手探り、手作り🐘

「ミッション・インポッシブル」新作の予告を見たのですが、かなりいいですね✨

「花様年華」

 「花様年華」2000年 香港 

監督:ウォン・カーウァイ 出演:トニー・レオンマギー・チャン

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10年ぶりくらいに見返したら猛烈に感動した。トニー・レオンが美しい、マギー・チャンが美しい、香港の風俗、あらゆる意匠、スローモーション、音楽、全部美しくて、官能全開、恍惚となった。

惹かれ合う二人はつつしみ深く、つねに節度をたもち、お互いの思いを言わない、聞かない。本当の気持ちを打ち明けない、探らない。

二人が夫婦ならば「なんでも話し合って解決しよう」でよい。

二人が若者ならば「肚にあるもの全部ぶちまけよう」でよい。

けれど、二人はおそらく30代半ば、互いに配偶者がゐる大人の男女だから、愛情をそのまま表に出すわけにはいかない。言えないし、聞けない。

抑え込むからこそ、愛は深くなる。つつしみゆえに、すれちがう。

劇中、冒頭と終盤と最後の都合三度、テロップが挿入される。

冒頭のテロップはこうだ。

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字幕は「女は顔を伏せ近付く機会を与えるが、男には勇気がなく女は去る」だ。時間の制限のために映画字幕は省略がある。逐語的に全部訳すと「それはやりきれない対照だ。女は恥づかしげに顔を伏せ、男に近づく機会を与える。男には近づく勇気がない。女は身をひるがえし、行ってしまう」くらいになる。

終盤のテロップはこうだ。

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字幕は「時は移ろい、あの頃の名残りは何もなかった」だ。直訳すると「あの時代は過ぎ去った。あの時代のすべては失われてゐた」くらいになる。これは短いので省略抜きといってよいと思う。

さて、ちょっと気になったのは最後のテロップ。

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字幕は「男は過ぎ去った年月を思い起こす。埃で汚れたガラス越しに見るかのように。過去は見るだけで、触れることはできない。見える物はすべて幻のようにぼんやりと…」だ。ここで重大な省略がなされてゐるようにぼくには感じられる。

逐語的に全部訳すとこうなる。

「過ぎ去った年月は、埃で汚れたガラスのよう。見ることはできても、触れることはできない。男は過去のすべてを懐かしく想いつづける。もし、その埃で汚れたガラスを突き破ることができるなら、彼はとうに失われた時間に向かって歩き出すだろう」

日本語字幕はいい感じにぼやかしてゐるけれど、実際の文言ではもっとあけすけに男が過去に執着してゐることを示してゐる。ガラスを打ち破って過去に戻りたいのだと。

さて、この三つの挿入が映画の解釈を誘導するのだけれど、果してそのとおり解釈してよいのだろうか。ぼくは疑問だ。

この通りに解釈すると「二人が結ばれなかったのはトニー・レオンに勇気がなく、ちゃんと誘わなかったからであり、マギー・チャンのほうは前に向かって歩き出してゐるのに、トニー・レオンのほうはいつまでも過去に執着してウジウジしてゐる」みたいになってしまう。

ぼくはそれは違うと思う。この誘導はウォン・カーウァイのいぢわるではないだろうか。シンガポール時代のトニー・レオンがあの過去をどういうふうにとらえてゐたかは不明であり、「ガラスを突き破ることができるなら、彼はとうに失われた時間に向かって歩き出す」ような女々しい気持ちであったとは断定できないと思う。

この映画の肝は、先に書いたように二人ともあまりにつつしみ深く、節度を失わないので、はっきりと言ったり聞いたりしないということで、二人の関係は、明確な言葉による合意抜きですすんでいく点だ。そこがたまらなくいい。

問題は、「切符取れたら」の場面と「スリッパもってく」の場面、この二つだ。

トニー・レオンマギー・チャンのオフィスに電話をする。しかし事務所には誰もをらず、呼び出し音だけが鳴り続ける。そしてトニー・レオンは言う。

「僕だ、切符がもう一枚取れたら、僕と来ないか」

これは心の中のセリフだ。なぜ心の中のセリフになったかというと、電話に誰も出なかったからだ。ちゃんと一度は電話して誘おうとしてゐる。その電話をマギー・チャンが取らなかったのは、たまたまその場にゐなかったからであり、これは運命がそうさせたんだ。彼は勇気を出して誘おうとした。しかし、つつしみ深い彼は、一度電話が通じなかっただけで諦めてしまう。その苦渋があの表情とあの背中なのではないだろうか。

「私よ、切符がもう一枚取れたら、連れてって」

マギー・チャンがこたえる。これも心の中のセリフだ。ここが実に泣かせるところで、マギー・チャンも本当は一緒に行きたいのだけれど、つつしみ深いので自分からは言えない。だからトニー・レオンの心のセリフを心で聞き取ってこたえてしまう。

二人が結ばれなかったのは、男に勇気がなかったからではなく、一度の勇気を運命が拒絶し、つつしみ深い二人はそれを受け入れてしまった。つつしみゆえのすれ違いなのではないだろうか。

次に「スリッパもってく」の場面。これは難問だ。シンガポールを訪ねたマギー・チャントニー・レオンの部屋を訪ねて、彼が大切に持ってゐた自分のスリッパをもっていってしまう。ここでも二人は会わず、話もしないので、それぞれが互いの行動の意味を想像して察するだけだ。

つまり、「トニー・レオンがあのスリッパを大切にしてゐること」の意味をマギー・チャンは知らないのだし、「マギー・チャンがスリッパをなぜもって帰ったのか」の答えをトニー・レオンは聞けないので、二人はすれちがったまま解釈するだけということになる。自分の意味付けと相手の解釈はついぞ答え合わせの機会をもたない。

マギー・チャンはおそらくトニー・レオンの子供を出産し、その報告のために、また駆け落ちのためにシンガポールに行ったのだろう。そこでスリッパを見た。スリッパは「過去」の象徴。ここで彼女がどういう気持ちになって、どういう意図でスリッパを持ち帰ったのか。

「やはりあの過去は許されない、一緒になれない、忘れるべきだし、忘れてほしい」とか「この人はまだわたしを愛してゐる。でもそれは昔のわたし。子供ができたいまのわたしを愛してはくれないだろう。」とかもろもろ全部なんだろう。

トニー・レオンにしたら、部屋に帰るとあきらかにマギー・チャンが来てゐて、スリッパだけ持ち帰ってもうゐないのだからちょっときつい。これは酷だ。愛してゐるからこそ、シンガポールにまで来たはずなのに、過去の象徴であるスリッパだけもって消えるのだから。

そしてまた数年後、香港に立ち寄った際のシーンがもう感涙だ。場所が記憶を呼び起こす。しかし、時は移ろい、あの頃の名残りは何もない。追憶、悔恨、惜別。

「切符取れたら」の場面ではトニー・レオンが電話をし、誰も電話を取らない。

「スリッパもってく」の場面ではマギー・チャンが電話をし、トニー・レオンが受話器をとるのだけれど、マギー・チャンは何も言えない。

男も女も勇気を出す。二人とも互いに愛し合ってゐるとわかってゐる。けれど、つつしみゆえに、すれ違う。そういうことではないだろうか。

気持ちを表せない二人、歩み寄れない二人、すれ違う二人がとにかくいい。

あの背中、あの視線、あの煙、あの雨、なんていいんだ!