手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り🌴

「盲獣・陰獣」江戸川乱歩

盲獣・陰獣江戸川乱歩 河出文庫 2018

「めくら」「気違い」「女の腐ったような(ひどいな💦)」など、今だと炎上間違いなしの表現が盛りだくさんだ。ぼくは古い言葉が好きなので、ああ面白いなあと思って読んだけれど。

乱歩の「下品な品の良さ」みたいな奇妙なバランスの文体が楽しい。例えば、

 それなら、しいて聞かないほうがいい。折角昌ちゃんが趣向を立てたんだ。ぶちこわすことはない。相変わらず茶目さんだわ。愉快、愉快。金持の不良青年なんて、ほんとうに話せるわ。 29頁「盲獣」

「茶目さん」とか「ほんとうに話せるわ」とか、めっちゃいいぢゃないですか。ぼくも使ってみたいな。

それから、

 蘭子は「ハッ」とばかり、心臓が凍りつくような気がした。とうとうそれに気づいたのだ。男の声が決して小村晶一でないことを悟ったのだ。

「誰です。あなた、一体誰です」

 彼女は、たまぎるような声で叫んだ。  42頁「盲獣」

「たまぎる」なんて初めて聞いた。「たま」は「魂」。そこから「たまぎる(魂消る)」は、驚く、びっくりする、肝をつぶす、といった意味になるらしい。枕詞「たまきはる」と同族ということになる。面白い言葉だ。

また、

「(・・・)なぜといって、考えてごらん、わしは眼こそ見えね、お前さんよりは、力が強いはずだからね」 51頁「盲獣」

 とすれば、彼女を殺したものは、手こそ下さね、明らかにこの私であったではないか。 297「陰獣」

こういう言い回しがあったのか。「眼こそ見えね」とか「手こそ下さね」って「~こそ+已然形」の係り受け表現ですよね。

松かぜのおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも 茂吉「つゆじも」

この「~こそ+已然形」。今は使われない表現だ。この用法はいつごろまで生き残ってゐたのだろう。