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「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。-幕末・戦後・現在-」加藤典洋

どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。-幕末・戦後・現在-

2018 岩波ブックレット

 

2017年に著者が行った講演に加筆修正したもの。

薄っぺらいのですぐ読める。

けれど内容は、濃く、深い。

加藤は日本が幕末に成し遂げた明治維新と、悲惨な敗北に終わった大日本帝国とを比較する。

幕末の志士達は当初「尊王攘夷」思想をかかげてゐた。

しかし、現実の壁にぶつかり(薩英戦争・下関戦争)「尊王開国」思想へと「転向」することができた。

しかし、大日本帝国が奉じた皇国思想は「敗北」という現実にぶつかることができず、したがって二発の原子爆弾を落とされるまで戦争を終わらせることができなかった。

この差は、どこにあるのか。

現実にぶつかって「変態」を遂げるためには何が必要か。

著者は思想の「二層構造性」ということを言う。

 つまり、一つの思想が現実の壁にぶつかり、自分を変えることができるための条件とは、次の二つだということになりそうです。一つは、その一階部分の思想が地べたの普遍性をもっていること(そうでないと、現実の壁にぶつかることができません)、そして、もう一つは、その一階部分が多くのばあい、イデオロギーとして、より純化された側面を体現している二階部分の思想領域との間に、生き生きとした拮抗関係をもっていること(そうでないとこのイデオロギーを転換できません)。言葉を変えれば、この二つを備えていないと、思想は生き生きと人を動かさないし、また人からも、動かされない。そしてそれが、幕末の尊王攘夷思想と昭和前期の皇国思想との違いでもあったのでした。 39頁

「地べたの普遍性」とは 、弱者の抵抗のやむをえなさ、動かしがたさを言う。

皇国思想にはそれがなかったため、現実の壁にぶつかることができず、方向転換ができなかった。

そうしてポツダム宣言の受諾にいたって、日本はようやく、敗戦という現実にぶつかった。

ここに戦後、幕末以来の「地べたの普遍性」が生まれた。

「つくづく、戦争というものはダメだ」「戦争だけは、絶対にいけない」

という「戦争体験」がそれだ。

戦後日本の平和思想、9条をささえる護憲論は、この地べたの普遍性による一階部分(不正義の平和)と、戦後民主主義と呼ばれる二階部分(正義の平和)があわさった二層構造だった。

それから70年あまり。

戦後の平和主義・護憲論はいま、現実の壁にぶつかってゐるのではないか?

なぜなら、安倍政権による2015年の安保法制により、集団的自衛権の行使が可能となり、憲法9条は事実上骨抜きになってしまった。米国は自衛隊を自由に自分の指揮権下で使うことができる。

憲法9条はほとんど空文化したと言ってよい。

 だとすれば、もう一度、とにかく、どんなことが起ころうと、「戦争はダメだ」という戦争体験の初心の場所まで戻り、そこからはじめ直すしかありません。いまいる場所から、何が失敗の理由だったかを洗い直し、戦争を阻止しようとするには、何が必要か、と考え直してみるほかありません。 64頁

壁にぶつかった憲法9条と護憲論の二層構造は、「変態」をする必要があるだろう。

どうすれば日本は変われるのか。

加藤は「憲法9条の問題は日米安保条約の問題である」と前置きして言う。

  そのために、必要なのは、まず、自立して、日本が日本の国益を第一に考えるというあり方を、再構築することです。つまり、「後ろめたさ」、ルサンチマンから離れ、冷静に、現実的に、対米従属からの自立、国の独立をめざす、というあり方です。 66頁

では、対米従属からの自立はどのようにして可能か。

加藤によれば、そのほぼ唯一の方法が「憲法9条の平和条項を徹底強化する」ことだ。

 第二次世界大戦終結直後の米国の平和構想は、国連の警察軍創設による集団安全保障体制を前提にしたもので、マッカーサーが米本国に一部抵抗しながら憲法九条の戦争放棄、戦力の不保持、交戦権否定を謳い、それに違反する戦争行為に出る国があれば、国連の警察軍がこれを制裁する。その制裁の軍事行為は、国連だけに保障される、というのがそこでの考え方です。この基本構成は、いまも変わりません。未了ながら、現在の国際秩序の基本形として、国連のもとに残置されています。日米安保条約も、いまや形骸化されているとはいえ、なお国連の枠を無視できないかたちで成立しています。ですから、その国連とのつながりのカギである憲法九条が、日本と米国、さらに戦後の国際秩序のすべてにフィットする、現在日本の手にある唯一のジョーカーであり、マスターキーなのです。

 その初心の構想に戻り、現在の自衛隊は、これを国連待機軍のようなものに再編する、そして国の安全保障は、必要と判断すれば米国との集団的自衛権の取り決めも行うが、根幹は今後創設される国連警察軍によるものとする、したがって、いったん米軍基地は撤去する、というのがこの本(註:戦後入門)での私の提案の骨格です。むろん、今後、再び、日本が米国と緊密な関係に入ることは大きな選択肢の一つです。ただし、そのとき、日本は独立し、日本国内に米軍基地はありません。外国軍基地の撤去を規定に繰り込むことでそれを可能にするというのが、私の新しい憲法九条改正案なのです。 68頁

この薄っぺらいブックレットを読んだだけでは、了解できないところがある。

「戦後入門」「9条入門」を読もう。

どうしたら日本が自立できるか、考えなくては。

対米従属から脱却できなくては、日本人は誇りを回復することができない。

誇りを回復できないと、歴史修正主義も排外主義もおさまらない。

今猛威をふるってゐる朝鮮ヘイトは「日本を誇りたい」という哀しい叫びだ。

いくら歴史的事実を説いても彼等は耳をかさないだろう。

問題は、自尊心・アイデンティティーの次元にあるからだ。

日本人が日本人であることを誇れるようになるためには、米国の属国であるという事実を隠蔽し第一の子分としてアジアを見下すという卑怯と自己欺瞞をやめ、勇気をだし、肚を据えて、自立を目指すしかない。

もう、限界だ。