手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」三島由紀夫

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー三島由紀夫 新潮文庫 2020

「サド侯爵夫人」「わが友ヒットラー」二篇の戯曲を収める。後者のほうが面白かった。三島は自作解題で次のように書く。

 この三幕の戯曲で私が書きたかったのは、一九三四年のレーム事件であって、ヒットラーへの興味というよりも、レーム事件への興味となっている。政治的法則として、全体主義体制の確立のためには、ある時点で、国民の目をいったん「中道政治」の幻で瞞着せねばならない。それがヒットラーにとっての一九三四夏だったのであるが、このためには、極右と極左を強引に切り捨てなければならない。そうしなければ中道政治の幻は説得力を持たないのである。 232頁

三島によれば、極右と極左の切り捨てを一夜にして成し遂げたのがレーム事件であった。実際はもっと複雑な経緯をたどったと想像するが、この単純化によって劇構造は極めてシンプルで分かりやすいものとなってをり、芝居を読みつけない自分も楽しく読むことができた。

登場人物はヒットラー、レーム、シュトラッサー、クルップの四人。ヒットラー全体主義、レームは極右、シュトラッサーは極左クルップは資本家をそれぞれ代表する。ヒットラーが極右レームと極左シュトラッサーを切り捨てるわけだが、主人公はヒットラーではなく切り捨てられるふたり。

レームはヒットラーとの友情を信じてをり、自分が粛清されるとはゆめ思ってゐない。シュトラッサーはヒットラーの企図を察知し、レームに自分と組んでヒットラー体制を顚覆するよう説得する。そうでないと、お前も俺も殺されるぞと。

この説得の場面が最高に楽しい。言葉で人間を動かし、言葉で現実を動かすための弁論術を堪能することができる。あれほど見事な説得がなされてもレームは動かない。ヒットラーを最後まで信じ続ける。

そうして右も左も粛清され、「中道政治」の幻が完成するのであった。

クルップ (椅子にゆったりと掛けて)そうだな。今やわれわれは安心して君にすべてを託することができる。アドルフ、よくやったよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ。

ヒットラー (舞台中央へ進み出て)そうです、政治は中道を行かなければなりません。

ー幕ー