手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学」森本あんり

不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学」森本あんり 新潮選書 2020

アメリカ初期の入植者ロジャー・ウィリアムズ(1603頃-1683)の半生を辿りつつその寛容論を紹介する。それは「評価しないけれど受け入れる」「嫌いだけれど共存する」という態度、すなわち不寛容を前提とした寛容であり、まさに中世以来の寛容論の本筋であるという。

それに比べるとリベラルな現代人が考える寛容はちょっとハードルが高すぎるようだ。同じ地平に立って、違いを尊重し、理解しあい、互いに受け入れ合うなんて説教臭くてしんどい。だから反発がおこって、現在の深刻な断絶をまねいてゐるのではあるまいか。

相手に敬意や愛情をもつことを目指さない。心の中でどう考えてゐるかは他人にはわからないのだから放っておけばよい。必要なのは、最低限の真摯な礼節のみ。それでよいのではないか。内心でどう思ってゐようと、礼節を保ち、暴力に訴えず、会話を遮断せずに続けるだけの開放性だけは維持する。そのへんが現実的なのではないか。

そういうことが書いてある。なるほど。現代のリベラル的な共存や寛容が目指す世界を実現するのはむづかしい。人間はそんなに立派ではない。基準をもっと低いところに設定しないと、求めるものを得られないばかりか、逆効果ではないのか。ううむ。そうかもしれない。

知識がほぼ皆無だったから理解は深くないけれど、アメリカ史の複雑さに触れることができてよかった。

以下、メモ。

☟ここポイントだなあ。

 さて、アメリカに渡ったピューリタンの課題は、政治の制度と宗教の制度を同時に作り上げることだった。イギリスでは、政治社会の制度は既存の秩序だったので、それを前提にし、宗教に関する部分だけを別に作ることが課題だったが、アメリカではその両方をゼロから作らねばならなかった。そこで用いられたのが、契約の概念である。

 イギリスのピューリタンも、教会を作る時には契約を交わしたが、社会はそれ以前からあったので、社会の住人として契約を結ぶことはなかった。ところがアメリカでは、そのどちらも存在しなかったので、教会ばかりでなく、町を作るにも契約を結んだのである。教会の契約には「教会契約」(church covenant)を、タウンの形成には「市民契約」(civil covenant)を結んだ。 32頁

☟中世的寛容の二つの特徴。寛容の出発点にはまづ否定的評価がある。

 第一に、寛容とはあくまでも悪に対する態度のことである。教会法の註解では、「是認しないが、許容する(Ecclesia non approbat, sed permitit)」と表現される。寛容の対象となるものは、悪であり続け、その悪が是認されたり割り引かれたりすることはない。ただ罰せられずにいるだけである。

(・・・)

 第二に、寛容とは「より大きな悪」を防ぐための便法である。中世の寛容は勘定高い。つまり、複数の取り得る道をあれこれと比べてみた上で、いちばん害の少ない道を選ぶのである。これは「比較の上での容認(permissio comparativa)」と呼ばれている。 65ー66頁

☟ウィリアムズの寛容論の核心部。「内心の自由こそ、人間のもっとも尊い価値であり、人格の中心である」との信念にもとづく。

 特に注目すべきは、異教徒に対する彼の寛容が、キリスト教への無関心や軽視からではなく、むしろ燃えるような信仰心から出ている、という点である。無宗教ゆえの寛容ではない。信ずるがゆえの他者への寛容である。だからこそ、それは強い。たとえ主流派や大多数と異なる意見でも、たとえただ一人で冬の原野へ追放されても、なお貫き通す不屈の意志となる。それが社会の体制を根本から変える力となってゆくのである。

 無関心から来る寛容は、ひとたび嵐が来て自分の身に危険が迫れば、たちまち吹き飛んでしまう。だが、ウィリアムズの説く寛容は筋金入りである。彼は、人間が何かを信じるということに、かけがえのない尊さを見いだした。それは、自分とは異なる信仰をもつ人にも等しく見いだされる尊さである。信仰が自分にとってかけがえのない尊さをもつことを知っているからこそ、他人にとっても同じようにかけがえのないものであることが理解できるのである。 135-136頁