手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「日本がアメリカを赦す日」岸田秀

「日本がアメリカを赦す日」2004 岸田秀 文春文庫(単行本は2001年刊)

これは大ヒットだった。

猛烈におもしろくて刺激的だから、集中して一気に読んだ。

ほとんど全ページに線を引いた。

日米関係の異常性について考えるための、最良の一冊だと思う。

人によっては「トンデモ理論によるトンデモ本」といって打ち捨てるかもしれないけれど、ぼくは好きだ。

この本はまづ、補論の「個人の分析と集団の分析」から読むとわかりよい。

ここで岸田理論の大枠が明快に語られてゐる。次のようなものである。

人間は、本能が壊れた動物である。本能が壊れて断片化してゐるために、一貫した適応行動の指針にならない。また、現実を統一的に知覚できない、すなわち、現実も断片化して不分明になってしまい、人間は周りの状況がどうなってゐて、何をどのように行ったらいいか、わからない。

現実を見失ったために、人間存在と現実とのあいだに隙間が生じ、そこに多くの幻想が充満する。この隙間に形成されるのが人間の精神である。

幻想はバラバラで支離滅裂であるから、これが行動基準となるためには、構造化されねばならない。幻想が構造化されて形成された精神の中心に自我があり、人間は主としてこの自我にもとづいて行動することになる。

この自我は何らかの基準、規範にもとづいて組織された幻想体系であるから、それにそぐわない幻想はこの組織から排除される。排除された無意識である。

自我の支えとなるのが「時間」である。時間は自我の棲家である。自我は時間という棲家をもつことによって初めて、世界の中に、そして歴史の中に位置づけれらる。自我そのものというものなく、いわば自我は実体ではないのだから、この位置づけが自我なのである。

さらに、自我は価値づけが必要である。人間は本能が壊れてゐるから、自分とは何であるか、何のために生きてゐるのか、人生の目的は何かなどと思い煩うことになる。現実から浮き上がり、時間的に限られた自我に頼って生きる人間は、自我を何らかの永遠の価値に結びつけることによって、自分の存在には価値があることを信じないと生きてゆけない。

その種の永遠の価値には、神とか、国、家、正義、愛、真理、美、芸術、革命、人類とか、いろいろなものがある。

集団についてはどうだろうか。

人間が形成する集団、たとえば民族や国家にしても事情は同じである。構成メンバーがそれぞれもつ支離滅裂でバラバラな多くの幻想を何とかまとめて形成しなければならない。個人の場合と同じく、民族や国家も、集団として世界に適応できなければならない。

個人も集団もともに自然な存在ではなく、自然から離反してゐるために、無数の幻想が入り乱れる場となってをり、そういう状況で、何とか存在するために、それらの無数の幻想を構造化して、個人の場合は精神構造、集団の場合は社会構造を形成する。

この構造は時間の中に存在し、起源と歴史をもち、さらにそれを支え、その存在を正当化する価値、権威、道徳、規範などを必要とする。

個人の精神構造と民族や国家など集団の精神構造は、あらゆる点において同形同質であるから、両者は同じ方法によって分析することができる。

だいたいこんなところだ。

岸田は上のような理論により、日米両国の「症状」を「分析」し、どのような「治療」が可能かを説く。

以下、グっときた箇所をメモしておく。

第一章「アメリカの子分としての近代日本」

 幕末にペリーに強姦されて以来、強姦されて、しかも、強姦犯人の男についてゆかねばならなかった女のような境遇にあった日本は、屈辱感、劣等感に呻きつづけてきました。その屈辱感から逃れるためには、日露戦争は、外国の助けによってではなく、日本人自身の勇敢さや自己犠牲などの優れた資質、日本人自身の能力と努力によって、つまり日本民族の優秀さのゆえに勝ったのだというこの神話を是が非でも信じる必要がありました。この神話が、その後の日本を誤った道へと引きずり込んだ元凶であると僕は考えています。のちの日米戦争の惨敗の原因は、この神話です。いかなる場合でも、不愉快な現実を無視し、都合のいい神話を信じた代価は、本人の想像を絶するほど、高いものにつくのです。

 そもそも日米開戦そのものがペリーに対する復讐だったかもしれないと思うんですよ。これは日本人である僕だけの考えではなくて、アメリカ人もそれに気づいているんじゃないかなあ。真珠湾奇襲の四年後のことになりますが、一九四五年九月二日、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号上で日本の降伏文書の調印が行われたとき、マッカーサー元帥は、九十年ほど前ペリーが浦賀で旗艦に掲げていたアメリカ国旗をわざわざ本国から取り寄せてミズーリ号上に掲げました。その意味するところは明らかです。「お前たちは、ペリーに復讐したかったんだろうが、そうはゆかないんだよかつてペリーがお前たちに言ったとおりにするしか、お前たちの生きる道はないんだよ。わかったね」、と。

 国際関係といったって、要するに、人間が動かしているんだから、個人が喧嘩する場合と変わらないんですよ。そんな難しいことをやっているわけじゃないんですよ、国際政治だって。人間が、個人関係では感情で動き、国際関係では理性と打算で動くなんてことはあり得ません。いやむしろ、ある集団の集団的行動は、その集団のなかの優れた個人の個人的行動よりはるかに愚かなのが普通です。国際関係は、国家が集団として他の国々とかかわるのですから、愚行が繰り返されていると考えていたほうが間違いが少なくて済むでしょう。三人寄れば文殊の知恵とかで、集団では大勢の人が知恵を出し合って考えに考え、賢明な行動を取ることができると信じるなんてのは、人間の集団というもののメカニズムを知らな過ぎます。そういうことが成り立つのは、三人が三人とも、自分以外の人の考えにまどわされず、それぞれ自分の頭で真剣に考えたときのみです。集団のなかのたいていの人たちは何も考えていないんですよ。だから、知恵も出しません。個人の場合も、どうでもいいようなつまらぬ理由で殺し合いの喧嘩をすることがありますが、集団の場合も同じでしょう。

 他方、日米戦争と日本の敗戦のメリットは何でしょうか。アジアが植民地から解放されたことが一番のメリットであると思いたいところですが、これも、日本が戦争をしなくても、いずれそのうちそうなったと考えられます。日本の戦争が植民地解放のきっかけになり、その時期を早めたことは確かでしょうがね。しかし、日本がアジアを植民地から解放したと言うのは、自己正当化でしかないと思います。そのような見方は、日本人が白人を追っ払ってやらなかったら、アジア人はいつまでも白人に支配されるがままになっていたと見なしているわけで。アジア人を馬鹿にしています。

 ペリーの脅迫に屈してからの日本はずうっと屈辱のなかにありました。考えてみれば、日本近代の百数十年の歴史は屈辱の歴史でした。何としてでもこの屈辱を雪ぎ、誇りを取り戻したいと近代日本は焦り、あがきつづけたのです。白人帝国のロシアに自力で勝ったと思い込んだのも、屈辱感をごまかすためにそう思い込む必要があったのです。しかし、日本をこの屈辱状態に追い込んだのはアメリカですから、屈辱を決定的に克服するためには、アメリカに勝たねばならなかったのです。

 アメリカとの戦争が始まり、真珠湾奇襲に成功した知らせに多くの日本国民が舞い上がって喜んだのは、ついに長年の恨みを晴らす日がきたと信じたからでしょう。実際、日本近代の屈辱の百十数年の歴史のなかで、真珠湾奇襲からミッドウェイ海戦までの半年間は、唯一、日本国民が屈辱から解放され、心から幸福であった時間でした。

 しかし、この短期間の幸福の代償は、三百万人の日本人の死というえらく高いものにつきました。いくら何でも高過ぎました。ミッドウェイ海戦に惨敗してからあとは、日本は坂道を転げ落ちるように敗戦へと追いつめられ、敗戦後から今に至るまでずうっとアメリカの属国で、その占領下にあります。

 現在は、大親分のものとで子分たることに甘んじ、ショバ代を払って商売をさせてもらっています。ときどき、沖縄あたりでアメリカ兵に女の子が強姦されたりしますが、日本を守ってもらい、その上、商売ではかなり儲けるのを大目に見てもらっているので、日本人の一部は、これでいいか、という気がしているようです。アメリカの対等なパートナーだとか同盟国だとか自己欺瞞をしてつねづね屈辱感を無意識へと抑圧していますが、抑圧された屈辱感が、ときどき噴き出してきて、変な事件が起こります。安保騒動とか、ライシャワー大使傷害事件とか、よど号ハイジャックとか、三島由紀夫の割腹とか、テルアビブ空港の連合赤軍の乱射とか、オウム真理教とか。

第二章「屈辱感の抑圧のために二つの自己欺瞞

 日本は屈辱を感じてはいるが、それを抑圧していると、僕は見ていますね。外から見ればアメリカの子分であるのは明らかなのに、日本人だけがそう思っていない。あるいは、心のどこかで知ってはいるのだが、見て見ぬふりをしています。要するに、自己欺瞞しているわけで、自己欺瞞が戦後日本の最大の特徴です。戦後日本は、いろいろな問題に直面するたびに、解決を見出す手前でこの自己欺瞞の壁にぶつかって跳ね返され、未解決のままにしておかざるを得なくなっています。この壁をぶち破ってその向こう側に出れば、解決の道が見えてくる可能性があるのにですが、それができないのです。そのため、イライラと欲求不満が溜まりに溜まっています。戦後日本人の不安定感、閉塞感、抑鬱、居心地の悪さなどの多くは、この自己欺瞞のせいではないかと思います。

 では、どうすればいいのでしょうか。僕に言わせれば、被占領国なんだから被占領状態にあることを認識することがまず第一歩ですね。そして、この非占領状態を解消する力があれば解消する方向に向かえばいいし、被占領状態を解消する力がなく、どうしようもないのであれば、被占領状態であるという現実を認識した上で、それを甘受し、時期を待つべきですよ。

 戦争中、日米の戦いは精神と物質の戦いだと言われていました。高貴な精神が下賤な物質に負けるはずはないので、この戦争は日本が勝つに決まっているということでした。このような考え方の背後に誤った日露戦争観があったわけで、何度も言いますが、日露戦争の本当の勝因を正しく見なかったことが日米戦争の敗戦でした。

 個々のまずい作戦はそのような現実離れした全体的戦略構想の一環なのです。ガダルカナル作戦の辻政信参謀、インパール作戦牟田口廉也中将などは、後から見れば、実に馬鹿げた非現実的な作戦をやっており、そのために日本軍は無意味に莫大な損害を被りました。これらの作戦の敗北の責任が彼らにあることは間違いないですが、彼ら個人を責めても始まりません。彼らは、普通のまともな集団でなら、大法螺吹きの空威張り屋だと馬鹿にされて放り出されかねない、現実感覚を喪失した誇大妄想的人物でしたが、問題は、そのような人物がリーダーに選ばれ、権力をもち、その意見が通るようになる構造が日本軍にあったことです。

 一九四四年秋、大西滝治郎海軍中将の発案で始められた、世界の戦史に例のない神風特攻隊も同じ趣旨のものでしょう。特攻隊は、初めのうちこそ敵の意表を突いていくらか戦果をあげたようですが、アメリカ軍は護衛機を増やし、弾幕を密にするなどの対策をただちに講じたので、そのあとはほとんどがむなしく海面に突っ込むだけになったようです。「一機をもって一艦を屍る」と怒号していましたが、結局、四千機ほど出撃して、敵艦まで達した言わば命中率は、五%以下だったそうです。

 特攻隊も、日本兵の死を恐れぬ勇気を誇示するという精神的効果をねらってのことだったことは明らかです。現実的効果が問題なら、特攻隊員に想像を絶する苦しみを強いるだけで、敵に打撃を与える効果はほとんどないことはわかっていたのですから、中止したはずです。しかし、戦局がますます不利となっていた当時、その精神的効果がますます必要になっていたのです。精神的効果とは、言い換えれば、気休めのことですが、人々は、これほど死をものともしない勇気を示せば、必ずや戦局は逆転すると、心のどこかで信じていました。

 このようなとんでもない作戦に対して、ほかの国なら当然起こるであろう反対が日本国民には起らなかったのは、「死を恐れぬ勇気」があれば勝てるという、この作戦の前提となっている観念を、軍部のみならず広く国民一般も信じていたからでしょう。どれほど現実と矛盾していても、現実に裏切られても堅持される観念を妄想と呼びますが、この観念は、まさに妄想の域に達していました。これを信じるしか、屈辱状態を解消し、誇りを回復する道はないと見えていたので、この観念を捨てるわけにはいかなかったのだと思われます。これほどまでに、近代日本人の屈辱感は深かったのです。

 屈辱に対する明治の日本と、敗戦後の日本の態度の違いは、たとえば、対外条約に対する態度の違いに典型的に出ています。明治政府の連中は、アメリカをはじめとする諸外国と結んでいた不平等条約不平等条約であり、屈辱的であることを、ときには悔し涙を流しながらことあるごとに訴え、その廃棄に最大限の努力を傾けましたが、一九五一年に日米安全保障条約を結んで以来の日本政府は、この条約が不平等条約であると明言したことは一度もありませんし、その廃棄を目指すどころか、永遠に続けたがっているかのようです。

 現在、はっきり言って、日本はアメリカの属国、被占領国、子分ですが、そのことを認めず、いやそうじゃない、日米は対等なパートナー、相互の信頼と尊敬にもとづく同盟国であり、日本は独自の判断にもとづいて行動している独立国であって、アメリカの意向に支配されてはいないと、日本政府は、いや政府だけではなく、国民も思いたがっているかのようです。かつての大失敗に骨の髄まで懲りたので、アメリカの支配から軍事力によって脱出するのは決定的に断念したのですが、脱出できないとなると、方針を転換して、これは屈辱でも何でもないんだ、脱出しなくていいんだ、このままでいいんだ、いやこのほうがいいんだと思い始めたわけです。

第三章「ストックホルム症候群

 たとえば、僕は憲法の不戦条項に必ずしも反対ではありません。しかし、加藤典洋さんがどこかで言っていたと思いますが、日本国民が不戦条項に真に賛成なら、いまの憲法を改正して新しい憲法を作り、そこに不戦条項を入れるべきです。内容が正しいのであれば、押し付けられたものだっていいではないかという議論がありますが、これは誇りを失った卑屈な者の議論です。(中略)目的と手段は一つの有機的全体を成しているのであって、切り離すことはできないのです。不正な手段で正しい目的を実現することはできないのです。不正な手段で正しい目的を実現することはできないのです。自ら進んで獲得したのではなく、他から押し付けらえた平和主義は、ちょっとしたことですぐ脆くも崩れる偽りの平和主義にしかなりません。そのような手段で獲得したかによって、形は似ていても違った結果になるのです。

 現実を見ないとどうなるかというのは、非常に単純なことですよ。何度も繰り返しますが、日本軍の作戦なんて、現実を見ていなかったから失敗したわけです。都合の悪い現実を無視して作戦を立てるから、どれほど必勝の信念をもとうが、死を恐れぬ勇気をもとうが、身を犠牲にして戦おうが、不可避的に負けます。現実を見るか見ないか、その差が現実の結果を決定します。

 国家にしろ個人にしろ、同じことです。神経症も、幼いときの親子関係とか、自分に関する苦痛な都合の悪い現実を見ないから起こるのです。これまで見ていなかった現実を見さえすれば、神経症は基本的に治ります。非常に単純なことですよ。

 その場合、神経症が治ったからといって、天にも昇るような素晴らしい気分で人生が送れるようになるわけではありません。いやな現実を見るわけだから、前より不幸になるかもしれません。しかし、生きるということは、現実を見て現実に生きることだと思います。現実を見るというのは単純なことです。しかし、それができなければ、国も個人も、長い目では必ず失敗します。

 日本の場合、屈辱的現実をごまかさずに認識した上で、結果として、いまと同じ、アメリカの子分として生きる道を選択することだってあり得ると思います。独立を唯一絶対の目標にすることはありません。軍事的にも経済的にもアメリカから独立するとなれば、いろいろそれなりのデメリットがあるでしょう。いまより貧乏になるかもしれません。いまのような経済的に豊かな生活を第一に守りたいというなら、このままの道を選択することもあり得ます。また、日本国民が、軍事的にアメリカに依存しているほうが日本にとって有利だと、ゆっくり考えた上で結論するなら、それでもいいと思います。必ずしも反対ではないですよ。

第四章「嘘のプライド」

 この天孫降臨の神話は日本民族の純粋説、固有説、単一民族説とつながっていますが、現実には、日本民族なるものは、北方から、半島から、大陸から、東南アジアから、南洋諸島から渡ってきた連中の雑居またはごちゃまぜではないかと思われます。そのなかで、比較的に強かったというか、多かったのが半島からきた連中だったのでしょう。僕の想像ですが、この連中が、列島と半島にまたがる勢力をもっていて(倭と百済)、七世紀後半(六六三年)、白村江において、唐と組んだ半島の勢力(新羅)と戦って負け、列島に引き上げて、大和朝廷をつくり、日本と称したのでしょう。すなわち、天孫降臨の神話は、日本民族が雑種であること、大和朝廷は戦さに負けて半島から追っ払われた敗北者の連中がつくったことなどの好ましくない事実を隠蔽するためにつくられたと考えられます。

 ついでながら言えば、普通ならというか、本来ならというか、戦さに負けた敗北者というものは滅ぼされてしまうのですが、日本列島という格好の逃げ場があって、何とか生存できたというめったにないきわめて幸運な運命を背負っているのが日本民族ではないかと思われます。このことが、判官贔屓というか、源義経楠木正成豊臣秀吉西郷隆盛などの敗北者を好み、悲壮な敗北の物語を好む日本民族の奇妙な特徴を説明するのではないでしょうか。日本人が敗北した英雄を好むのは、日本が敗北した英雄がつくった国だからではないでしょうか。日本民族は、敗北したときに、始原の自分を再発見するのです。

 日本だって、わが国は万世一系天皇がしろしめす神の国であるとか、大和民族は同じ血でつながっている純粋な民族であるとか、日本兵は忠勇無双で死を恐れないとか、いざとなれば、元寇のときのように、神が助けてくれるとかの非現実的なことにプライドをおくのではなく、現実の日本の歴史に、現実の日本のいろいろな面に誇るべきところはたくさんあるのだから、そこにプライドをおくべきだと思います。そうなれば、いたずらに誇大妄想と卑屈のあいだで揺れ動くのではなく、現実の日本をより誇らしいものにしようという気にもなるというものです。それが現実的なプライドのもち方だと思います。

 個人の場合でも、何か特別な価値のある人間でなければ生きるに値しないなんて考える考え方は、とんでもない間違いでしょう。特異な天才で非常な才能に恵まれているとか、希代の英雄であるとか、あるいは家柄がいいとかでなければ、どうして生きる価値がないのでしょうか。何ら特別のことはない普通の人間には、どうして生きる価値がないのでしょうか。そういう考え方は、幼児的ナルチシズムを引きずっている人に見られる考え方です。ナルチシズムの基準から外れると、何の価値もないのです。ありもしない理想の女という固定的なイメージに執着し、理想の女でないと自分には値しないと思い込んでいる男が、現実にぶつかればたちまち崩れるしかない空想的な片想いしかできず、一生、現実の女とはかかわりをもてないのと同じように、非現実的なことにプライドを求める個人も国家も、現実には不適応になるしかありません。普通の人が普通である自分の存在に価値を見出し、そこにプライドをおけばいいんですよ。自分の存在価値を証明するために何か特別のことをする必要なんてないんですよ。

 しかし、その必要があると信じていたのが近代日本でした。明治政府がアメリカに強姦された屈辱を雪ごうと必死に努力した点は認めるのですが、いつの間にか、その努力は誇大妄想的プライドを保とうとする努力へと変質してゆきました。そのプライドを保つために、最後には、力でアメリカに勝たねばならなくなったんでしょうね。

第五章「平和主義の欺瞞」

  念のため、断っておきますが、敗戦後の平和主義がアメリカの押しつけだと主張するからといって、言うまでもなく、僕は、反平和主義者でも戦争賛美者でもありません。戦争は人間の最大の愚行であり、戦争より平和がいいに決まっていますが、それこれとは問題が別です。僕は、押しつけられた平和主義を、自ら選び取った平和主義に変えたいのです。さっきも言ったように、両者は決して同じではありません。押しつけられた平和主義を自ら選び取った平和主義と偽っている限り、本物の自ら選び取った平和主義を永遠に遠ざけることになります。押しつけられた平和主義は平和の敵です。

第八章「東京裁判アメリカの病気」

  なぜアメリカは敵を完膚なきまでに叩きのめさないと気が済まないのでしょうか。またインディアンとアメリカ人の歴史に返りますが、それはインディアンを完膚なきまでに叩きのめしたからです。アメリカ人はインディアンを完膚なきまでに叩きのめし、かつ、そのことを正当化したため、それ以後、いかなる敵と戦っても、敵の立場をいささかも考慮に入れ、敵の正当性をいささかでも認め、完膚なきまでに叩きのめす手前で中止したとしたら、かつてインディアンを完膚なきまでに叩きのめしたのは果たして正しかったのか、そこまでやる必要はあったのか、などの深刻な自己欺瞞に陥らざるを得ないのです。その前で、思考停止せざるを得ないのです。かつて正しかったことは、今も正しいはずなのです。いま、それを正しくないと認めれば、かつてのことも正しくなかったと認めざるを得なくなります。そうなれば、アメリカという国家のアイデンティティが崩れます。