手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「共産党宣言」マルクス エンゲルス

共産党宣言マルクス エンゲルス 岩波文庫 1951

プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。
かれらが獲得するものは世界である。
万国のプロレタリア団結せよ!

カッコイイ。150年前に書かれた檄文だから内容的には古びたところもあるが、言語藝術としての魅力は損なわれることがない。興奮して胸が熱くなった。凄い力だ。まさに歴史的気合の入り方。

翻訳でこれだけカッコイイならドイツ語だとどんなだろう。朗読とか聞いてみたいわ。それでYouTubeで「Manifest der Kommunistischen Partei」と検索したら全文の朗読が出て来た。スゲー。なんでもあるね。ほんとに。なんでもある時代だ。

この朗読を聞きながら、以下、筆写しよう。

www.youtube.com

一八八三年ドイツ語版への序文

『宣言』をつらぬいている根本思想は次のことである。おのおのの歴史的時期の経済的生産およびそれから必然的に生れる社会組織は、その時期の政治的ならびに知的歴史にとって基礎をなす。したがって(太古の土地共有が解消して以来)全歴史は階級闘争の歴史、すなわち、社会的発展のさまざまの段階における搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級のあいだの闘争の歴史であった。しかしいまやこの闘争は、搾取される階級(プロレタリア階級)が、かれらを搾取し圧迫する階級(ブルジョア階級)から自分を解放しうるためには、同時に全社会を永久に搾取、圧迫、および階級闘争から解放しなければならないという段階にまで達した。 10-11頁

共産党宣言

第一章 ブルジョアとプロレタリア

 ブルジョア階級が、すなわち資本が発達するにつれて、同じだけプロレタリア階級、すなわち近代労働者の階級も発展する。かれらは、労働を見出すあいだだけ生き、かれらの労働が資本を増殖するあいだだけ労働を見出す。この労働者は、自分の身を切り売りしなければならないのであるから、他のすべての売りものと同じく一つの商品であり、したがって、一様に競争のあらゆる変転に、市場のあらゆる動揺にさらされている。 52頁

 われわれがすでに見たように、これまでのすべての社会は、圧迫する階級と圧迫される階級との対立のうえに立っていた。しかし一つの階級を圧迫できるためには、その圧迫される階級に、少くとも奴僕的存在ぐらいは保っていけるだけの条件が確保されていなければならない。小市民は封建制的絶対主義の抑圧のもとで努力してブルジョアになった。それと同じように、農奴農奴制のもとで、努力して自治体(コミューン)の成員になった。これに反して近代の労働者は、工業の進歩とともに向上する代りに、かれら自身の階級の諸条件を下まわってますますそれ以下に沈んでいく。労働者は貧窮者となり、貧窮は人口や富よりもっと急速に発達する。このことから明らかにわかることは、ブルジョア階級がもうこれ以上社会の支配階級としてとどまる能力をもたず、自分の階級の生存条件を、規則的法則として社会に強制する能力をもたないということである。かれらは支配する能力をもたない、なぜならかれらは、その奴隷に奴隷制の内部においてさえ生存を保証する能力をもたないからであり、またかれらが奴隷から養われる代りに奴隷を養わねばならない状態にまで、その奴隷をおとさざるをえないからである。社会はもはや、ブルジョア階級のもとでは生存することができない、すなわち、ブルジョア階級の生存はもはや社会と相容れないのである。 59-60頁

第二章 プロレタリアと共産主義者

 ところで近代のブルジョア私有財産は、階級対立にもとづく、すなわち一方による他方の搾取にもとづく生産物の生産ならびに取得の、最後の、もっとも完全な表現である。

 この意味において共産主義者は、その理論を、私有財産の廃止という一つの言葉に要約することができる。

 個人的に獲得した財産、みずから働いて得た財産を、すなわちいっさいの個人的な自由、活動、独立の基礎をなす財産を、われわれ共産主義者は廃棄しようとする、という非難がわれわれに対してなされている。

 働いて得た、自分で儲けた財産! 諸君は、ブルジョア的財産以前からあった小市民の、小農民の財産のことをいっているのか? われわれはそんなものを廃棄する必要をみとめない。工業の発展がそれを廃棄したし、また毎日廃棄しつつある。

 それとも諸君は、近代のブルジョア私有財産のことをいうのか? 63-64頁

(・・・)われわれは、生命そのものを再生産するにしかすぎないような労働生産物を、個人が取得することを廃棄しようとは決して思わない、そういう取得は、他人の労働を支配する力となるほどの純益を残しはしないからである。われわれのあくまで廃止しようと欲するものは、ただ、労働者は資本を増殖するためにのみ生活し、そして支配階級の利益が必要としなければ生活することができないという、そんなみじめな取得の性格である。 65頁

 諸君は、われわらが私有財産を廃止しようと欲することにおどろく。ところが、諸君の現存社会では、私有財産は社会成員の十分の九にとっては廃止されているのだ。それは、十分の九の人にとって存在しないというまさにそのことによって、存在しているのだ。すなわち諸君は、社会の途方もない多数者が財産をもたないことを必然的前提条件とするような財産を、われわれが廃止しようとすることに対して、われわれを非難しているのである。

(・・・)

 共産主義はだれからも、社会的生産物を取得する権力を奪わない。ただ、この取得によって他人の労働を自分に隷属させる権力を奪うだけである。 67頁

第四章 様々の反対党に対する共産主義者の立場

 共産主義者は、自分の見解や意図を秘密にすることを軽べつする。共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義者のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。

 

 万国のプロレタリア団結せよ! 97-98頁