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簿記2級合格したのだ🥳🥳🥳

「図解 社会経済学―資本主義とはどのような社会システムか」

図解 社会経済学―資本主義とはどのような社会システムか

著者:大谷禎之介 出版社:桜井書店 出版年:2001

「図解」とあるからお手軽なアンチョコ本かと思ったら正反対のガチンコ本だった。マルクス資本論」のかなり詳細な解説。ぼくにはとてもむづかしい。けれども学者が本気で書いた文章の独特な熱があり、興奮しながら読んだ。通読するのは困難と判断し、特に後半は飛ばし読みした。それでもかなり時間がかかった。

ノートをば。

商品による人間支配⇒貨幣による人間支配

 物神崇拝は、労働生産物が商品という形態をとるやいなや生じるものである。すなわち、商品が、他商品と交換できる力である価値を生まれながらにもっているかのような外観が生じ、人びとは、商品とはこのような不可解な特別な力をもったものなのだ、と錯覚するようになる。こうして商品は、商品物神として人間を支配するのである(商品による人間支配)。

 商品世界のなかで金という特定の商品が貨幣となり、どの商品の価値も貨幣で表現されるようになると、金という特定の自然物がそのまま価値のかたまりとして通用するようになり、物神崇拝は完成された姿で現われる。金があらゆる商品と直接に交換可能であるのは、他のすべての商品が金を商品世界から排除してそれを一般的等価物にするからであるのに、人びとの目には、金はその直接的交換可能性というその属性を、重さがあるとかきらきら輝くといった属性と同様に、生まれながらにもっているのであって、それは生まれながらに貨幣なのだから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をそれで表現するのだ、というように見える。金は、地の底から出てきたままで、同時にいっさいの人間的労働の直接的化身となる。これが黄金崇拝であり、拝金思想の源である。貨幣は、貨幣物神として人びとを支配する圧倒的な力をもつものとなる。こうして、人びとは貨幣によって引きずり回され、物によって、貨幣によって支配される(貨幣による人間支配)。 78頁

利子生み資本における資本の物神性の完成

 労働する諸個人が生産手段から切り離され、自己の労働力を売らなければ生きていくことができないという社会的関係のもとで、貨幣と生産手段は資本に転化する。そして、この資本主義的生産の発展のなかで、資本家の機能資本家と貨幣資本家とへの分離が生じると、利潤は利子と企業利得とに分裂する。だから、利子はこのような社会的な関係=生産関係の産物にほかならない。ところが、これらの形態が確立すると、〈物としての貨幣は自動的に増殖し、自分の子を産むのだ〉という観念が成立し、はては、〈「世の中」で肝心なことは、最も有利な「金融商品」に貨幣資本を投下して利殖させることだ〉という観念(完成した資本物神崇拝)ができあがる。「利子生み資本一般がすべての狂った形態の母であって、たとえば債務〔預金〕が銀行業者の観念では彼の得る商品として現われる」(『資本論』第3部, NEW, Bd. 25, S.483)のである(図219)。

 経済的な範疇・諸観念はすべて、特定の歴史的な生産関係のもとで物に与えられ形態にすぎないのに、商品の物神性、貨幣の物神性、そして資本の物神性は、このことをおおい隠すのである。 354頁

銀行制度、株式会社

 銀行制度は、社会的総資本の処部門への配分という役割を果たすことによって、資本主義的生産そのものをその可能なかぎりの最高の形態にまで発展させる手段となる。この最高の形態とは株式制度にもとづく株式会社であり、そこで運動する株式資本である。

 資本の蓄積過程で資本の集中が進行して、大きな個別資本も現われる。しかし、資本主義的生産様式のもとで真に巨大な資本が出現するのは株式会社の形態においてである。株式会社では、同額の単位である株式を購入するという形態で資本が投下され、各株式に与えられる配当のかたちで利潤が分配されるので、大きさの異なる多数の資本がその大きさに応じて平等に利潤の分配にあずかることができる。いわば「資本家的共産主義」とも言うべきこの仕組みによって、きわめて多数の個別資本が結びつき、一つの結合資本アソシエイトした資本が生まれる。 378-379頁