手探り、手作り🐘

そして風まかせ Oh, my destiny 涙枯れるまで~🎵

「幼年期の終り」と「幼年期の終わり」

送り仮名の付け方

先日、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」という小説を読んだ。原書が刊行されたのは1952年。邦訳は1964年のハヤカワ・SF・シリーズが最初で、その後も複数の版元から出版されてゐる。ぼくが読んだのは光文社古典新訳文庫の2007年刊行のものだ。タイトルは同じだが、1964年には「幼年期の終り」であり、2007年には「幼年期の終わり」というふうに、送り仮名の付け方が異なる。

なるほど1964年の時点ではまだ「終り」が支配的だったのだな、と思った。

敗戦直後の1946年に「国語改革」が行われた。これは漢字を全廃し、仮名文字かローマ字のどちらかにより日本語を表記することを目指した改革だった。それについては今年のはじめに「国語改革を問い直す。」と題する文章を本ブログに投稿した。

1946年の国語改革では「当用漢字」と「現代かなづかい」が公布されたのだったが、このとき送り仮名の付け方に関する指針は出てゐない。これは当然のことで、送り仮名とは「漢字の読み方を示すために、その漢字のうしろに添える仮名」であるから、漢字仮名交じり文が前提となってゐる。漢字全廃を掲げた国語改革に、送り仮名に関する指針が含まれることはありえないのである。

では、いつその指針が出たか。

1959年の「送りがなのつけ方」がはじめである。その改訂版が1973年の「送り仮名の付け方」であり、これが数度の改訂を経て、現在も公的文書に関しては「よりどころ」としての地位にある。

送り仮名は原則を立てることがむづかしく、上記「送り仮名の付け方」でも分かりやすい法則が示されてゐるわけではない。通則があり、例外があり、許容がある。いろいろな送り方が認められてゐる。

「表す」と「表わす」、「起る」と「起こる」、「当り」と「当たり」、「申込む」と「申し込む」、「取締り」と「取り締り」。

どちらでもよいのである。「漢字の誤読を避ける」という目標が達せられればよいということになる。どれが「正しい」と決める基準は存在せず、慣習として表記が固定されるのを待つほかない。

丸谷才一は次のように語ってゐる。

 変ないい方だけれども、やはり日本語の表記法というのは、西洋近代の合理主義から見れば、ずいぶんおかしい面があることはたしかなんです。送り仮名にしたって、「受付」という言葉はたいていの会社が漢字二字で表記していますが、「け」を二つ送っても別に間違いというのではないし、丁寧といえば丁寧な書き方だ。

 「情けは人の為ならず」の「情け」は「け」と送るでしょう。本来なら「け」は必要ない、一字で「なさけ」なんだから。なぜ「け」を送るかというと、ジョウと読まれたくないからですね。そういうことをなぜしなきゃならないかというと、日本語が文字として漢字を採用したということに行きつく。まったく別の系統の言葉から文字を借用したのだから、そもそも根本的に無理があるんです。 『完本 日本語のために』337-338頁

「こう送るべし」という決定的法則を立てることができないので、送り仮名はいまでも一定しない。傾向として、昔よりたくさん送るようになった、とはいえる。この傾向をつくったのが1959年の「送りがなのつけ方」である。「幼年期の終り」が「幼年期の終わり」となったのだ。

ちょっと昔の本を読むと、いまよりも少なく送ってゐるのが分かる。

「当る」「変る」「聞える」「起る」「受取る」「打切る」

などである。今はこういう送り方はあまり見られないが、別にこう書いてもよいのである。漢字の読み方を示唆できれば、送り仮名としての仕事は果たしたことになる。「果たす」もそうだ。昔の人は「果す」と書いてゐた。

どう送ってもよいといえばそうなのだけれど、シンプルで、冗長でなく、合理的で、統一性があるほうがよいに決まってゐる。ではどう送るべきだろうか。なかなかの難問で、ぼくはその答えをもたない。ただ「これは送りすぎでは?」と感じたら、そのときの感覚にしたがってちいさく送ることがある。

例えば、「晴れやか」や「聞こえる」などは「晴やか」「聞える」で十分ではないだろうか。なんなら「終り」「当る」「決ってゐる」だってこれでよいのではないか?

言語も文字も国家に属するものではない。「現代仮名遣い」も「常用漢字」も「送り仮名の付け方」も「よりどころ」や「めやす」であるに過ぎない。正しくもなければ、完璧でもない。政府が決めたからといって黙って従ってゐるばかりではつまらない。

めいめいが自分で考えて、好きなように書けばよいと思う。

追記

この記事を書いて以来、送り仮名のことが気になってしかたない。書いてはじめて気づいたのだが、現在いっぱんに行われてゐる送り方は、送り過ぎてゐるものがけっこうある。比べてみると、煩雑でくどくどしい感じがする。

文章は簡潔であるほうがよい。日本語文はとかく冗長になりがちだ。凝縮度を高めることを常に心掛けるべきである(「させていただく」は8割減らせる)。送り仮名だって不要なものは省いたほうがよい。

そう考え、ぼくは今後このブログに書く文章においていろいろな送り方を試してみることに決めた。実践してどんな具合か確かめてみよう。なにごとも「手探り、手作り」がモットーだ。仮名遣いも最初はすべて歴史的仮名遣いで書いてゐた。そこから徐々に表音化させていき、いまのかたちに落ち着いたのである。

以下、検討に値すると判断した用法を列挙する。

用法

これらは省いてもよいのでは?どっちでもよさそうだな、、、ううむ。

そんなの当り前の話だ     ←そんなの当り前の話だ。

なんだって起り得る。     ←なんだって起り得る。

たやすく変るものではない。  ←たやすく変るものではない。

あと30分で終りますよ。   ←あと30分で終りますよ。

決定的な役割を果した。    ←決定的な役割を果した。

思い浮ばせる力がない。    ←思い浮ばせる力がない。

君の代りにぼくがやるよ。   ←君の代りにぼくがやるよ。

衰亡に向ってゆくのであった。 ←衰亡に向ってゆくのであった。

全く異なる心持になった。   ←全く異なる心持になった。

人の気持を考えなさいよ。   ←人の気持を考えなさいよ。

虎が襲い掛ってきた。     ←虎が襲い掛ってきた。

力を合せればなんとかなる。  ←力を合せればなんとかなる。

あそこのカーブは曲りにくい。 ←あそこのカーブは曲りにくい。

数年を無為の内に過した。   ←数年を無為の内に過した。

心の弱さを捨てて立ち上れ。  ←心の弱さを捨てて立ち上れ。

期待した答が出ましたね。   ←期待した答が出ましたね。

その機械どういう仕組なの?  ←その機械どういう仕組なの?

 

複合語は状況によって様々な送り方がなされてゐますね。

この手順を何度も繰返す。   ←この手順を何度も繰返す。

もう引返すことはできない。  ←もう引返すことはできない。

経費を差引いても利益が出る。 ←経費を差引いても利益が出る。

明日の仕事に差支える。    ←明日の仕事に差支える。

その所領を引継いだ。     ←その所領を引継いだ。

税率が引上げられた。     ←税率が引上げられた。

もう一歩立入ると、      ←もう一歩立入ると、

提案が受入れられた。     ←提案が受入れられた。

二人の間の溝が浮彫りに、   ←二人の間の溝が浮彫りに、

あちらに張出し窓があり、   ←あちらに張出し窓があり、

取扱いの中止を検討する。   ←取扱いの中止を検討する。

誰が一番立派な振舞をするか。 ←誰が一番立派な振舞をするか。

漱石を引合いに出す。     ←漱石を引合いに出す。

運動の盛上りがあり、     ←運動の盛上りがあり、

いちじるしい立遅れを示し、  ←いちじるしい立遅れを示し、

 

ところで

こないだ気づいたのだけれど、WANDSの1994年のミリオンセラー「世界が終るまでは・・・」は短く送ってますね。面白いなあ。

また、サザンオールスターズの1979年のシングル「思い過ごしも恋のうち」の歌詞に出て来る「気持ち」は「気持」と表記されてゐますね。この種のものは探せば無数にあるのでしょう。

サザンオールスターズ - 思い過ごしも恋のうち | サザンオールスターズ Official Site

たまに会ってる様じゃ

おたがいの事 分かりはしないだろ

信じられないね

ほれて名を呼び 思いをはせる女

涙ぐみ 酔いしれる気持