んだ。幼いながらの表現力は周囲を驚かせた。

 クワンはヨナよりちょうど10歳年長、伸びやかな滑りと豊かな表現力を持ち味とし、イリーナ・スルツカヤと共に一時代を築いた偉大なスケーターだ。

 幼いヨナが自らの資質に自覚的であったはずはない。しかし彼女に与えられた感受性は確かに、やがて開花する自身の才能を呼び起すのに最も相応しいスケーター、クワンを見いだしたのだ。

 ヨナはこの後も、出会うべき時に出会うべき人に出会い、その巨大な才能を存分に開花させていくことになる。

 が、その前段、幼少期・ジュニア時代のヨナにとって、厳しい練習はただただ辛いものだった。引退後、ヨナは「選手生活17~18年のうち辛かった記憶が80%~90%」「幸せだと感じた記憶は数パーセントもない」と語ってゐる。

 2010年のバンクーバー五輪直前に出版された彼女の自伝を読むと、当時がいかに辛かったがよくわかる。スケート後進国であった韓国には専用の練習場がなく、彼女は朝早くか夜遅く、寒いリンクで厳しい練習に励んだ。

 結果、睡眠が不足する。休養が不足する。

 肉体が成長するためには十分な休息が必要だ。技術はどんどん進歩する。けれど過度の練習は骨も筋肉も未熟である彼女の肉体が許容できる範囲を超えてゐた。足首が、膝が、腰が、悲鳴をあげる。

 こういう場合、われわれ東アジア人はたいがい根性で乗り切ろうと考える。痛みに耐えて精神を鍛えようというのである。ヨナの母はそういう教育方針だった。

 思春期には多くの人が自殺を考えるものだと思う。練習がうまくいかないとき、わたしも考えることがあった。けれど、それはとてもデリケートな言葉で、実際、死ぬのはとても怖かった。やはり生きたいと思った。はは!

 「もし、わたしが自殺しようとしたら母はとめるだろうか。きっととめない。死んだらすっきりする、くらいのもので、むしろ喜ぶかもしれない」あの頃のわたしは、愚かにも、こんな風に思ったりしたものだ。

                         ヨナ、前掲書

  国際競技会に出場するようになり、ジュニアグランプリにも参戦し、好成績をおさめるが、彼女のスケートに少女らしい天真爛漫のきらめき、みたいなものはない。痛みに耐え、孤独とともに生きることに慣れた女の子の姿がそこにある。

 映画「ムーラン・ルージュ」から「One Day I"ll Fly Away」。

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I follow the night

Can't stand the light

When will I begin

To live again?

わたしは夜に生きている

光に耐えられなくて

いつになったら始められるの

新しい人生を もう一度

One day I'll fly away

Leave all this to yesterday

What more could your Love do for me?

When will Love be through with me?

いつか飛び立つの

すべてを昨日に残して

これ以上 あなたの愛は望まない

いつかわたしは自由になる あなたの愛から

 丁寧なすべりだ。一つ一つの動作を、振りを、愛おしむようにすべってゐる。肩の力の抜け方が見事で、腕全体の動きが常にしなやかで優雅だ。どこかで断絶が起こることがない。ジャンプも大柄で着氷もやわらかい。

 One Day I"ll Fly Away

 自殺を考えるほどに、彼女が抱えてゐた痛みと孤独は巨大だった。しかしこの歌のとおりに、彼女はやがて飛び立つことになる。苦しみや寂しさを作品の内に昇華させる日が来る。

 そのためには、まづ、稀代の名振付師デイヴィッド・ウィルソンとの出会いが必要だった。シニアに上がった2006年~2007年シーズンから引退まで、ウィルソンはヨナのほとんど全てのプログラムを手がけることになる。

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 ウィルソンは愉快な男だ。写真のとおりの、表情豊かなこのご機嫌ナイスガイが、おそらくヨナに最も影響を与え、その芸術的才能を開花させた人物だ。

 2006年5月、15歳のヨナは新シーズンのプログラム作りのため、カナダのトロントにウィルソンを訪ねた。

 ウィルソンは前シーズンに振り付けを担当してゐたジェフリー・バトルから、ヨナについてこんな風に聞かされてゐた。

「彼女はとても才能があるけれど、幸福なスケーターとは言えないよ」

Choreographer Wilson regrets 'transformative' Kim's early retirement | The Japan Times

 当時のヨナは内気でおとなしく、笑わず、練習中も泣いてばかりゐた。ウィルソンは反対に、陽気で楽しいジェントルマンだ。

「はじめの三ヶ月、最も注力したのは彼女を笑顔にすることだったよ。毎日、どうしたら彼女を笑顔にできるか、いや、笑わせられるかって考えてゐたんだ」

 やがてウィルソンの努力は実を結び、ヨナは変はりはじめる。自伝にはかうある。

 ウィルソンのたゆまぬ努力のおかげで、わたしは少しずつ、心を開くことができるようになり、彼に会うと自然と笑顔がこぼれるようになった。彼と一緒にゐてわたしの内向的な性格がゆっくりと変わり始めたのだ。彼は一度としてわたしに大げさな表現を求めたり、あるいは内気な性格を克服するようせまったりしなかった。ただ、静かにわたしの練習を支えてくれた。

 いつのまにか、わたしはごまかさず、自信を持って表現ができるようになった。わたしの心の深いところにある、恥ずかしくて表現できないものを、動きと表情に変える仕方を教えてくれたのは、たしかにデイヴィッド・ウィルソンだ。

 練習がうまくいかなかったり、傷ついたりすると、きっとウィルソンが微笑みながら現れた。彼に会うとわたしは安心した。ウィルソンはこんなことを言ったことがある。「毎日完璧ってわけにはいかないよ。ヨナ、うまくできるって自分でわかってるはずだよ。そこに自信を持ってゐればそれでいいのさ」

                         ヨナ、前掲書

 自伝の中でウィルソンに言及してゐる部分が一番いきいきしてゐる。ヨナが彼のことをどれだけ好きかがよくわかる。

  ではウィルソンは彼女の才能をどう評価してゐたのか、上のインタビューから拾ってみよう。

 「ヨナは生まれながらの表現者なんだ。カメレオンみたいだよ。ぼくは素晴らしいスケーター達と長いこと仕事をしてきたけれど、その学ぶことの速さときたらまずトップだね。こちらが見せたものを即座に真似できてしまうんだ」

「彼女は普通の人とは別の次元で音楽を聞いてゐるようだよ。音楽から離れることがない、決してね。彼女の本能みたいなものなのかな。」

 ヨナとウィルソンが初めてタッグを組んだ記念碑的作品が、美しい、「揚げひばり(The Lark Ascending)」だ。

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 まだ身体ができあがってゐない。筋力も十分ではないし、脂肪が少なく女性的な肉体の美に乏しい。体力もまだまだで後半疲れてゐるのがよくわかる。明らかに腰を痛めてゐて、足が高くあがらず特に腰の反りが甘い。

 ヨナも自伝に「この曲を聞くと、当時の身体の痛みを思いだす」と書いてゐる。「一番辛かった頃のプログラムで、まっさきに思い浮かぶのが全身傷だらけだった記憶だ」と。

 彼女はまだ、この音楽が表現する雲雀の軽やかな飛翔を自分のものにできてゐない。しかし、確かに、きっと飛翔するであろう、大空を自由に飛ぶだろうという「予兆」を感じ取ることができる。

 ウィルソンの言うとおり、ヨナは一瞬たりとも音楽から離れない。加速のための一歩にも、毎度お決まりの冒頭のジャンプにもしっかりと音楽が宿ってゐる。

 腕を上から下に、或いは下から上に移動させる、その時の動線のやわらかさ、肩肘手首がいかに一体的に動き、いかに優しく空間に触れてゐるかに注意しよう。こういうのを「ギフト」というのだらう。とても美しい。

 5分22秒頃、また、5分40秒頃を見てほしい。ヨナが両手を胸の前で合わせて、ゆっくりと前方に押し広げる振りがある。ぼくの感覚では、ヨナが最も美しく見え、そして最も豊かな情感が宿るのがこの動作をするときだ。

 この振りに何を感じるかと言ったら、やはり「祈り」だと思う。祈りの姿は清らかで美しく、言うまでもなく聖性に道を通じた営みだ。

 このモチーフは後に紹介するプログラムに繰返し、何度もでてくるから、是非覚えておいてほしい。

 さて。

 ヨナはウィルソンに会いに行ったトロントで、もう一人重要な人物と出会う。やがて「金メダル請負人」と呼ばれことになるブライアン・オーサーだ。

 オーサーは84年(サラエボ)と88年(カルガリー)の2度オリンピックに出場しともに銀メダルを獲得、87年の世界選手権では金メダルに輝いた世界チャンピョンで、引退後はアイスショーを中心に活躍してゐた。

 2006年春、オーサーは友人トレイシー・ウィルソン(カルガリーオリンピック、アイスダンスの銅メダリスト)の誘いを受けてトロントクリケット・クラブでヘッドコーチになることに決めた。彼はスケーティング・スピン・振り付け等それぞれの分野のプロフェッショナルを呼び集め「チーム・ブライアン」の結成にとりかかった。

 しかし、コーチ業に専念というのではなく、プロスケーターとしてショウへの出演は続けてをり、彼自身、コーチとしてのスタイルを模索してゐる時期だった。

 そこへ、ヨナがやってきた。

 当時のオーサーにとっては、名前を聞いたことも、顔を見たこともない小さなアジア人の15歳の少女だった。

 ところが、ちょっと滑ってもらったとたん、私は腰を抜かしました。生まれ持っての才能、天賦の才というのはこれを言うんだなと思いました。しかし、彼女は不幸そうに見えました。笑顔がなく、とても辛そうにスケートをしていました。

   ブライアン・オーサー『チーム・ブライアン』講談社、2014年

  ヨナはオーサーの指導が気に入った。

 指導を受けてみて、彼と練習するのはとても心地がいいなと思った。彼は自分の優れた技術を相手に押し付けることはしなかった。ただ、わたしが失敗したときにそれを修正してくれた。また、彼は口数が多いばかりで生徒を混乱させ集中力を殺ぐタイプではない。

 わたしは彼の落ち着いた性格がとても好きだ。わたしの力を信頼してくれてゐて、次の進歩に必要な要素を見つけだしてくれる。

                        ヨナ、前掲書

 夏の間オーサーの指導を受けた彼女は、母にこう言った。

「オーサーと一緒にトレーニングできたらいいと思う。お母さんはどう?」

 母は同意した。そしてオーサーに、プロスケーターを引退しコーチとして専任で教えてくれるよう依頼した。最初は断ったオーサーだったが、ヨナ側のたっての願いに、とうとう承諾することに決めた。

 オーサーは2007年4月の公演を最後にショーから引退しコーチ業に専念することになる。

 「腰を抜かすほどの才能」が「未来の名コーチ」をその気にさせたのだ。ヨナはスケーターとして、オーサーはコーチとしてそれぞれがダイヤの原石だった。ここからバンクーバーで金メダルを獲得するまで、才能と才能が互いを触発しながら高めあってゆくという幸福な関係が続く。オーサーは自らのコーチングスタイルを確立し、ヨナはそれを吸収し、才能を開花させる。

 しかし私はいまだに不思議なのです。コーチとしての実績がまるでない私に人生を託すとヨナは決めたのですから。私たちは彼女たちに誠実に接し、彼女たちは私たちを信頼しました。そして彼女たちはチャンスをつかみ、私の人生を変えました。

                       オーサー、前掲書

 先に2006年~2007年シーズンのFSプログラム「揚げひばり」を見たが、ここで、SPを見てみよう。2001年の映画「ムーラン・ルージュ」から「ロクサーヌのタンゴ(El Tango de Roxanne)」。振り付けはトム・ディクソン。

 ちなみにヨナは前シーズンも同じ曲で滑ってゐる。「この曲をやることで、初めて表現力の重要性に気がついた」と自伝にある。

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 「揚げひばり」とは対照的な、情熱的な音楽だ。彼女のリズム感がいかに優れてゐるかが見てとれる。シニアデビューした初めてのシーズンだが、ここでもう彼女のトレードマークである冒頭の三回転×三回転ジャンプが完成されてゐるのがわかる。

 助走時のスピード感、無理のない踏み切り、空中時の安定した軸、着氷の美しさ、それらを総合して見たときの「大柄さ」。

 「大柄」とはのびのびとしてゐる様子であって、窮屈さがないこと、「セーノ、エイ!」的な必死さがないこと、余裕があること、要するに見てゐて気持ちよく、大らかなな気持ちになるということだ。

 余裕があるから、踏み切りも着氷も音楽から乖離することなく、「表現」になってゐる。

 二年続けてこの曲で滑ったことでヨナは「どうしたら観客、審判との一体感を作り出すことができるか」がわかったと書いてゐる。

 素晴らしいプログラムだが、16歳の少女にタンゴが要求する官能を表現することはできない。 しかし、幸いなことに、ヨナは2012年のアイスショーにおいて、更に洗練された技術と成熟した肉体をもってこの傑作プログラムを再演してゐる。それは後に紹介するので、是非、少女ヨナのタンゴを覚えておいてほしい。

  続いて2006年~2007年シーズンのエキシビション、1998年の映画「ムーラン」の主題歌、クリスティーナ・アギレラのボーカルが素晴らしい「Reflection」。

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 傑作だ。ヨナにはバラードがよく似合ふ。

 ぼくの感覚では、SP・FS・EXの全てが傑作であるシーズンはシニアにあがった2006年~2007年、バンクーバー五輪の2009~2010年、ソチ五輪の2013~2014年の3シーズンある。こうした節目の年に自分に相応しい傑作を揃えてくるあたりがヨナの凄いところであり「もってる」ところだ。 

Look at me

You may think you see

Who I really am

But you'll never know me

Every day

It's as if I play a part

わたしを見て

あなたはこれが本当のわたしだと

思うかもしれないけれど

それは違う

わたしは毎日

役割を演じているだけ

Now I see

If I wear a mask

I can fool the world

But I cannot fool my heart

気づいたの

仮面をつければ

世界を欺くことはできる

けれど 自分は欺けない

Who is that girl I see

Staring straight back at me?

When will my reflection show

Who I am inside?

わたしをまっすぐ見つめ返す

この少女は誰?

本当のわたしに

いつ出会えるの?

「揚げひばり」の項で紹介した「両手を胸の前で合わせて、ゆっくりと前方に押し広げる振り」またはそれに類する動きが何度も登場したがお気づきになられたであろうか。

 もう一つ、それに近い動きにも言及しておきたい。右手か左手、どちらか片手を頭の後ろ、或いは首の横あたりにもってゆき、体に触れるか触れないかという距離で輪郭にそって這わせながら胸の前におろし、優しく握りしめ、前方の空間に開放する、という動き。これがまた素晴らしい。本当に優雅だ。

 例へば1分4秒、2分18秒あたりに右手で、3分8秒秒あたりに左でこの動きをつくってゐる。これもまた以降のプログラムで何度も出てくるモチーフだ。

 ヨナはこんなシンプルな動作に舞踊の美を宿すことができる人だった。ウィルソンはヨナと組んだ初めてのシーズンで、早くも、彼女が最も美しく輝く所作を発見したのだ。

 ヨナが本格的にオーサーの指導を受けるようになったのは2007年に入ってからのことだ。オーサーによれば、ヨナの唯一の欠点は「練習をしすぎること」だった。

 私が引き受けたとき、ヨナは15歳でした。オリンピックを19歳で迎えるという、まさに成長期です。私から見るとヨナはスケートのしすぎでしたし、彼女がいつもケガを抱えているのは、まちがいなくこのためでした。

                         オーサー、前掲書

 オーサーは「苦しくて辛い練習が多いほうがよい」と考える東アジア的なガンバリズムからヨナを解放し、スケートを滑る喜びを伝えようとした。

 そのためにはとにかく「痛みに耐えることが常態」というこれまでの量を重視した練習から、短時間でも質のよい練習をするというやり方に方向を変える必要があった。

 しかしその際、オーサーは決して自分の考えを押し付けることはしなかった。オーサーはヨナとの間に主従関係を作らなかった。いつもヨナの気持ちを尊重し、話し合い、彼女にあったスタイルをつくっていった。

 小さかった頃の韓国での練習と、ブライアン・オーサーコーチとの練習にはたくさんの違いがある。一番の違いは、コーチが選手に教える、選手がコーチから習う、という関係ではないことだ。わたしたちはいつでも互いの考えをもちよって話しをする。表現したいこと、感じたこと、意見をあわせて、共に道を歩いてゆく。わたしの英語力は少しずつ、そうした話ができるくらいにまで上達してきた。子供のころのやり方はその時の自分には合ってゐたかもしれないけれど、今のわたしにはブライアンのスタイルがいい。彼はわたしの気持ちや状況を理解し、わたしの意見を聞き、わたしと一緒に今後の方針を決める。だから信頼も深くなって、楽しさも増す。こんなあたりがブライアンの素晴らしいところで、わたしの好きなところだ。

                         ヨナ、前掲書

 練習量を減らすというオーサーの方針が、すぐにヨナに理解されたわけではない。

 ヨナは長時間の激しい練習をやめなかった。疲労が蓄積されて筋肉はパンパンになる。十分な休息をとらぬままに、また、滑って転ぶを繰り返す。当然、痛みは消えない。

 そうして向かえた2007年~2008年シーズンはオーサーによれば「ヨナが一年間泣き続けていたことしか印象にないシーズン」だった。腰痛が悪化し、2008年の2月には世界選手権の直前に三週間の休養をとらなくてはならなかった。

 このシーズンのプログラムは、前シーズンが傑作揃いだったのに比べるとずいぶん見劣りする。

 SPの「こうもり(Die Fledermaus)」,FSの「ミス・サイゴン(Miss Saigon)」ともに、正直に言って退屈な作品となってゐる。続けて見てみよう。

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 ヨナはとてもキュートだし、丁寧に振り付け通りに滑ってゐるけれど、作品としてはつまらない。

 一番はやはり音楽だ。SP、FS両方とも、ヨナに合ってゐない以前にスケートに合ってゐないのかも知れない。そう思いたくなるほどに、曲想に統一感がなく、ひどくまとまりを欠き、散漫な印象を受ける。デイヴィッド・ウィルソンの振り付けも精彩を欠いてゐる。それは音楽がいまいちなのだから当然のことではあるけれど。

 以下の言葉から明らかなように、コーチのオーサーもこの二つのプログラムにはさしたる評価を与えてゐない。

 いつも課題になるのは、毎シーズン違うタイプの曲をやってみることでした。オリンピックシーズンに最高のプログラムにたどり着くためには、さまざまな方向をすべて経験する必要があったからです。第一印象で気に入らないと思ったものでも、こんな曲は難しすぎると思ったものでも挑戦の時期が必要です。振り返ってみれば、2007-2008年シーズンのショート「こうもり」のワルツやフリーの「ミス・サイゴン」、2008-2009年シーズンの「シヘェラザード」を経験していたからこそ、何がやりたいのか、何が最適なのかが見えていったのです。

                         オーサー、前掲書

 怪我が完治してゐない状態で、ヨナは世界選手権に出場した。銅メダルを獲得したものの、世界チャンピョンのタイトルが欲しかったヨナにとっては満足のいく結果ではなかった。この時の悔しさがヨナを変へ、次の2008~2009年シーズンにヨナは覚醒する。

 その前に、2007~2008年シーズンのEXプログラム、映画「ウォーク・トゥ・リメンバー」の挿入歌「Only Hope」をどうぞ。

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There's a song that's inside of my soul   

It's the one that I've tried to write over and over again

I'm awake in the infinite cold

But you sing to me over and over and over again

わたしの心の中に歌があるの

何度も繰返し 書きたいと思った歌

果てしない寒さの中に わたしは目を覚ます

でもあなたは 何度もわたしに歌いかけてくる

So I lay my head back down

And I lift my hands

And pray to be only yours

I pray to be only yours

I know now you're my only hope

だからわたしは横たわり

両手をのばして祈るの

あなただけのものになりたいと

あなたはわたしの唯一の希望だから

 前シーズンに続いてEXはバラード。ヨナは本当に内省的な祈りの表現が得意だ。腕の動きのしなやかさは言うにおよばず、スピンや足下の技術に顕著な向上が見てとれる。技術が向上したことによって、自然とそこへ舞踊的な美が、情感が宿ってゐる。

 例えば、1分30秒頃のつま先を左右180度に開いて足下に円弧を描くモーション。これなどは氷上でなければ絶対につくることのできない動線であるが、体重を氷に落とし、すっとスピードをつけて弧を描き、氷から帰ってきたエネルギーを全身に行きわたらせて次の動きにつなげる。そこに緩急とリズムがうまれる。

 この振りもヨナが得意としたもので、後のプログラムで多用されることになる。もちろん、その精度を驚くほど向上させて。
 それから3分15秒あたりのレイバックスピンも素晴らしい 。このあたり、チームブライアンでスピン専門のコーチから受けた指導がはっきりとした成果として出てゐる。本当に、息を呑むほど美しい。

  が、ヨナはこんなものではない。

 ヨナの才能は彼女自身が「自分のスケート人生で最も大事なシーズン」と語る2008~2009年シーズンに爆発する。

 

                                       ヨナの覚醒

 

フィギュアスケートは誰かと戦いではなく、

国同士の戦いでもなければ、選手と選手の戦いでもない。

果てしなく孤独な自分との戦い、ではなおさらない。

わたしの考えるフィギュアスケートとは、

舞台上で、音楽と観客と一つになることで生まれる映画のようなものだ。

その短い時間に、わたしは自分の全てを表現する。

演技を通して、喜びや幸せを観客と共有する美しいスポーツだ。

                        ヨナ、前掲書

 2008~2009年シーズン。ヨナは怪我に悩まされ続けた前シーズンの反省から、ようやくオーサーの言を聞き入れる。練習量を減らし、質を重視した1日に2時間程度の集中した練習に切り替えた。

 結果、成長期である18歳のヨナの身体は大きくなり、体力がつき、痛みが和らいでいった。臀部から背中の筋肉が見違えるほど発達し、女性らしい脂肪がそれを覆った。力強く氷を踏むことができるようになり、スピードが格段にアップし、ジャンプはさらに大柄になった。

 もう一つ、或いはもっと重要なことはチーム・ブライアンの指導を受けはじめてから2年が経過し、コーチ陣達との関係が親密になったことだ。チームとヨナとの間に信頼感が生まれ、オーサーによれば2008年末頃には「何も言わないでも意思が通じる関係」になった。

 かつては泣いてばかりゐたヨナから自然に笑顔がこぼれるはじめた。

 チーム・ブライアンがヨナの心をほぐし、ストレスをやわらげ、自信をつけさせるために行った努力は実に感動的だ。

 才能は努力だけでは開花しない。おそらく何よりも「自信」をつけなくてはならない。自信は一人では獲得できない。周囲の人間の、長期間にわたる、丁寧なサポートが必要だ。

 チーム・ブライアンの全メンバーがヨナの孤独を埋めました。振付師のデイヴィッド・ウィルソンもジェフリー・バトルも、他のスタッフもみんな、ヨナは特別に可愛い生徒なんだと、つねに伝えていました。「あなたの帰る場所があるのよ」と言ってあげることが、厳しい戦いを続けている選手にとって必要なのです。それを私は現役時代に痛いほどわかっていました。どんなことがあっても、結局最後はそこに帰ってくる、という安心感が大事なのです。

 そのためには、みんながヨナのありとあらゆることに気を配りました。ジャンプだけでなく、ヨナの手の振り方、膝の使い方、目線の使い方など、あらゆる細部について、全員が意見を出しました。「私がこのリンクの主役なのだ」と感じることがヨナにとって必要だったのです。

 私たちは4年間かけてヨナの喜びを彼女の外に引き出そうとしましたが、それはタマネギをむくようなものです。真ん中にたどり着くまでに、すべての皮をむかなければならず、結局、3年近くかかったのでした。文化の変化やトレーニングの違いに適応し、ヨナが完全に変化するには、それだけの時間が必要だったのです、でもそれは興味深いプロセスでした。私はそのすべてを楽しみました。私たちは素晴らしい関係を築きました。シーズンを追うごとに彼女はうまくなり、私たちもコーチとしての腕を上げたのです。

                       オーサー、前掲書

 2008~2009年シーズンのSP「死の舞踏(Dance Macabre)」は歴史的傑作だ。

 この曲は振付師のウィルソンがもってきた。ヨナはすぐにこの曲を気に入り、一発でこれに決めたという。オーサーによれば、この曲に出会ったときに、自分達がオリンピックの金メダルに向かって大きな角を曲がったと確信したのだそうだ。

 この作品によって、そして体力、意気ともに最高度に充実した状態で迎えた2009年の世界選手権によって、ヨナは完全にこれまでとは別の次元に飛躍する。こんなことがあるのか、と絶句するほどの、とてつもない飛躍を。

 ヨナは真夜中の墓地、激しく、怪しく、踊り狂う、死神になる。 

 「死の舞踏」

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  古代におけるシャーマンとか、巫女とかいう人たちはひょっとしたらこんな感じだったのではないだろうか。彼女は完全に異界への扉を開く依り代となってゐる。ここでヨナが到達した音楽との一体感、そして憑依力は、まことに空前絶後だ。何度見てもあまりの完成度の高さに衝撃を受ける。

 表現力は感じる力と、イマジネーションと、技術により生まれる。

 第一に感じる力とは、まづ音楽をきちんと理解してゐるかといふこと、リズム・メロディ・ハーモニーを全身で感じとる力。そしてその音楽と自分の身体に合わせて作られた振り付けを内面化する力。

 第二にイマジネーションとは、音楽と振付と身体、衣装、メイク、そして観客、それら全てを一体のものとして具象化するための構想力。自分は今、この瞬間、このように動かねばならない。そこに美が宿り、それが舞踊になるのだ、という確信。

 第三に技術とは、イマジネーションと身体を結びつける触媒であり、才能を表現えと導く道のことである。

 ヨナはこれら全てを十全に兼ね備えた、疑いようのない天才だ。

 フィギュアスケートのプログラムは高い点数を取って勝つために、計算づくで作られる。だから毎度冒頭には三回転×三回転のジャンプを入れて、スパイラルはこれで、スピンはこれで、できたら後半にもジャンプを・・・ごにょごにょごにょ、といったシロウトにはよくわからないモロモロとイロイロがあるらしい。

 ヨナのスケートの凄いところは、そうした点取り競争的背景をまったく感じさせないところだ。

 冒頭のコンビジャンプも、最後のスピンも、いつも同じことをやってゐる。しかしヨナは同じムーブメントを様々な表現にすることができる。それぞれのプログラムに合わせて一つ一つの要素を全体の構想の中にはっきりと位置づけ、また、意味づける。バラバラのまま提出することがない。それはヨナのイマジネーションが強力だからだ。

 音楽が、振付が、身体が、衣装が、メイクが、すべてが強烈に主張しながらも、それらが渾然一体となって一つの世界を作ってゐる。

 「死の舞踏」はおそらく、作品の完成度ということに関しては、これがヨナの最高傑作だろうと思う。何もかも完璧で、どこか取り出してここがすぐれてゐる、などと言うことが野暮に感じる。まったく奇跡的パフォーマンスだ。

 続いてFSの「シェヘラザード」を見てみよう。

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  先に引用したオーサーの言葉にもあった通り、「シェヘラザード」は取り立てて言うところのないプログラムで、「こうもり」「ミス・サイゴン」と同じく、どういった曲がヨナを最も輝かせるのかを知るための試験的な作品としては見る価値があるかもしれないが、実際、その程度のものであり、たいした作品ではない。

 オリンピックシーズンに最高のプログラムを作り出すためには、どうしてもこれらパッとしない作品が必要だった、ということだらう。

 さて、ヨナは2009年の世界選手権で優勝し、悲願であった世界チャンピョンの座を手に入れた。

 オーサーは世界選手権後のヨナについて面白いことを言ってゐる。

 2009年3月の世界選手権で優勝したあと、突然、ヨナが少女から女性に成熟しました。いまでもそのときのことをはっきりと覚えています。世界選手権が終わって、韓国で行われたショーに行ったときのことです。デイヴィッドと私はホテルのロビーで彼女が来るのを待っていました。ヨナはスポンサーについている会社の講演会があったのです。彼女はビジネススーツを着て、髪をおろし、歯列矯正器を外していました。自信にあふれ、堂々と歩いてきた美女を見て、デイヴィッドと私は顔を見合わせて言いました。

「ああ、僕たちの小さな女の子はすっかり大人になってしまったね」

 彼女は完全な自信を手に入れ、世界女王の貫禄を身につけたのです。歯列矯正器を外したとたんに、突然といってもいいほど美しい女性になりました。しかも性格まで変わってしまったのです。とてもくつろいだ、柔らかい笑顔が見られるようになりました。

                       オーサー、前掲書

  世界女王となり完全な自信を手に入れたヨナに死角はなかった。チーム・ブライアンの布陣は磐石であり、相互の信頼も厚い。体の痛みは完全に消えた。

 そして、最高のプログラムを用意して2009~2010シーズンに突入した。

 ヨナが落ち着いて、普段通りのパフォーマンスをすれば必ず金メダルがとれる。オーサーはそのために綿密なスケジュールを組んだ。

 いつ、どの程度の力を入れてどの競技会に出るのか。どこで休息をとるのか、何日前に会場に入り、どのような準備をしたらいいのか。2月のオリピック本番に最高のコンディションに持っていくために、チーム・ブライアンとヨナは完璧な準備をした。

 バンクーバーにいる間中、彼女はとてもリラックスしていました。私はずっと彼女を見ていましたが、気になる部分はなく、問題が起こる気配はりませんでした。彼女は「そんなに緊張もしなかった」と後になって言いさえしました。彼女はとても落ち着いていた。

                       オーサー、前掲書

 最高のプログラム、最高のスケジュール、最高の人間関係に囲まれて、ヨナは、最高のコンディションで本番を迎えた。ヨナには自分が完璧な演技をする、その様がはっきりと見えてゐたに違いない。ありありと見える明確なビジョンを、自分は現実化できる。不安要素はない。失敗するわけがない。

 果たして、ヨナは本番でSP・FSともに完璧な演技をし、ともに世界最高得点を更新して金メダルを獲得する。

 SPは「007ジェームズ・ボンド・メドレー」。

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 ヨナが滑った全プログラムのなかで一番楽しく、痛快な作品だ。女性として成熟したヨナが持ち始めた色気、怪しさ、大胆さ、ずる賢さ、小憎らしい感じ、ひっくるめて小悪魔的な魅力が存分に発揮されてゐる。ウィルソンの振付が憎らしいほど素晴らしい。2分10秒頃の足下から銃を取り出す振りなど、本当に秀逸だ。

 いつものことだがヨナのリズム感、緩急のつけかたには唸らされる。例へば、2分24秒頃、曲調が変わってスパイラルに入る瞬間、それから3分8秒頃にステップシークエンスに入る瞬間。ここしかない、というタイミングで足をあげ、テンションを変えてゐる。こういうタイミングの取り方が出来るかどうかで観客との一体感が決まってくる。

 つまり世界感がどこかで中断することがないから、観客はずっとヨナの表現に没入してゐることができ、一瞬も「醒めた」状態にさせない。

 ちなみに、自伝によれば、ヨナはウィルソンから007の映画のDVDをプレゼントされて見たのだが、字幕がなくて筋がわからず、雰囲気を知ることはできたが、あまり面白くなかった、とのことである。

 続いて、FSはガーシュウィンの「ピアノ協奏曲(Concert in F)」。

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 「キム・ヨナと言えばこれ」というプログラムで、おそらく多くの人の記憶に一番強く残ってゐるのがこれだらう。テレビでヨナがとりあげられるときにちょっと流れるVTRなどもたいがいこのオリンピックパフォーマンスだ。それほど鮮烈で完璧で、あるスポーツライターは「わたし達の世代のコマネチ体験だった」などと書いてゐる。

The Sad, Perfect End of Kim Yuna's Figure-Skating Reign - The Atlantic

 ヨナも自伝のなかで「これまでで一番すぐれたプログラムだと思う」と書いてゐる。確かにこれは他の作品とは違ってゐる。たいへん不思議な異色のプログラムだ。

 何がこのプログラムを他とは違う傑出したものにしてゐるのか。その特殊さはどこからくるのか。

 それはおそらく、この作品が、他の全作品がもってゐるあるものをもたないないことによる。あるものとは「物語」「情念」「キャラクター」、即ち「テーマ」だ。

 SP・FSを問わず、他の作品は、はっきりとしたわかりやすいテーマを持ってゐる。オペラや映画の曲であれば当然その物語とキャラクターをなぞることになるし、物語がなくても、求愛であったり、祈りであったり、空翔るヒバリであったり、必ず何かを演じたり、情念を表現をするというテーマがある。

  そしてヨナは憑依の名人であるから、キャラクターになりきったり、情念に共鳴するのを得意とする。

 ところがこの「ピアノ協奏曲」にはそれがない。キラキラした感じ、豪快な感じ、しっとりした感じ、チャーミングな感じ。等々、あるのは、ピアノとオーケストラがポコポコポコと提出する断片的なモチーフの数々。ヨナは何も演じてゐない、いかなる情念も代弁してはゐない。

 だからこのプログラムを見ると一種不思議な感じに囚はれる。一瞬、どんな風に見たらいいのかな、と戸惑うのだ。ひょっとするとコンテンポラリー・ダンスを見る感覚に近いかもしれない。

 このプログラムほど「生のヨナ」が全面に出てゐるものはない。10代最後、とびっきりの女の子が放つ輝き、何にも奉仕しない完全に無意味なエネルギーの放出がこのプログラムの魅力だ。

 このオリピックでの演技において、ヨナの身体には自身の才能、チーム・ブライアンの情熱、そして韓国国民の夢が宿ってゐる。

 ヨナはそれらを完全に受け止めて、この4分間に一気に昇華させた。神々しく凄烈な光を放ち、しかも最高にエレガントだ。

 あまりに偉大な達成に、溜息をつくほかない。

 EXプログラムは「タイスの瞑想曲」。敬虔な祈りに満ちた傑作だ。

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 まさに息を吞む美しさだ。特に二番目に貼り付けたショーのパフォーナンスなど、その静謐さに言葉を失ふ。

 「007」、「ガーシュウィン」、「タイスの瞑想曲」。素晴らしい三作品を残したシーズンだった。

 

 そして2010年春。ヨナは悩んでゐた。

 四大大会(グランプリファイナル・四大陸選手権・世界選手権・オリンピック)で全て優勝し、SPの最高得点もFSの最高得点も自分が持ってゐる。

 ヨナは目標を失った。辛い練習に耐えられたのは明確な目標を持ってゐたからだった。

 彼女は今後の進路を考えながら、のんびりと練習してゐた。

 引退も考えた。けれどまだ19歳、引退するには早過ぎる。もう少し負担の少ないような形で選手を続けてみよう。

 5月末、ヨナは会見を開いて現役続行を宣言した。

 「これからは負担なく競技を楽しむのが目標になりそうだ。シェヘラザードから007まで多くの演技をしてきたが、まだ見せられなかったものが多い。今後もさまざまなキャラクターを演じたい」

 そして8月、トロントで次のシーズンのための準備を始めてゐたヨナは、謎めいた決断を下す。

 ブライアン・オーサーとの決別である。

 

              珠玉

 

 ヨナと一緒にいた3年半で、私は彼女に何を与えることができたのか。彼女がこう答えてくれたら嬉しいですね。「スケートを滑る喜びを、ブライアンが発見させてくれた」と。金メダルなどよりも、そのほうがずっと大切な宝物になります。もし彼女がそう感じられたなら、私もデイヴィッドもトレーシーも、彼女の人生を豊かにしたことになります。光栄なことです。彼女がどう答えるかわかりませんが、でも私はヨナにスケートを滑る喜びを贈ったのだと信じています。

                       オーサー、前掲書

 ヨナとオーサーとの決別は2010年の夏、さかんにメディアを賑わした。とても唐突で、不可解で、その経緯は素直に言って、見てゐて気分のいいものではなかった。

 オーサーによれば、8月2日、ヨナの母から「これ以上ヨナを教えないで欲しい」と言はれ、契約解雇通知を受けた。理由を聞いたが教えてくれなかったとのことだ。

 一方、ヨナのマネージメント会社によれば、「オーサーが浅田真央サイドからコーチの依頼を受け、思案中」という報道があった5月頃から関係が不穏になりはじめ、ヨナは一人で練習してきた。ウィルソンと新プログラムの準備を進めてゐたが、8月23日にオーサーから、これ以上ヨナのコーチはできないという通告を受けた。

 二人は同じトロントクリケット・クラブにゐながら直接話をすることなく、メディアを通じてそれぞれの主張を繰り返した。 

 ヨナは自身のホームページに「その経過を公開したくもないし、公開する必要もない。あくまでも我々だけの問題だ」と書いた。

 本当のことはわからない。

 憶測を述べることはできるが、それは「キム・ヨナの芸術」の趣旨から逸れることになるから何も書かない。

 とにかく、ヨナとオーサーは決別し、振付師ウィルソンとの関係は継続することになった。もし二人が決別することなく、ヨナ&オーサーのコンビがソチ五輪まで続いてゐたら彼女のスケートはどのようなものになっただらうか。ぼくにはまったく想像ができない。なぜなら決別後、引退までに発表する彼女のプログラム、彼女の成熟した表現があまりに素晴らしく、これ以上の達成がまったくイメージできないからだ。

 オーサーと決別した後のヨナの成熟を思うと、遅かれ早かれ、いづれ別れはきたのだろうと感じる。方向性を共有することが、どこかの時点でできなくなったのではないだろうか。

 冒頭に「バンクーバー金メダリストとして記憶されることを願いますか」という記者からの質問を紹介した。ヨナはそれに「否」と答えたが、やはり、そこはメディアの宿命、フレーズとしては「バンクーバーで金をとったキム・ヨナ」と紹介されることが多いし、その時の映像や写真が出るということになってゐる。

 それは仕方のないことだが、ぼくの考えでは、ヨナが本当に凄いのはバンクーバー以後である。少なくとも「キム・ヨナの芸術」の観点から言えば、断然バンクーバー以後である。

 ぼくはほとんどこの一事を言いたいがためにこの長い文章を書いてゐる。

 フィギュアスケートはスポーツと芸術が融合したものであり、二つの側面を持ってゐる。と先に述べた。

 融合してゐるから、なかなか截然と分かつことのできないものではあるが、ここで便宜的に「スポーツ的な発想」と「芸術的な発想」があると仮定しよう。

 スポーツ的な発想とは数値化可能な目標を重視する。大会を連覇すること、メダルを一つでも多くとること、一点でも高い点数をとること、ジャンプの回転数をあげ、回数を増やすこと・・・等である。

 芸術的な発想は動きの質、表現の豊かさを重視する。それはここまでに繰返し述べてきたことだ。肉体があることそのものの喜び、聖性、美、人間の理想や可能性、音楽との一体感。点数は重要ではない、ジャンプの回転数も重要ではない。三回転ジャンプより四回転ジャンプが偉い、とは考えない。スピンは速いほうがよい、とは考えない。

 ヨナはバンクーバー五輪で金をとるまでは両方をバランスよく持ってゐた。どうしても優勝したいと思ってゐた。金メダルが欲しいと思ってゐた。当然のことだ。競技会に出るのだから。

 もしヨナがスポーツ的発想の強い人、あるいはほとんどスポーツ的発想しかない人であれば、バンクーバー後の目標は「オリンピック連覇」であったろう(あるいはあっさり引退か)。しかしヨナにとってそれはモチベーションにならなかった。

 ヨナはスポーツ的発想の分かりやすさが誘発する人々の期待に辟易してゐた。大会に出るたびに世界記録を期待され、ライバルと同じ大会に出ると、メディアは勝った負けたを大騒ぎしてナショナリズムの捌け口にされる。

 ヨナはそれが嫌だった。

 ヨナは芸術的発想の大きい人だからだ。

 かと言って、引退してアイスショーに専念しようとは思わなかった。韓国国民がヨナの引退を望んでゐなかったのも一つの理由だらう。

 同時に、ヨナはスケート後進国である祖国にスケート文化を根付かせたいと思ってゐた。自分の子供のころのような劣悪な環境を次世代には経験させたくないと願ってゐた。そのために、象徴的存在であるヨナは現役を続ける必要があった。

 しかし先に紹介した「これからは負担なく競技を楽しむのが目標になりそうだ」という言葉から分かるようにメダル獲得のための「辛い練習」はもう嫌だった。

 ソチオリピックまで現役は続ける、しかし連覇が目標ではない。金メダルは目標ではない。

 競技会には出るがどうしても優勝したいというわけではない。これは矛盾だ。どうもしっくりこない。「負担なく競技を楽しむ」といふ微温的な目標を掲げたことによって、ヨナは最後までモチベーションの維持に苦しむことになった。

 結果、「絶対勝ちたい」という闘争心が失せたところに、これまで以上の芸術性が湧き出てくることになった。

 即ち、競技会という舞台、スポーツという枠組みにおいて芸術性を極限まで高めることに成功する。

 これは「図らずも」であったとぼくは思う。

 彼女はおそらく、ぼくがここに書いてゐるようにスポーツと芸術を分離させて考えてはゐなかった。「記録はもういいから、これからは芸術面に専念するぞ」などと割り切ってはゐなかった。

 高得点が出たら嬉しいし、金メダルがとれたらいいけれど、かつてのような闘志はない、バンクーバーの時は「死んでもいい」と思えるほどの狂気に近い情熱があった。けれどそんな状態には戻れない。ではどんな心の持ちようで競技に望んだらいいのか。

 ヨナは最後までそれを掴めなかったように思う。

 後にブライアン・オーサーが「ソチでのヨナは義務感で滑ってゐるのが明らかだった」と語ってゐるが、これはあながち間違いではないと思う。

 しかしだからこそ、ヨナは勝った負けたに囚われた「アスリート」には表現できないであろう作品群をフィギュアスケートに残すことができたのではないだらうか。

 これは素晴らしい貢献だとぼくは思う。

 闘志をなくしたヨナの表情はまったく別物になる。選ぶ曲も、表現の質もまったく別物になる。

 その珠玉の作品群を以下で見ていく。

 

 2010年10月、オーサーの後継コーチはミシェル・クワンの義兄、カルガリーオリンピックの銅メダリスト、ピーター・オペガードに決定した。

 FSはアリランをはじめとする韓国の伝統音楽を編曲した「オマージュ・トゥ・コリア(Homage To Korea)」。ファンと祖国に対する感謝の気持ちを込めた作品だ。

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  このシーズン、出場した競技会は世界フィギュア選手権のみであり、引退するまでグランプリシリーズには出なくなる。大会に出るのは最小限に抑えて、オフシーズンにアイスショーに出演するというスタイルを引退まで貫く。

 この「オマージュ・トゥ・コリア」はその挨拶状だ。どう考えても試合で勝つためのプログラムではない。

 この曲はスケートに合ってゐないし、振りを付けるのはかなり苦労しただらうと推測する。朝鮮の民族音楽にバレエ系統の動きを合わせるという試みは見事に失敗に終わってゐる。ヨナも作品をまとめるのに苦労してゐるように見える。優れたプログラムとは言えない。

 が、「勝つ」ことだけを基準にしてプログラムを選ぶのはやめましたという宣言として、そして、ここで分かりやすい形で祖国への感謝を示すことにより、ナショナリズムを呪鎮し、そこから距離をとる試みとして、たいへん意義深いプログラムだと思う。

 FSは「ジゼル(Giselle)」。

 病弱な村娘ジゼルは村人になりすましたアルブレヒト伯爵に恋をする。彼が婚約者のゐる貴族の息子だと知ったとき、ジゼルは正気を失いアルブレヒトの剣で自死する。

 アルブレヒトの前にウィリ(幽霊)となったジゼルが現れ、死に誘う踊りを踊る。ウィリたちは通りがかった男達を死ぬまで躍らせるのだ。

 しかしアルブレヒトを愛してゐたジゼルは彼を励まし守ろうとする・・・

 やがて夜明けを告げる鐘が鳴り、ウィリたちの魔力は消えアルブレヒトは助かるのだった。

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 ヨナのジゼルは心臓が弱そうにはまったく見えないが、気のふれた狂乱演技は凄い迫力だ。アルブレヒトは真っ青だらう。

 彼女の憑依力が遺憾なく発揮された傑作だ。

 EXプログラムはラ・ルー(La Roux)の「Bulletproof」。

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 民族音楽、バレエの古典、の次はエレクトロポップ。

 その表現の幅の広さは驚くばかりだ。この「Bulletproof」でヨナはアニメーションダンス、ロボットダンス系の振りに挑戦してゐる。器用なもので、こんなものちょちょいのちょいヨってな感じだらう。

 ヨナの感受性がいかにどんな音楽にも対応できるか、そしていかに体の使いかたがうまいかがよくわかるプログラムだ。

 次の2011~2012年シーズン、ヨナは競技会には出場せず完全な休息にあてた。この時点ではまだ選手生活を続けるかどうか悩んでゐた。

 その中で、とても素敵なEXプログラムを一つ発表してゐる。

 ビヨンセの「Fever」。

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 10代から色気のある人だったが、大人になり、競技のストレスから解放されたヨナはどんどん艶っぽさを増していく。臀部の肉付きが素晴らしく、匂いたつような女体の美を表現してゐる。

  ウィルソンの振付けが実にエロティックだ。

 2012年7月、ヨナは記者会見を開き「有終の美のために新たに挑戦をする」と述べ、2014年のソチオリンピックまでの現役続行を発表する。

 10月には新コーチとしてシン・ヘスクと、リュ・ジョンヒョンの二人が発表された。ともに小学生時代のヨナを指導してゐた人だ。

 2012~2013年シーズンは嬉しいことにEXプログラムを3曲も見せてくれた。

 まづ、シニアデビューした2006~2007年シーズンのSPで使用した「ロクサーヌのタンゴ(El Tango de Roxanne)」。少女ヨナのタンゴを思いだしてほしい。あの頃はまだ体もできてをらず、腰も悪く、まだ官能表現ができてゐなかった。

 あれから6年たち22歳になったヨナは円熟の表現を見せる。

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 眼福である。 

 続いてマイケル・ブーブレの「All of me」。粋なジャズナンバーに合わせて、ヨナは男装の麗人を演じる。ぼくはこの作品から感じられるヨナの「含羞」が大好きだ。素敵すぎる。

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  当たり前のことを今更言うが、スケートは氷の上を滑るわけだから、氷の上でしかできない表現が魅力なわけだ。つまり地上では出せないスピードを出せたり、くるくる回り続けたりできるという特性を生かして表現する。

 さて、そこでだ。滑るというのは、スーと流れていくわけだから、当然滑らかさであったりしなやかさの表現に向いてゐると言える。滑るから、突然加速したり突然止まることには向いてゐない。

 何が言いたいのかというと、スケートではリズム表現が難しいということだ。だって「滑る」のだから。

 したがってスケーティングの巧さはリズムがどれだけ表現されてゐるかに如実に現れる。

 「All of me」はジャズである。「ザンガ、ザンガ、ザンガ、ザンガ」と三連符の跳ねたリズムの曲だ。このザンガザンガでルーズな感じ、瀟洒な感じを出してゐる。お洒落で知的で、ちょっとドレスアップしてワインでも飲みますかという感じ。

 ヨナはこの感じを実に見事に表現してゐる。

 例へば1分20秒からのスピン、立ち上がって速度をあげて、今度は段階をふんで速度を落とすところ。この速度の落とし方など天下一品であって、その変化の付け方によってジャズの洒脱さをはっきりと形にしてゐる。

 それから1分47秒からのステップ。ステップと言っても氷から足をあげず、氷上に円を描きつつ、回転しながら進んでいく。その弧を描く際の緩急と重心の転換によりザンガザンガを表現してゐる。

 どちらももの凄く繊細な身体コントロールが必要なはずだが、ヨナはそれをいかにも軽やかにやってゐる。エレガントだ。

 もう一点指摘しておくと、このプログラムにはジャンプが一度も出てこない。ジャンプがフィギュアの華のように言われることが多いが、ジャンプがなくてもこれだけ素晴らしい作品ができあがる。ジャンプ偏重はフィギュアの発展を偏頗なものにする。

 「All of me」は大変な傑作だと思う。

 と、書いたところで、実は次に紹介する作品がぼくの考へるヨナのEX最高傑作だったりする。

 アデルの名曲「Someone Like You」。

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  ここまで繰返し「体の使い方がうまい」という表現をしてきたが、この作品はその極致とも言うべきもので、その超絶的なうまさによって現出する美の世界に恍惚となるばかりだ。

 ここでヨナは完全に氷と一体化することに成功してゐる。自身の手や足の延長のように「氷を感じてゐる」のがはっきりわかる。ここまで身体の拡張に成功してゐる作品は他にない。

 「身体の拡張」という言葉がわかりにくいかもしれないが、そんなに難しい話ではない。例えば、料理人にとっての包丁、野球選手にとってのバットはあきらかに身体の拡張である。

 水泳選手にとっては水が、武術家にとっては相手の身体が、ダンサーにとっては大地がそれにあたる。

 そして、言うまでもなくスケーターにとっては氷だ。

 「Someone Like You」は全篇にわたって、氷と身体が一つになることで生まれるエネルギーの受け渡し、ヨナと氷との交感が視覚化されてゐる。

 身体には重さがある。重さとはエネルギーである。ヨナはそれを氷に伝える。ここに一つ動きが生じる。今度は氷からエネルギーが返ってくる。ヨナはそれを足の裏から膝、股関節、背中、を通し頭、腕、指先にまで伝達する。その入力・出力の微細な変化によってヨナの動きが変化する。

 どこを取り出したらいいのか困るが、例えば35秒~45秒にかけてのシークエンス、それから1分31秒~1分50秒にかけてのシークエンスなどは特にわかりやすい。

 ある動きが次の動きを生み、その動きがまた次の動きを呼び込む。恐ろしく高度で精妙な動きが自律的に生成してゐる。

 もはやここではヨナが主体的に自分の体を動かしてゐるやうには見えない。そうではなくて、こういう動きをするエネルギー体がたまたまヨナの身体という形をとってゐるという感じを与える。まことに天衣無縫だ。

 さて。

 2012~2013年シーズンのSPとFSプログラムをまだ紹介してゐない。FSの「レ・ミゼラブル」は次の「哀しみの芸術」で取り上げるので、ここではSPの「吸血鬼の接吻(KIss Of The Vampire)」を。

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 これは明らかな駄作であり、10代の「こうもり」「ミス・サイゴン」「シェヘラザード」と同じく残念ながら退屈な作品だ。言うべきことは何もない。

 続いてこれは2014年、ソチオリンピック後の最後のアイスショーで発表した作品だが、これも「珠玉」の中で紹介しておきたい。

 プッチーニのオペラ、トゥーランドットから「誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)」。

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 もの凄い。圧倒的なオーラだ。

「女王ヨナ」という呼称がかなり一般的だが、本当にこの人は「女王」としか言いようのない存在感を持ってゐる(ケイト・ブランシェット的な)。

 バンクーバーで引退しないでくれて本当によかった。これほど見事な作品を残してくれて、これほど豊穣な世界を見せてくれて、ただただ感謝あるのみだ。

 女子フィギィアの全盛期が低年齢化してゐるのはよくない傾向だ。ジャンプが跳べるから軽い方が有利であるとか、選手としてのピークが10代後半であるとかいう状態は、スポーツとしてちょっといびつではないだらうか。

 バンクーバー以降のヨナが見せたように、大人にならなければ表現できない境地というものが当然ある。もう少し芸術性に重点を置いた採点方法に変わってくれればいいのだけれど。

 

 まだ紹介してゐない作品が4つ残ってゐる。

 2012~2013年シーズンのFS「レ・ミゼラブル」。

 2013~2014年シーズンのSP「哀しみのクラウン(Send in th Clowns)」、FS「アディオス・ノニーノ(Adios Nonino)」、EX「イマジン(Imagine)」だ。

 ぼくは次に最後の「Imagine」を除いた三作品をとりあげ、それらが「キム・ヨナの芸術」の粋であり最大の達成であることを述べたいと思う。

 

 

             哀しみの芸術

 

「点数や結果に関心が偏る雰囲気が続いていて、私の涙の理由もその方に解釈されているようですけど、100パーセント正直言って、私の涙に悔しさとか心の痛みとかいうことは全くありません。信じて下さってかまいません」

          ソチオリンピック競技終了後の涙の理由を問はれて

             http://japan.hani.co.kr/arti/politics/16803.html

 バンクーバー以後の珠玉の作品の中でも、ここから紹介する三作品は突出した傑作であり、また共通の主題を扱ったものであるため別枠を設けて見ていきたい。

 共通の主題とは見出しの通り「哀しみ」である。哀しみに打ちひしがれた人間の姿、人がいかに哀しみと付き合うのか、をヨナは引退直前の2シーズン・3作品かけて追求した。

 まづ、2012~2013年シーズンのFS「レ・ミゼラブル」。

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 「レ・ミゼラブル」は、ぼくにとっては「ああ無情」の題が馴染み深い。最近あまり使われなくなった気がするが、なかなかいい邦題だと思う。原題は「悲惨な人々」「哀れな人々」を意味するそうだ。この文豪ユーゴーの大長編は題名の通り、悲惨な運命に翻弄される哀れな人々の物語だ。

 けれどただ悲惨で哀れなだけではない。ユーゴーは、悲惨で哀れな生を生きる彼等が、高貴な精神を失うまいとする健気な姿を英雄的に描いた。

 そして、ヨナの「レ・ミゼラブル」は人間の英雄性と気高い精神を完璧に表現してゐる。荘厳である。

 われわれはフランス革命の時代を生きてはゐないが、人生の苦しさについては誰でも知ってゐる。

 われわれは弱く、脆く、貧しく、孤独であり、人生の大半は負け戦を強いられ、幸福は長続きせず、苦労はさかんに降ってくる。油断してゐるとすぐに卑屈になって、幸福に見える人間を妬んでは彼等をひきずり下ろすことに熱中しはじめる。

 平凡人はそんなものだ。

 しかしどんな平凡人の中にも「それぢゃ嫌だ」という気もちがあるだろう。「善く生きたい」「もっと自分を好きになりたい」という気持ちがあるだろう。

 苦しみの中にあってそういう気持ちを持ち続けることができるかどうかに人間の品位が現れる。気高い精神を守るための戦いに、勇気を出して挑まなくてはならない。それは美しく英雄的な営みだ。

 「気高い精神」「勇気」などと書くと、すぐにポエム化してしまうのが冷笑の時代である現代の哀しさだが、はっきり言って、そうした美徳が失われたら、あるいはそれらが美徳であるという認識、何としてでも守らなくてはいけない態度であるという認識が失われたら世界は闇だ。

 ホントに。

 続いて引退を決めて望んだ2013年~2014年シーズンのSP「Send in th Clowns」。

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 天上的な美しさだ。

 4年前「ボンド・ガール」で最高のエンタテインメントを披露し観客を熱狂させた彼女は、最後のオリンピックにこのしっとりと美しいバラードを選び、静謐で聖性に満ちた宗教的作品に仕上げてきた。

 「レ・ミゼラブル」では哀しみに打ち勝つ英雄的な人間を描いたが、ヨナはこの「Send in th Clowns 」では哀しみに対して全く別のアプローチをしてゐる。

 哀しみに寄り添い、哀しみと共に生き、そしてその生を愛おしむ。そんな人間のありかたを表現してゐる。

 「レ・ミゼラブル」とは反対に「英雄的な精神」や「勇気」を守りきれない人間の弱さ、気高い精神を売り飛ばしてしまう人間の弱さに、優しく寄り添ってゐる。

 それにしても、何という美しさ。この美しさは「優しさ」の美しさだ。哀しみに寄り添う心の美しさだ。

 

 FSはアストル・ピアソラのタンゴ「アディオス・ノニーノ」。ノニーノはピアソラの父の愛称で、この曲は亡くなった父に捧げられたものだ。さようなら、ノニーノ。

 競技生活の最後にヨナが選んだのは情熱的な鎮魂曲だった。

 ぼくはここまで「空前絶後の傑作」とか「天衣無縫」とか、法外な賛辞を連発してきたが、一番好きな作品は何かと聞かれたら、迷わず「アディオス・ノニーノ」と答える。

 愛する人を失った哀しみ、激情、愛が主題だ。

 ヨナ個人にとっては、これが自分のスケート人生との別れでもある。選手生活の間、辛い時間がほとんどだった。幸せな記憶は数%もなかった。けれど、やはりそれが自分の人生だった。自分にはそれしかなかったし、そういう人生を生きると自ら決めた。運命を受け入れ、それを主体的に選びとった。辛かった選手生活を確かに自分は愛してゐる。

 そして、必ず別れはやってくる。ヨナはこの4分間に、これまでのスケート人生を思いかえし、さよならを告げる。

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 「死の舞踏」、バンクーバー時代のヨナとはまったく違うヨナがここにゐる。10代後半のヨナはそれこそ神がかって、強烈な巫女性をまとってゐた。韓国国民の期待を一身に背負い、完璧な演技を行い、巨大なカタルシスとともに歓喜を生んだ。

 しかし今は違う。ヨナは普通の人だ。脆く、弱く、傷つきやすい肉体をもった普通の人になってゐる。普通の人として、彼女は「愛と別れ」という普遍的な主題をこれ以上ないほど優雅に表現してゐる。

 イナバウアー直後の表情、また、三連続ジャンプ直後の表情を見て欲しい。間違いなく、ヨナ史上最も美しく、柔和で優しさに満ちた表情をしてゐる。

 穏やかな「至福」の微笑みだ。

 演技終了後、ヨナは控え室で泣いたという。多くの人はそれが疑惑の採点のために銀メダルに終わってしまったことに対する悔し涙ではないかと想像した。

 しかしそれは全然違ふ。

 涙の理由をヨナは「これまであまりにも辛かったので、ずっと溜まってきたものが一度に噴出した涙だった」と説明してゐる。

 これまで書いてきたようにヨナがソチオリンピックに出場したのは五輪連覇という栄光のためではない。彼女は「終わらせるため」に来たのだ。

 競技後のヨナの言葉をいくつか拾ってみよう。

 「再び五輪に挑戦する時、最も難しかったのは、明確な目標がなかったことだ。バンクーバー五輪は金メダルのために自分の命をかけることができたが、金メダルを取った後は当時のような切実さはなかった。練習でモチベーションが十分でなかったのが難しかった」 

私は2連覇には全く関心がない。ただ私の最後の競技をうまく終えたかっただけであり、結果はどのように出てきても後悔しないようにしたい」

「私は本当にかまいません。自分が満足しているのでそれで十分です。より切実に望んでいた人に金メダルがいったと思います。すべての荷物を下ろしたということだけで幸せです」

http://japanese.joins.com/article/103/182103.html?servcode=600&sectcode=670%EF%BB%BF

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/16766.html

http://japanese.joins.com/article/138/182138.html

 ヨナは繰返し「終わり」という言葉を使い、「終わらせかた」が問題であったと言ってゐる。

 ヨナがモチベーションに苦しみながら、悩み続ける中で問題にしたのは、結果ではなく「終わらせかた」だった。その過程で、ヨナは先に紹介した珠玉の作品群を生んだ。そして最後に見せたのが、「哀しみに寄り添う優しさ」と「辛かったスケート人生に対する愛と別れ」だった。

 ぼくはその人生に対する誠実な姿勢、自分との向き合い方に深い敬意を抱く。

 同時に、その芸術的な成熟に感動する。疑惑の判定も金メダルを逃したことも、正直言ってどうでもいい。オリンピック連覇が何だ。

 ヨナがソチで見せた二つの作品は、舞踊芸術としてのフィギュアスケートを完成させたパフォーマンスとして永遠に残るに違いない。

 キム・ヨナの芸術は哀しみの芸術。

 哀しみを表現すること、そしてそれに共感することはとても大切だ。人と人はいかにして結びつくのか、と問うてみればその理由がわかる。

 「哀しみの共有」によって、である。哀しみや痛みを共有できたときに人と人は結びつくことができる。

 ヨナは競技スポーツの枠の中で、人間生活の根底に横たわるこの哀しみという問題をとりあげ、芸術的に昇華させた。これ以上の「終わらせかた」はない。

 

 彼女はなぜ哀しみに辿り着いたのか。なぜ哀しみが彼女に宿ったのか。

 それはヨナが朝鮮人だからだ。ヨナの感受性が、朝鮮半島の人々が背負ってきた哀しみに反応しないわけがないではないか。ぼくのこじつけかもしれないが、どうしても書かずにはゐられない。

 1910年、日本は韓国を併合し植民地化した。半島の人々は名前を奪われ、言葉を奪われ、強制的に「日本人」にされた。そして「日本人」として「大日本帝国」のために働かされた。兵士となって戦場で死んだ男がゐた。従軍慰安婦として性奴隷にされた女がゐた。日本人は今でもその歴史と向きあわず、歴史を捏造し戦前を賛美する者達が最大の権力を握ってゐる。在日韓国・朝鮮人の人たちは今でも差別されてゐる。

 日本が戦争に敗れ半島から去ったあとも、半島の人たちは統一朝鮮をつくることができなかった。悲惨極まる朝鮮戦争が始まり、結果、南北に分断された。一時休戦から65年経過した今も半島では「冷戦」が終わってゐない。

 バンクーバーにおいて、ヨナは韓国人の期待を背負い、見事に金メダルを獲得した。四年後、彼女が体現してゐたのは半島の人々がかつて経験し、今も終わらない、この哀しみだったのだ。

 だから最後のEXプログラムは「イマジン」なのだ。

 

               結び

  

「風前のともし火を守るように、対話を守って発展させていくのに、力を添えてほしい」

        ピョンチャン五輪を控へたムン・ジェイン大統領の言葉

             http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29575.html

 冒頭に戻ろう。

 ピョンチャン冬季オリンピックが始まった。半島危機は今小康状態にある。

 開会式では約180人の南北共同選手団が統一旗を掲げて入場し、ムンジェイン大統領はこう述べた。

「この機会を使って、コリアの人々から歓迎と友好のメッセージをお伝えしたい。1988年のソウル夏季五輪は、冷戦の壁を壊し、東西和解の道筋を開いた。あの夏季五輪の開催から30年たって、平昌五輪は世界中の人の平和の希望と共に始まる」

「世界で唯一分断された民族、コリアの人間は、冬季五輪の主催を熱望していた。平和の追求はオリンピック精神を鏡のように映し出す」

http://www.bbc.com/japanese/43007498

 トーマス・バッハ国際オリンピック委員会委員長は演説で「共同入場は平和を知らせる強力なメッセージ」と延べ平和五輪の開催を祝福した。

 更に式典には、北朝鮮からキム・ヨンナム北朝鮮最高人民会議常任委員長とキム・ジョンウン労働党委員長の実妹であるキム・ヨジョン労働党第1副部長が参加し、ムン・ジェインと笑顔で握手を交わした。

 一方、北朝鮮の五輪への参加が決定してから、日本の政界から出てくる反応、大手メディアの論調は否定的なものがほとんどだった。南北対話の再開を歓迎するどころか、「北朝鮮の時間稼ぎだ」「五輪の政治利用だ」「日米韓の連携を破壊するものだ」といった台詞を冷笑的な口調・文体で伝えてゐた。

 小池百合子東京都知事は「平昌大会というより平壌大会になりつつあるのではないかというくらい、北朝鮮の攻勢が巧みという印象を受けてゐる」と揶揄した。

 開会式には安倍首相も参加し、式典の前にムン大統領と会談を行った。安倍首相はムン大統領に「対話のための対話には意味がない」「微笑み外交に惑はされてはいけない」「米韓合同演習は延期すべきではない」と言った。

http://japanese.joins.com/article/502/238502.html?servcode=A00&sectcode=A10&cloc=jp|main|top_news

 メディアの論調、小池都知事の言葉、安倍首相の発言を総合して見たとき、日本人が半島の人々に抱いてゐる嫌悪と侮蔑がはっきとわかる。

 今日本を風靡してゐるこの「朝鮮むかつく」の感情は劣等感の裏返しである。他者を貶めることで相対的に自らを優位に立たしめようという心理操作だ。しかし、誰かを憎んだり軽蔑したりしても日本人の自尊心は回復しないだろう。

 「日本システム」が機能しなくなり、あらゆる領域にほころびが生じ、先行きが不安でどうしたらいいのかわからなくなってゐるというのが、今の日本の実態だ。日本人はそれに対してイライラしてゐるのである。

 そのイライラの安易な捌け口が「朝鮮むかつく」であって、恐ろしいことにその捌け口がまた安倍政権の求心力となってゐる。まことに暗澹たる気持ちになる。

 ムン大統領はオリンピック開幕の前に「風前のともし火を守るように、対話を守って発展させていくのに、力を添えてほしい」と語った。

 南北融和の実現、米朝対話の実現がいかに困難であるかが腹の底から分かってゐる人の言葉だ。絶対に戦争を起させてはいけないと心に誓った人の言葉だ。「平和ボケ」してゐる人は絶対にこういう文句は吐けない。

 聖火台への点灯者を務めたキム・ヨナの引退前、最後のEXプログラムは「イマジン」だった。これを見て終わりにしよう。

 ぼくはヨナと共に平和への祈りを捧げたいと思う。

 風前のともし火を守るように、対話を守って発展させていくのに、力を添えたいと思う。

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            4年ぶりの作品

 

 2018年5月、ヨナが4年ぶりにアイスショーに出演し、新作を発表した。それについて加筆しておく。

 「キム・ヨナの芸術」を投稿したのが2月11日、ピョンチャン五輪が開幕した直後だった。そのとき半島危機はまだ「小康状態」に過ぎず、五輪閉幕後に戦争かという観察もあった。

 そこから半島情勢は大きく動いた。南北首脳会談が二度行われ、これを書いてゐる6月12日、シンガポールで史上初の米朝首脳会談が開催された。これが半島の恒久平和への第一歩となることを願ってゐる。

 

 アイスショーの話である。

 4月3日、ヨナのマネージメント会社オールザットスポーツが「4年ぶりにヨナがアイスショーに出演する」と発表した。たいへん驚いた。

 本文に書いたように、ヨナは2014年ソチ五輪後のアイスショーに出て以来、完全にリンクから離れてゐた。なぜ、今年突然出る気になったのか。まさか南北首脳会談が決定して半島が平和体制の確立に動き出したから、なんてことはないだらうが、本当に何故出る気になったのだろう。

 韓国語ができれば彼女のインタビューなどで答えてゐるものがあるのかも知れないが、日本語で検索した限りでは出演の理由についてはでてこなかった。

 どうであれ嬉しいことだ。わがままな願いだが、ファンとしては、出来れば毎年一つデヴィッド・ウィルソンと新作を発表して欲しいと思う。

 年齢を重ねてジャンプが飛べなくなったり柔軟性が衰えたりするだらうが、全然かまはない。そこから生まれる新しい表現があるはずだ。

 それを見せて欲しい。そうしてフィギュアをもっと豊かにしてほしい。

 ヨナが選んだ曲は昨年公開されたポール・トーマス・アンダーソン監督の映画「ファントム・スレッド」のテーマ曲「House of Woodcock」。

 「映画を見て音楽が好きだと思い、デヴィッド・ウィルソンに同曲を含めた数曲を推薦し、一緒に決定した」とのことだ。

  映画については町山さんの紹介を貼り付けておく。

 まづ、ネタバレなしの紹介。

 そして、↓は映画鑑賞後に思いだしながら聞く解説。

  見てきたが本当に素晴らしい映画だった。ヨナのセンスのよさにはいつも脱帽する。

 アイスショーは5月20日から3日間行われた。ヨナは日毎に衣装を変えて三度このプログラムを披露した。ぼくは3日目の衣装が一番好きだ。

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 これほど気品があって優雅な表現を見せてくれる人が他にゐるだろうか。ぼくはこれを見てとても温かく幸せな気分に包まれた。

 ヨナさんにありがとうと言いたい。素晴らしいです。本当に素晴らしいです。

 ひょっとしたらヨナは、このとびきり美しい映画を見て、音楽を聞き、これなら復帰してもいいな、と思ったのではないか。この曲はヨナにぴったりだ。

 引退後もヨナはけっこう忙しく過ごしてきたはずだ。美しいヨナはモデルとしての仕事をたくさん行う一方で、五輪の広報大使もこなしてきた。

 その中で、彼女はいつでもリンクに帰ってこられるように体作りを怠らずに過ごしてきたのだろう。この上なく美しいものを見せるために。

 彼女の滑りは静謐で、とても美しい。年齢を重ねて、もっと落ち着きが出て自然体の表現になった。昔より、ヨナの人間性が表面にでてきたように感じる。

 ヨナの美しさには誇示的なところがなく、健気で可憐だ。なにか儚いものを愛おしむような優しさを感じる。不意に漱石の句が頭に浮かんだ。

 「菫程な小さき人に生まれたし」

 この感じ。可憐だ。

 三つ目の動画。2分50秒ごろのスピンはおそらく、これまでヨナが見せたことのないものだ。スピンに限らない。こうしたちょっとした変化をつけることでまだまだ新しい表現を生むことは可能だと思う。

 是非、またショーに出てほしい。

 いつか生のヨナさんを見てみたいな。