手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「マヌ法典 ヒンドゥー教世界の原型」渡瀬信之

マヌ法典 ヒンドゥー教世界の原型」渡瀬信之 1990 中公新書

ヒンドゥー教世界の原型は紀元前およそ六世紀頃から紀元前後にかけて練り上げられた。アーリア人の祖先たちがつくった伝統的かつ正統的な祭式中心の世界を担おうとするエリートバラモンたちがそれを先導した。

 もっともかれらが直接的に目指したのは、人々の行動の準則を確立することである。しかしそれは明瞭な社会体制についての理念と基本的な価値観の上にたって実行されたのであり、それゆえ行動の準則の確立は、同時に、かれらの社会体制を確立することを意味していた。かれらの企ては、前六世紀から前二世紀頃にかけて編纂されたダルマ・スートラ(dharma-sūtra)文献においてまず結実する。そしてそれらの文献を通じて徐々に大成されていった社会体制、価値体系および行動規範の原型は、およそ紀元前後の編纂と推定される『マヌ法典』において総括され、仕上げられた。

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『マヌ法典』は全十二章、千三百四十二のシュローカと呼ばれる二行詩から成り立っており、原題は『MānavaDharmaśāstra』もしくは『マヌ・スリムリティ』(Manusmṛiti)である。前者の原題は「人類の始祖マヌに発するダルマに関する教え」、後者は「人類の始祖マヌの伝承」を意味する。  「まえがき」

聖賢リシたちはマヌ(ブラフマンの息子、人類の始祖)に近づき、ダルマ(正しくかつ善なる行為とそれに伴う功徳)を語ってくれるよう請う。マヌはダラマを説く前に宇宙と世界の創造について語る。

宇宙はかつて暗黒からなってゐた。宇宙の闇のなかで尊いスヴァヤンブーが自らを誕生させた。いっさいの要素からなり、かつ未顕現の、永遠の存在である。スヴァヤンブーは暗黒を払いのけ、世界を顕現させながら姿をあらわした。姿をあらわしたかの者は、やがて自らの身体から創造主ブラフマンを生み出した。

彼は自らの身体から種々の生類を創造しようと欲し、熟慮した後、まず初めに水を創造し、その中に種子を萌き落とした。(一・八)

それ(種子)は太陽のように輝く黄金の卵となった。そしてその中にいっさいの世界の祖父、ブラフマンが自ら誕生した。(一・九) 4頁

 かれは神々、自然および生類からなるいっさいの被造物にとって不可欠な三要素、すなわち名称、行為、機能(カルマ)および形を創造し、次いで自然や生類の上位に位してそれらを統括する神々、祭祀、三ヴェーダを、さらには自然と生類のそれぞれにとっての基本的要素すなわち時間、時間区分、星辰、太陽と月の蝕、河、海、山、大地の平坦、苦行、言葉、快楽、欲望、怒り、善悪、正不正、幸不幸などの二律背反を次々と創造していく。そして最後に創造される世界の繁栄を願い、この使命を担うためのバラモンクシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラのいわゆる四ヴァルナを自らの身体から生み出す。 4-5頁

はじめに創造するのが「名称、行為、機能(カルマ)および形」というのが面白い。観念的だ。ヴェーダ文献とウパニシャッド哲学に代表される形而上学の伝統が千年くらいあり、それをきれいにまとめるとこんなふうになったということか。

「マヌ法典」はこの長い歴史をもつバラモンの思想と、現実社会の秩序とを結びつけようとした。理想と現実は乖離してゐるものだが、この二重構造を踏まえたうえで、両者を調整する理論を打ち立てた。

『マヌ法典』の圧巻のひとつは、紛れもなく、正統ブラフマニズムの世界のなかで確立されつつあったヴァルナ体制を壮大な宇宙秩序ないしは世界創造の文脈の中に位置づけようとしたことである。ヴァルナ体制とは、バラモンクシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラという四つのヴァルナを中心とする身分制社会のことをいう。この体制は、後期ヴェーダ時代(前一〇〇〇-前六〇〇頃)の半ばごろから形成され始めるが、前六世紀以後になってダルマ・スートラ文献の作者たちが体制の理念化を図るにおよんでその確立にいっそうの拍車がかけられた。この理念化のなかでかれらが第一に明らかにしようとしたのは、四ヴァルナの体制は歴史的な産物ではなく創造主ブラフマンの神意に発するということであった。 10-11頁

実際にダルマ・スートラにおいて叙述されるヴァルナ体制は、純粋化された理念と実際社会との間の調整を媒介として形成される両者の化合物であると言ってさしつかえない。ダルマ文献の作者たちは、現実を無視し厳格にかれらの理念への服従を迫る単なる理想主義者ではない。理想主義者であると同時に現実主義者でもある、したたかなイメージをわたしたちに植え付ける。 33頁

インドにおいて人生はこの世と死後の運命を含む。人間は永劫に続く死と生の連鎖(輪廻)から逃れることはできず、そこからの解放=解脱こそが究極の目的である。「マヌ」法典に「成就(シッディ)」という言葉が頻出する。この言葉は、現世における願望の成就と、死後における究極的境地の獲得の両方を含む。

現世における成就とは、長寿、名聲、富、幸福、子孫など。「マヌ法典」はこのようなふつうの幸せを肯定する。しかしこの成就は現世において完結せず、あの世における成就に道を通じてゐなければならない。

『マヌ法典』は次のように言う。

 

以前の失敗のために自分自身を軽蔑してはならない。死ぬまで幸せを追い求めるべし。それを得がたいと思ってはならない。(四・一三七)

 

 この言葉は人生に対する『マヌ法典』の結論であると考えてよい。それは基本的に現世肯定であり、名声や富あるいは子孫すら捨てた林住、遍歴の禁欲主義者のそれとは無縁であった。 52-53頁

『マヌ法典』の語り口には、インドに関して一般に思われているような諦観は認められない。インド人の諦観は「業」の思想と結びつけれらたが、確かに、善因善果悪因悪果の鉄則は一種の運命論ないし宿命論の色彩を強めたことは事実である。『マヌ法典』の時代と重なる大叙事詩マハーバーラタ』には、種々の不幸や哀しみが過去の業によってもたらされた運命であると嘆く文章が数多く見出される。 94頁

長寿、名聲、富、幸福、子孫を肯定し、求め、得られたら存分に享受するという素直さ、明るさ。ぼくのダンスの師、ヌータン先生の人格・個性から強く感じる。ポジティブである。このポジティブさは、ただ暗いものを嫌う消極性からではなく、根にある強靭な思想から来る。

生徒さんの中にもそういうひとが多い。単純に、教養や趣味としてダンスを学ぶような裕福な階級のひとが集まってゐるからかもしれない。でも本質的に悲哀や無常のほうに意識が向いてしまう個性もあり、ときどきそんな表情の仲間を見ると、なるほどなあと思う。

ぼくは元来悲哀の側の人間で、遍歴からもそうであったが、ちかごろ「マヌ法典」的な肯定と享楽の要素が強くなってきた気がする。実際の成功や名聲とは無縁だから、あくまで考え方として。持って生まれた個性だけではなく、人間関係や人生の階梯に応じて両者のバランスは変化していくものらしい。