手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「社会的共通資本」宇沢弘文

社会的共通資本宇沢弘文 岩波新書 2000

20世紀には資本主義と社会主義との対立が多くの悲惨な結果を生み出した。

社会主義諸国が行った中央集権的な計画経済は、国家権力を肥大化させ、市民的権利が制限され、個々人の内発的な動機を抑圧するものであったために、例外なく失敗した。

他方の資本主義社会においては、分権的市場経済が実践されたのであったが、富の分配の不平等化、すなわち拡がり続ける格差をとどめることができず、利潤を求める投機的活動が、社会的、自然的制約を超克して、社会の非倫理化を推し進める結果となった。

21世紀の人類はこの対立を乗り越え、すべての人々の人間的尊厳が守られ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現すべきである。そのためには「社会的共通資本」という概念、考え方、および役割が理解されねばならない。

(・・・)社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである。社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。社会的共通資本はこのように、純粋な意味における私的な資本ないしは希少資源と対置されるが、その具体的な構成は先験的あるいは論理的基準にしたがって決められるものではなく、あくまでも、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスで決められるものである。 3頁

社会的共通資本は広い意味での「環境」を意味する。この「環境」は、土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境だけでなく、道路、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの社会的インフラ、教育、医療、金融、司法、行政などのいわゆる制度資本をも含む。

これら社会的共通資本は、国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によってのみ左右されてはならない。また、個々の経済的主体によって私的な観点から管理、運営されてはならず、たとえ私有ないしは私的管理が認められてゐたとしても、社会全体の共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されねばならない。

 社会的共通資本の管理について、一つ重要な点にふれておく必要がある。社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるということである。社会的共通資本の管理、運営は決して、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。この原則は、社会的共通資本の問題を考えるとき、基本的重要性をもつ。社会的共通資本の管理、運営はフィデュシアリー(fiduciary:受託・信託)の原則にもとづいて、信託されているからである。

 社会的共通資本は、そこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足にさいして、重要な役割を果たすものであって、社会にとってきわめて「大切な」ものである。このように「大切な」資産を預かって、その管理を委ねられるとき、それはたんなる委託行為を越えて、フィデュシアリーな性格をもつ。社会的共通資本の管理を委ねられた機構は、あくまでも独立で、自立的な立場に立って、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって行動し、市民に対して直接的に管理責任を負うものでなければならない。 22-23頁