手探り、手作り🐘

「ミッション・インポッシブル」新作の予告を見たのですが、かなりいいですね✨

「インド残酷物語 世界一たくましい民」池上彩

インド残酷物語 世界一たくましい民」池上彩 集英社新書 2021

面白かった。とても残酷なので読みながらなんども苦しくなったけれど、副題にあるように、そのたくましさに心打たれたもした。本書に書かれてゐるような残酷なインドの現実は、長いあいだインドに住み、かつ語学がよくできて、現地のさまざまな階層の人と深く付き合わないとぜったいに知り得ないことと思う。

ぼくのように(舞踊探求というかたちで)限定的にインドと付き合っていきたい人間にとってすごくありがたい本だ。カーストや宗教対立のようなセンシティブな話題について軽々しく聞くわけにもいかない。しかし、それは厳然としてあるわけだから。

以下、ノートをば。

カースト制度について

カーストという語はインドにはなく、ポルトガル語で家柄・血統を意味する「カスタ」という言葉から派生した語である。16世紀のポルトガルのインド進出を機にインド固有の職業集団を意味する言葉として使われるようになった。

 一方で、インドの概念でカーストに対応するものは二つある。ヴァルナとジャーティーである(七二~七三ページの図参照)。おそらく日本で馴染みがあるのは、四つに分けられた階級制度のヴァルナの方であろう。ヴァルナとは元々は「色」を意味する。ヴァルナの四種姓と呼ばれるのは上からバラモン(司祭階級)、クシャトリヤ(王族・武士階級)、ヴァイシャ(商人階級)、シュードラ(農民・サービス階級)である。かつての不可触民であるダリトや山岳地域の部族民(アーディヴァーシー)はこの枠組みの外に置かれる。 71頁

 インド人の生活において最も実感をもって「生きられている」のは、むしろジャーティーという集団概念である。ジャーティー世襲的な職業(生業)に結びつけられ、その内部でのみ婚姻関係が結ばれる(内婚制)。生業と内婚規則によって維持される、大工、石工、洗濯屋、金貸し、床屋、羊飼いなどさまざまなジャーティー集団があり、こうした多様なジャーティー集団の分業によってインド社会は維持されてきた。インド人やインド研究者がカーストという場合、多くはジャーティーを意味する。 74頁

 カースト制度の基盤にあるのは、浄・不浄の概念であり、カースト地位が上がれば上がるほど、浄性が高くなる。カースト制度外とされるダリトは最も不浄な存在とされる。不浄は物のやりとりなどで「伝染」する。浄性の高いバラモンカーストヒエラルキーにおける最高位の司祭階級)は最も古いに弱い。だからバラモンはあらゆる不浄の源泉から自らを遠ざけなければいけない。 53頁

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72-73頁の図 左が〈ヴァルナ制〉右が〈ジャーティーの世界〉

ダリトの活動家、M・Cラージ

ダリト(不可触民)の地位向上のために活動しているM・Cラージという人の物語が最も印象に残った。ラージ氏は「シャーナル」というカーストの出身で、これは「見てはいけない者」という意味、虐げられてきた存在だ。ラージ氏の語る人間学は深い。ここまで強烈な階層差と差別は現代の日本にはないように思うが、似たような現象はけっこうあるのではないか。すなわち、被害者や弱者としての立場から権利や地位を主張する運動の内部において、なぜ足の引っ張り合いが生じるのか。以下の引用の最後の一文、まったく他人事ではない。

「ダリトはね、これまで社会の注目を集めることがなかった。だから一度その経験を味わってしまうと、今度はその地位を奪われたくないと思ってしまう。ダリト以外の人がダリトの問題について公共の場で語ることも嫌がられる。それは自分たちが本来占有するだった場所を不当に奪われているように感じるからなんだ。僕は彼らの心理がよく分かるから、僕を攻撃するダリトに対して怒りの気持ちは湧かないよ」

 ダリト同士が足の引っ張り合いをしている限り、ダリトの解放運動が大きな流れとならないことは確かだ。そしてその原因をダリト・リーダーたちの偏狭さに求めることも簡単だ。だが、ラージはこれをダリト全体が乗り越えるべきことで、それには恐ろしく長い時間がかかるだろうと理解していた。

 なぜダリトはすぐ不安になって、自分の小さなテリトリーを守るために大きな目標を台無しにしてしまうのか。ラージによれば、それはダリトが数千年にもわたって人間的な扱いを受けてこなかったからだという。ラージとジョーティはこんなエピソードを話してくれた。

 ある時、ストリート演劇の手法で人権問題を伝える活動をしていたところ、主人公のダリト女性が最も虐げられ涙を流すシーンで観客のダリトたちは大笑いしたのだという。ラージたちはそれを見てショックを受けた。本来は同情し共感する場面で、ざまあみろと笑ったのだ。その時、彼らはダリトの感情を回復することが、社会経済的な状況を向上させることと同じか、あるいはそれ以上に大事なことだと悟ったという。 203-204頁