手探り、手作り

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「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」

父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」2006

監督:クリント・イーストウッド

 

硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」二部作。アマゾンプライムで発見して迷わず連続視聴。

 

コトバンクによれば「硫黄島の戦い」とは以下のようなものだ。(こちら

 太平洋戦争中の 1945年2月19日,ハリー・シュミット海兵隊少将指揮下のアメリ海兵隊3個師団6万 1000人が高速空母機動部隊と水陸両用支援部隊の援護,支援のもと硫黄島に上陸し,栗林忠道陸軍中将指揮下の2万 2000人の陸海軍部隊からなる日本守備隊との間で行なった戦い。

 3月 26日,栗林中将と海軍部隊指揮官の市丸利之助少将の自決をもって日本軍の組織的な抵抗は終わった。戦略上アメリカ軍にとって硫黄島は,ボーイングB-29爆撃機による日本本土爆撃の基地として重要地点であり,日本軍にとってもB-29をその往路にも帰路にも攻撃することができる,きわめて重要な戦略的拠点であった。

 このため大本営硫黄島を本土防衛の第一線として確保する方針であった。日本軍は天然の洞穴や岩場を最大限に利用して地下陣地を構築。一方アメリカ軍はこれまでの太平洋諸島の戦いで最大量の砲撃・爆撃をもって攻撃。1ヵ月以上の攻防ののちアメリカ軍は多数の死傷者を出して硫黄島を奪取した。

 アメリカ側は戦死者 6891人,負傷者1万 8070人,日本側は投降した 212人を除き全員が戦死,あるいは自決した。 

二部作続けて見て、ぼくは非常に複雑な気持ちになった。

いろんな思いがわきあがってきて一つにまとまらない。

 

まづ、何よりも死者の安らかな眠りを願う気持ちがある。死者を悼みたいとおもう。人をして厳粛な慰霊の営みに誘う力がこの二部作にはある。

日本兵と米兵とを問わず、こころのうちで「安らかにお眠りください」と祈ろうという気持ち。見終わったときに自然と、何のこだわりもなくそういう気持ちになった。

 

この「自然と、何のこだわりもなく」というのが大事なところだ。

 

どういう意味かというと、戦後70年たっても日本人は「あの戦争とは何だったのか」「あの戦争の死者をいかに慰霊するか」についての国民的合意ができてゐないために、戦争の犠牲者を悼む際に、どうしても誰かの視線や意見が気になって、静かな慰霊に雑音が生じてしまうのだ。

 

「英霊」「御霊」「天皇陛下バンザイ」「お国のために死んだ人達」・・・こうしたことばが、あまりにも政治的に利用されすぎてゐる。今生きてゐる同胞、自分達と違う慰霊を行う人達を攻撃するための手段として流通しすぎてゐる。

現状、あの戦争の死者を悼む営みについて、どういう意見を述べてもどこかから攻撃されるというかなり「面倒な」案件となってゐる。

 

悲しいことだ。日本人と、日本という国にとって、これはとても不幸なことだと思う。

 

しかしこの二作品は、ぼくのこころにいかなるこだわりも生じさせなかった。「鬼畜米英」の酷さも描いてゐる。大日本帝国軍部の愚昧も描いてゐる。「天皇陛下バンザイ」と叫んで自死する兵士も描いてゐる。けれど、そうしたことばに付いてゐる政治的な臭いはまったく感じられなかった。

 

だからぼくは「自然と、何のこだわりもなく」死者と向き合うことができたように思う。

こういう映画を作ってくれたクリント・イーストウッド監督に深く感謝する。

 

死者を悼む気持ちのほかに、こんなとんでもない映画をつくってしまった監督の力量に対する驚きがある。

偉業だと思う。

映画全体、どこの絵をっても端正で気品がある。

俳優の演技もストーリーテリングも音楽も、的確で且つ抑制されてゐて、特定の感情や思想に誘導する強引さが露ほどもない。

淡々と、そこで起ったことだけを描いていく。

それでゐて、面白い。

こんなに厳粛なのに、こんなに面白いってどういうことなのよ。

 

こういう二部作を撮る映画人を輩出する戦後をつくれなかったということが、ぼくはとても悔しい。何様なんだと言われるかもしれないが、日本人がこれをつくるべきだった。

アメリカに負けてばかりぢゃないか。

 

何年か後に、きっとまた見直すことになるだろうな。

合掌。