手探り、手作り🐘

明日できることは今日しない🐌

国語改革を問い直す。

はじめに

このブログでの日本語の書きかた、ぼくの「仮名遣い」はヘンテコです。「住んでゐます」とか「まづ、はじめに」とか、一般には見られない書きかたをしてゐます。ちょっと古臭い印象をうけるかもしれません。「ゐます」や「まづ」という書きかたは、戦前につかわれてゐた「歴史的仮名遣い」によるつづりかただからですね。これが「国語改革」によって「います」および「まず」と書くようになりました。

「ゐます」や「まづ」と書きながら、上段の文章において「つかはれて」や「書くやうに」とは書いてゐません。そこは「歴史的仮名遣い」に従ってゐないのです。つまりぼくは国語改革後の仮名遣いにさからって、部分的に歴史的仮名遣いで書いてゐるのです。本記事では「仮名遣い」とはなにか、「国語改革」とはなんであったのか示すとともに、ぼくの仮名遣いの具体的にどこがヘンテコなのか、また、なぜそのような普通とは異なる表記法で書いてゐるのかをご説明いたします。

なにもぼくの試みに共感したり賛意を表していただく必要はないのです。ただ、敗戦後の占領期に実施された国語改革には大きな問題があった。あきらかにおかしなことが行われた。ぼくたちが普段使ってゐる仮名遣いは別のものであり得たし、漢字の字体も別のものであり得たことを知っていただきたいのです。

ここ30年ばかり日本国はどんどん衰退してゐますけれど、その原因は詰まるところ戦後体制の行き詰まりにあると思います。全体のビジョンがないために長期的戦略が立てられず、利権とポピュリズムに基づく散発的な政策が繰り出されるという状況が続いてゐます。新しい日本国のありかたを真剣に構想すべき時期にきてゐます。そのためには戦後の日本国の形成過程と向き合い、なにを受け継ぎ、なにを修正すべきかを考えることが必要だと思います。

国語改革を問い直すことは、戦後の日本国がどのようにしてつくられたかを知り、そしてこれからどのような国をつくっていくかを探るためのひとつの契機となるとぼくは考えてゐます。ウェブで読む文章としてはかなり長いものですが(4万3000字あります、すみません)、少しづつ、是非すべて読んでいただきたいと思います。

歴史的仮名遣い」と「現代仮名遣い」

みなさんは「現代仮名遣い」とか「歴史的仮名遣い」ということばを聞いたことがあると思います。仮名遣いには種類があるわけです。

学校で教わる書きかた、公的文書や一般的な出版物でつかわれてゐる表記法、いまこの文章を読んでゐるほぼすべての人がふだん用いてゐる語のつづりかたを「現代仮名遣い」といいます。これは1986年に内閣によって告示されたものであり、こちらで全文を読むことができます。

もう一つの「歴史的仮名遣い」は学校の古文の授業で習うもので、百人一首とか源氏物語とか、古典作品の表記に使用されてゐます。おおよそ明治から敗戦までのあいだはこの仮名遣いが一般につかわれてゐたのですが、「現代仮名遣い」とは異なり一度も成文化されたことがありません。

こういう事情のために、みなさんの頭のなかに次のようなイメージがあるのではないでしょうか。すなわち「歴史的仮名遣い」は古いものであり「現代仮名遣い」は新しいものである。そうですね? しかしこれは間違いなんです。このことをしっかりと頭に入れておいていただきたいと思います。これは大きな誤りです。

歴史的仮名遣い」と「現代仮名遣い」との違いは登場してきた時間的順序ではありません。「歴史的」だから古く「現代」だから新しいということではないのです。たしかに前記のとおり、昔の日本語の文章は「歴史的仮名遣い」で書かれ、現代の文章はほとんど「現代仮名遣い」で書かれてゐます。だから時間的な先後はあるといえばあるのです。しかし現象の経緯がそのような印象を与えるだけで本質的な違いは別のところにあります。後に詳述しますが、二つの仮名遣いは原理そのものが大きく異なります。

歴史的仮名遣い」の「歴史的」とは「昔の」という意味ではなく「歴史的一貫性を保持してゐる」という意味です。そして「現代仮名遣い」は「歴史的仮名遣い」を現代の音韻に合わせて改造したものです。すなわち、「歴史的仮名遣い」は汎歴史的な正統表記であり、「現代仮名遣い」はそれを簡略化したものであるということになります。

歴史的仮名遣い」は「語=意味」を示すことを第一義に仮名文字をつづるものです。仮名文字によって語を示し、語から音を思い出すという仕組みです。ここから歴史的一貫性という利点が出てくるのですが、1000年前から存在する語は1000年前のつづりかたで書くという原則になりますので、語によっては現代の発音とのずれが大きく記憶しづらいという難点があります。

他方の「現代仮名遣い」は、文字と発音とのずれをなくすために、仮名文字のひとつひとつに現代の音韻(そう発音してゐると自覚してゐる音)をあてはめ、ひとつの文字とひとつ音とを固定して、仮名文字を純粋に表音的につかう表記法を目指したものでした。「目指したものでした」というのは、それを目指して表記改革を行ったのですがうまくいかなかったので途中でやめてしまったからです。

手元に「歴史的仮名遣い」が存在する。これを完全なる表音化を目指して改革する。ところがそれは無理なようだ。だから途中でやめてしまった。この途中の状態が「現代仮名遣い」です。途中の状態なんてといわれると信じられないかもしれませんが、本当のことです。(実際はそうであるのに、そうではないかのような体裁をとってゐるのが「現代仮名遣い」のやっかいなところです。それについては後述します)。

さて、ここから次のことがおわかりになると思います。すなわち、簡略化の度合いにはさまざまな程度がありうる。正統表記である「歴史的仮名遣い」は文字と音とのずれが大きくてむづかしい、だから国民全部に普及させるために表音化して簡単にすべきである。そのように考えたとしましょう。では、どこをどんなふうに簡略化するのか、無限とはいえないにしろ、多くの段階が考えられます。

歴史的仮名遣い」を基準点である0としたとき、3くらい簡略化するのか、8くらい簡略化するのか、さまざまなバリエーションを構想でき、かつ実行できます。みなさんが読み書きの際に使用してゐる「現代仮名遣い」はその多くあるバリエーションの一つにすぎません。 全然別のかたちがあり得ました。

ではこの簡略化がいつ、なぜ、どのようにして行われたのか、なぜいまのようなかたちになったのかを次に見ていきましょう。そして、それが果たして妥当であったか、妥当でなかったとすればなぜそうなってしまったのかを考えてみましょう。

国家意識と国語表記

われわれには歴史はありません

国語改革によって日本語の表記法が変わりました。漢字の字体が簡易化され、仮名遣いが表音化されました。「国語」がどうあるべきか、またそれを文字で表す表記法がどうあるべきかという議論は、国民の国家意識と歴史意識、また他文明との関係によって方向づけられます。

このことを理解していただくために、まづ外国の例を紹介しましょう。

中華人民共和国では簡体字という文字を使ってゐます。中華民国(台湾)では繁体字という文字を使ってゐます。以下に「外国語学習は継続が大切です。三日坊主はいけません」という意味の文章を二種の字体で示します。

簡体字:学习外语要持之以恒、最忌三天打鱼两天晒网.

繁体字:學習外語要持之以恆、最忌三天打魚兩天曬網.

「學」→「学」、「曬」→「晒」など、画数が多く密集した印象を与える字を簡略化してゐるのがわかります。中国共産党が支配する中華人民共和国は教育の普及のために簡体字をつくったわけですが、中華民国はむづかしい繁体字をいまも使いつづけてゐます。なぜでしょうか。

いまでこそ中国と台湾との力の差は圧倒的ですが、国民党が共産党に敗れて台湾に逃れた当初は「いつか態勢を挽回して大陸に攻め込み、国民党による統一国家をつくるぞ」という意気込みがありました。この「われこそが中華文明を代表する集団であるぞ」という共産党政府への対抗心が漢字の字体に反映してゐるのです。保守的で伝統的な字体をつかってゐる自分達こそが中華文明の正統な担い手であるという自意識、あるいは誇りがあるわけです。

朝鮮はどうでしょう。

日本と同じく朝鮮人は長いあいだ漢字によって朝鮮語を表記してゐました。ところが漢字は朝鮮語を表すのに適してゐないですから不便でしかたがない。そこで15世紀に李氏朝鮮の世宗王がハングル(大いなる文字)をつくりました。ハングルは人類史上これまで考案されたなかで最も効率的な表記システムといわれてゐます。

ではこの便利至極なハングルによる表記が一気に広まったのかというとそうではありません。その後もハングルが漢字に取って代わることはなく、何世紀ものあいだ補完的な役割をになうのみでした。なぜなら近代以前には、朝鮮は華夷秩序のなかに自分達を位置づけてをり、漢字を使ってゐるほうがエライという意識が強かったからです。中華文明に近いほうが立派でそこから距離が離れるほど野蛮になるというコスモロジーです。

19世紀の開化期に華夷秩序からの離脱が目指され、民族意識が高揚するのにともなってハングルの使用も広まっていきました。そして現在、韓国でも北朝鮮でもほとんどの文章がハングルのみで書かれ、漢字の使用は限定的です。しかし限定的であっても消えたわけではありませんから、今後の漢字文化圏の動向に応じて漢字の位置づけも変化するものと考えられます。

さて、国家意識や文明との関係性によって文字表記が変化する例を中国と朝鮮にみました。では日本の国語改革はどのような文明観によってなされたのでしょうか。これについて説明した文章を下に引用します。少し長いですが核心をついた文章なので全文を読んでください。 歴史的仮名遣いで書かれたものです。

 明治のはじめごろ、日本人は、自分たちの過去には一文の価値もないと思つた。なぜなら西洋人のもつてゐるやうなものがこれまでの日本にはなにひとつなかつたからだ。すべて、西洋人にまなんで最初からとりかからねばならぬとかんがへた。自分たちが立つてゐる、その足もとにはなにもない、空虚である、といふ感覚であつた。
 おなじことが、七〇年後にもう一度おきた。昭和二十年の敗戦のあとである。なにもかもがまちがつてゐた、敗北は文化の敗北である、と日本人は言つた。ゼロからの出發、といふことばがはやつた。「新日本」と明治はじめの日本人は言ひ、この時にまた言つた。
 
〈現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした〔言葉そのまま!〕」とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと「われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです」と断言しました。(・・・・・)これら新日本の人々にとっては常に、自己の古い文化の真に合理的なものよりも、どんなに不合理でも新しい制度をほめてもらう方が、はるかに大きい関心事なのです。〉
 
 これは、日本へ来た一西洋人が故国の友人に書きおくつた手紙の一節だが、明治はじめのものとしても、昭和敗戦後のものとしてもそのまま通用する。讀者はどちらとお思ひになつただらうか。--明治のほうである。明治九年に来日して、三十年ちかく日本人に医学を教へたドイツ人エルウィン・ベルツの『ベルツの日記』(菅沼竜太郎訳、岩波文庫)明治九年十月二十五日の項にある。
 いはゆる「国語改革」は、この第一回の「新日本」の時期に提起され、第二回の新日本の時期に成就したものである。それは、「われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです」といふ思想、ないしは判断を、言語表記のうへにあらはしたものであつた。
『国語改革を批判する』丸谷才一編著 1999 高島俊男による解説

最後の段落が重要です。近代日本は維新時と敗戦時の二度、「新日本」を建設する必要にせまられました。創造には破壊がともないます。「新日本」建設のためには、自分達の歴史と伝統を否定し、現在を過去から切り離さなくてはならない。国語改革はこのような思想や判断を言語表記にあらわそうとする試みであったというのです。

この気分をひとことでいうならば「脱亜入欧」ということになります。かつて栄華を誇った中華文明はいまや劣った存在である。時代に取り残されたアジアに留まってゐては西洋列強に侵略されてしまう。だから近代化=西洋化を目指さなくてはならない。西洋諸国に学んで憲法や軍隊や教育など諸制度を整えて近代国家をつくる。ならば、言語そのもの、あるいは言語の表記法も、西洋流に変えるべきである。そういう意見が当然でてきます。

・日本語をすてて、西洋の別の言語を国語として採用すべきである。

・漢字をすてて、日本語の表記を仮名文字でおこなうべきである。

・漢字も仮名文字もすてて、日本語の表記をローマ字でおこなうべきである。

いまでは考えられないことですか、このような案が真剣に検討されました。大きな方向性としては「漢字廃止」と「表記の表音化」ということになります。

漢字は数が多すぎて教育効率が悪く、またタイプライターに適合してゐないので印刷能率が悪い。アルファベットがわづか26文字で読み書き可能なことと比べてみれば、漢字が進歩発展を阻害する存在であることは明らかだ。だから漢字を廃止すべきである。できなくても削減すべきである。

漢字を廃止するならいっそ仮名文字もすて、西洋の進んだ文明国が多く採用してゐるアルファベットを取り入れてローマ字表記にしたらよい。仮名文字で表記するにしても、歴史的仮名遣いはつづりかたの基礎を遠い前の発音においてゐるため、文字と音とのずれが大きく教育が困難だ。「思ひます」「をかしい」「食べませう」などと書くのをやめて、もっと現代の音に近づけたつづりかたに変える(表音化する)べきである。

こういうロジックです。以下、国語改革史における有名な、あるいは象徴的な提言を、維新時のものと敗戦時のものと、それぞれ二つづつ紹介します。時代の空気を理解する助けとして読んでみてください。

第一回の「新日本」

まづ、維新時のものから。1866年、郵便制度の創始者として知られる前島密徳川慶喜将軍に「漢字御廃止之議」を建白しました。ここで前島は、教育を普及させるためには文字も文章もやさしいものでなければならない、だから漢字を廃止して仮名文字を用いるべきであると主張します。以下に引用するのは、前島が自説の補強として紹介するアメリカ人ウイリアム某という人物の意見です。

「國家の大本は國民の教育にして、其教育は士民を論せす國民に普からしめ、之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用ひざる可らず」

「果して然らば御國に於ても西洋諸國の如く音符字(假名字)を用ひて教育を布かれ、漢字は用ひられず、終には日常公私の文に漢字の用を御廢止相成候樣にと奉存候」

支那は人民多く土地廣き一帝國なるに、此萎靡不振の在樣に沈淪し、其人民は野蠻未開の俗に落ち、西洋諸國の侮蔑する所となりたるは其形象文字に毒せらるヽと、普通教育の法を知らざるに坐するなり」

「此の活溌なる知力を有する日本人民にして此の貧弱の在樣に屈し居るは、全く支那字の頑毒に深く感染して其精神を麻痺せるなり云々と」

ちょっと読みづらいですが、要するに中国が衰退し日本も貧弱であるのは漢字を使ってゐるからだといってゐます。明治から戦後まで、教育のために国語・国字を簡単にしようという主張がさまざまな論者によってなされることになりますが、前島の「漢字御廃止之議」はその出発点といえるものです。文明の進歩の度合いを文字と結びつけ、進んだ文明国はつかってゐる文字もまた進んでゐるはずだという考えがよくあらわれてゐます。

もう一つは森有礼の英語採用論です。明治初期に外交官として活躍し後に初代文部大臣となった森は日本語を廃止して英語を国語とすべきと主張しました。森の考えはエール大学言語学教授のホイットニーにあてた手紙によくあらわれてゐます(この手紙はアメリカで刊行した英文著作「Education in Japan」に付録として印刷されました)。

わが国の最も教育ある人々および最も深く思索する人々は、音標文字 phonetic alphabet に対するあこがれを持ち、ヨーロッパ語のどれかを将来の日本語として採用するのでなければ世界の先進国と足並をそろえて進んでゆくことは不可能だと考えている。 

         『漢字と日本人』高島俊男著 2001 より、手紙の訳文を孫引き

この手紙を受け取ったホイットニーは森の意見に反対し「一国の文化の発達は、必ずその国語によらねばならない」と忠告しました。もちろんホイットニーが正しく森が間違ってゐます。けれども森の英語採用論は、「なんてバカなことを」と現代の視点からさばくことのできない切実なものだったことを理解すべきです。

経歴から明らかなように森は明治時代のエリートです。当時のエリートの多くは幼児期に漢文を学び、長じてヨーロッパ諸国に留学して欧州の言語で学問を修めその成果を日本に持ち帰り、近代国家建設の任に当たりました。その代表ともいえる森有礼が英語採用論を唱えるのは決して不思議なことではないのです。

なぜなら当時の日本語にはまだ近代の文明や社会を論じるための語彙が存在しません。また、いまのぼくたちが読み書きしてゐるような口語体の散文もできてゐません。したがって彼らエリートにとってはちょっと抽象度の高い議論をするとき、特に文章を書くときには西洋語のほうが容易でした。

明治は国家建設に大忙しだったのですから、エリートが「いっそのこと英語を国語にしてしまえば。。。」と考えるのは決して奇矯なことではありません。しかし実際にはそうはなりませんでした。それは当時の知識人が猛烈なスピードで膨大な数の翻訳語を生み出し、小説家がうんうんいいながら言文一致運動をおこなって、どうにかこうにか大衆が使いこなせる口語体の散文をつくりあげたからです。彼らの努力によって「国語」として「日本語」が完成しました。

また、この間に江戸期の国学を土台とした国語学もおおきく進歩し、歴史的仮名遣いが整備され、明治政府はこれを教科書の表記法として採用しました。それ以降、大日本帝国における日本語文はほとんどすべて歴史的仮名遣いで書かれることとなりました。

第二回の「新日本」

次に敗戦時のものを取り上げます。

敗戦から3か月経った1945年11月12日、讀賣報知新聞(現在の読売新聞)は「漢字を廢止せよ」と題する社説を発表しました。

敗戰とその後に續く危機が深くかつ大きいだけに、行はるべき改革また徹底的に餘すところがあつてはならぬ。上は天皇制から政治經濟、衣食住萬般の問題、下は便所の在り方まで鋭いメスの批判と冷嚴な科學的反省の俎上に上せられねばならぬ。だから問題と政策が複雜多岐に亙るのは當然であるが、こゝに民主主義の發達と密接に結びついた問題で、いまだに忘れられてゐる重要なものがある。それは國字問題だ。

(・・・)

漢字を廢止するとき、われわれの腦中に存在する封建意識の掃蕩が促進され、あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追隨しうるのである。文化國家の建設も民主政治の確立も漢字の廢止と簡單な音標文字(ローマ字)の採用に基く國民知的水準の昂揚によつて促進されねばならぬ。

戦争に敗けた。民主主義を発達せしめるためには天皇制から便所のありかたまで徹底的な改革が必要である。そのために漢字も仮名文字も廃止してローマ字を採用しようといってゐます。

もう一つは有名な志賀直哉の「フランス語採用論」です。1946年4月に雑誌「改造」に発表された「國語問題」と題する文章です。

私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が出來たらうと、そんな事まで思つた。

(・・・)

そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、國語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前に森有禮が考へた事を今こそ實現してはどんなものであらう。

(・・・)

外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、賢明であると思ふのである。

志賀直哉は敗戦時に62歳。「城崎にて」も「小僧の神様」も「暗夜行路」も執筆済みで、文壇において確たる地位を有する文豪でした。その志賀が日本語を廃止して「一番美しい」フランス語を採用してはどうかと提案してゐます。

上に見たように、維新時と敗戦時と、同じことが二度おこってゐます。維新時に「漢字を廃止しよう」「英語を国語にしよう」といい、敗戦時に「漢字を廃止しよう」「フランス語を国語にしよう」といってゐる。同じです。背景にあるのは日本(アジア)は劣ってゐて欧米が進んでゐるという劣等意識です。かれらのようになりたい。だから言語も文字もかれらのありかたに近づけなければならない。

読み比べてみてどのような印象をもたれたでしょうか。劣等意識という点ではたしかに共通してゐます。しかしその質はおよそ異なります。維新時の提案に比べると、敗戦後の提案はものすごく程度が低い。真剣さが感じられない。よくよく考えて書かれたものではないという印象を受けます。

前島密の「漢字廃止論」も森有礼の「英語採用論」も主張として間違ってゐますし、内容には同意できません。しかし文章からは精神の緊張度が伝わってきます。志があります。本気なんだとわかります。賛成できなくても人として信頼できるという感じがします。

他方、讀賣報知新聞の「漢字廃止論」と志賀直哉の「フランス語採用論」は、敗戦による自己否定の気分がそのまま流れ出たようで、どうにもこうにも締まりがない。もうとにかくごめんなさいという感じです。「あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追隨しうる」とか「フランス語が一番よささうな氣がする」とか、議論以前に「おい、しっかりしろ。そう無暗に自己卑下するものではない。落ち着いて、ゆっくり考えたらいいぢゃないか」といいたくなります。

しかし落ち着いてゆっくり考えることはできませんでした。大日本帝国時代に漢字廃止と表記の表音化を目指した改革が考想され、政府機関はそのための叩き台をつくってゐました。実際にその一部は実行されたのですが、それはまだ決定的なものではありませんでした。それが敗戦後のドサクサとのなかで一気に前進することとなりました。

「国語改革」は第一回の「新日本」の時期に提起され、第二回の「新日本」の時期に成就したものであると高島は書いてゐます。成功の要因はあまりに強烈な敗戦体験でした。結果的には英語やフランス語が国語にとってかわることはなく、また漢字も廃止されませんでした。けれども敗戦直後の極端な劣等意識が日本語表記に反映されることになったのは確かなことです。ではどこがどう変わったのか。次に具体的な国語改革の内容を見ていきましょう。

ただその前に、「仮名遣い問題」とはなにか、「歴史的仮名遣い」はどういう性質のものなのか、文字と音とのずれはなぜ生じるのかについて簡単に説明しておきます。これがわからないと表音主義にもとづく「現代かなづかい」の革命的性格が理解できないですから。

歴史的仮名遣いの原理

原理だけを抽出して短く説明するために、ここでは話を思い切り単純化して書きます。ですから厳密性に欠けるものであることをお断りしておきます。

五十音図を示します。

これら仮名文字の一つ一つを見るとぼくたちの頭のなかにはそれぞれに対応する音が想起されます。文字と音とが対応してゐる。仮名文字が音を表す表音文字であるというのはそういうことです。

仮名文字が誕生したのは奈良時代のことです。「文字と音とが対応してゐる。仮名文字が音を表す表音文字である」ことは現代でも奈良時代でも変わりません。鎌倉時代でも室町時代でも江戸時代でも、仮名文字は同じ形態であり、音を表す表音文字です。これはずっと変わりません。ところが、音は変化します。文字は変らない。音は変化する。つまり時代によって、文字と音の対応関係が変わることになります。

ぼくたちが50音図を見て想起するのは現代の音韻です。奈良時代の人が50音図を見て想起するのは奈良時代の音韻です。室町時代の人が50音図を見て想起するのは室町時代の音韻です。文字は同じ、文字が音を表すことも同じ。しかし音韻体系が変化するので、文字と音との対応関係は時代によって異なります。

音の変化は二種類あります。音が減る場合と音が増える場合です。音が減っても増えても文字のほうは減ったり増えたりしないので、音が変化したとき、文字と音の一対一の対応関係は消滅することになります。ここに仮名遣い問題が発生します。音が減ると、同じ音を表す文字が複数生まれるので、これをどう書き分けるかを考えねばなりません。逆に音が増えると、既存の文字によって新しい音を表記せねばなりません。これをどうするか、その試行錯誤の歴史が「仮名遣い」の歴史です。

もちろん、音韻の変化はゆっくりで、とつぜん減ったり増えたりするわけではありません。変化の最中にゐる人はその変化に気づきませんし、表記が乱れてゐてもふつうはそんなに気にならない。みんな好き勝手に書いてゐる。ところが人間には「きちんとしたい」という欲求もありますから、こんなもんでいいやと思いながらも同時に規範を求めてゐたりするものです。

そこで、歴史上に「これが正統であるという表記を定めたい」「古典として後世につたえたい」などと考えて学問する人が現れます。学問してその成果をまとめ「これでいく」というルールを決める人が出てきます。その人がすごく権威のある人だったり、そのルールが非常に説得力のあるものだったりすると、まわりの人もそれに従って書くようになります。

はじめて仮名遣い問題に直面し、準拠となる「仮名遣い」を定めたのが藤原定家(1162~1241)です。定家は貴族社会が終わり武家社会がはじまる転換期に生きた人でした。彼は当時存在した数多くの文献を集め、校勘し、定本をつくりました。13世紀初頭にはすでにいくつかの音韻が消滅してをり、同じ発音の仮名が複数生まれゐたために表記の混乱が生じてゐました。彼はそこで「仮名遣い」を定める必要に迫られたのです。

「恋」という語を「こひ」と書くか「こゐ」と書くか「こい」と書くか。

「顔」という語を「かほ」と書くか「かを」と書くか「かお」と書くか。

「どう書いてもよい」と考えれば「仮名遣い問題」は存在しません。音韻が変化して表記の混乱が生じ、かつ「きちんと書き分けたい」という意志があってはじめて「仮名遣い問題」が生まれます。定家は「どうでもよい」とは考えませんでした。どの語をどう書くかを決めて書写し、正統なる古典として後世に伝えたいと考えました。

定家は歌論集「下官集」のなかで書き分けの例を示しました。ただ例を示しただけでどういう根拠であるかは書いてゐません。後の研究によって明らかになったところによれば、「を」と「お」の書き分けについては当時のアクセント(高低)に基づいて定め、その他の語については古典に基づいて、語によって個別に定めたようです。当時はまだ音韻が変化することが知られてゐなかったのです。

定家は自分の仮名遣いを周囲の人に強制しませんでしたが、後に「歌聖」と呼ばれるほどの権威ある人物であったため、下官集の写本が流布し、世間ではこれに従った書きかたが広まりました。やがて南北朝時代の学者・行阿(生没年不詳)は「下官集」に多数の語例を増補し本格的な教則本「仮名文字遣」を著しました。世間にこれが広まり「定家仮名遣い」と呼ばれるようになりました。

江戸時代に入ると僧・契沖(1640~1701)が「定家仮名遣い」とはまったく別の原理による仮名遣いを提唱しました。契沖は「古事記」「日本書紀」「万葉集」などにおいては仮名遣いの混乱がないこと、これらの文献に照らして「定家仮名遣い」には誤りがあることを発見しました。そして「和字正濫抄」を著し、一語一語の仮名遣いを前記のような上代の文献に従って定めるべきであると主張しました。これが「契沖仮名遣い」です。「契沖仮名遣い」は音韻が変化する前の文献に根拠をおくため、発音の変化によって仮名遣いが動揺する心配がありません。

「契沖仮名遣い」は徐々に支持者を増やし、国学者からも認められ、その延長に補充訂正がなされました。その総体が「歴史的仮名遣い」です。契沖が研究したのは「古事記」「日本書紀」「万葉集」などの上代文献でしたが、つねに新しいことばが生まれてくるのですから、適用範囲が上代からある語に限定されるわけではありません。「音韻が変化する前の文献に根拠をおく」とは、「ある語が生まれ、それがはじめて仮名文字で書かれたときの表記に従う」ということで、この原理に従ったつづりかたを「歴史的仮名遣い」といいます。

したがって「歴史的仮名遣い」はかなり「新しい」ものです。紫式部鴨長明がこれに従って日本語を書いてゐたということはありません。いま写本として伝わってゐる古典文学の多くは「定家仮名遣い」で書かれたものです。しかし「歴史的仮名遣い」で書けばいつの時代の日本語も同じ仮名遣いによって表記することができるため、いま出版されてゐる古典文学のほとんどはこの「歴史的仮名遣い」に改めて出版されてゐるのです。古語辞典の見出しも当然これによります。

明治時代にいたり、日本は大日本帝国を建設しました。ここでは「国家語」としての「日本語」を「国民」全体に普及させねばなりません。明治政府は、根拠が明確で整然たる統一を示してゐることから、「歴史的仮名遣い」を教科書の表記法として採用しました。こうして「歴史的仮名遣い」は事実上の正書法として定着することとなりました。

ここで明治政府はひとつ大きな誤りを犯しました。字音仮名遣いを採用してしまったことです。字音仮名遣いとは本居宣長の研究に基礎をおくもので、字音(漢字の音)を仮名で表記する際の一つの方式をいいます。この方式は歴史的仮名遣いと同じく古典主義にもとづくもので、漢字が移入された当時の音をできるだけ仮名で書き分けるというものです。「できるだけ」というのは中国語と日本語は音韻体系がまったく異なるので、漢字の音を仮名で写すのは厳密には不可能だからです。

例を挙げると「蝶」を「テフ」、「良」を「リヤウ」、「答」を「タフ」、「早」を「サウ」と書く類のもので、これはたいへんむづかしく、ふつうは覚えられません。和語の仮名遣いと字音の仮名遣いとがひとつ「歴史的仮名遣い」の名で教育されたために国民に困難を感じさせることとなりました。歴史的仮名遣いはむづかしいという印象はおそらくこの混同からくるものです。

字音は外来語の表記ですからこれを現代音韻にもとづいて改めても日本語体系が破壊されるわけではありません。だから和語とあつかいが違ってゐて当然です。当初から和語は歴史的仮名遣いで、字音は現代音韻に従って、というふうに区別して教育が行われてゐれば、その後の改革も違ったものになってゐたかもしれません。

ただそのことについて明治政府を責めるのは酷だろうと思います。欧米列強に侵略されないように近代国家を大急ぎでつくらねばならなかった。そのために「国家語」をつくり、言文一致をすすめて、教育制度を整えて、というのを全部やるのですから、いろいろ問題がおこって当然です。国語改革によって急進的な改革がなされたのは「歴史的仮名遣い」がむづかしかったからではなく、端的に、戦争に負けたからです。

国語改革1 占領軍の権力を背景に

1945年、大日本帝国東京大空襲沖縄戦、二発の原爆などの甚大な被害を経て、8月15日に昭和天皇終戦詔書が放送され、ポツダム宣言を受諾する旨が帝国臣民に知らされました。そして、9月2日に米艦船ミズーリ船上で降伏文書を署名し、ここから占領軍による間接統治がはじまりました。

1946年の1月1日に天皇の神格を否定する詔書人間宣言)が発布され、11月3に日本国憲法が公布(1947年5月3日施行)。1950年に朝鮮戦争が勃発し、翌1951年の9月8日、サンフランシスコ講和条約日米安全保障条約が締結。翌年4月28日にこれが発効し、「主権を回復」し「独立」したということになってゐます。

この戦後処理の過程のどこで国語改革が実施されたのでしょうか。一般に「国語改革」とは、1946年11月16日の当用漢字表現代かなづかいの公布のことを指します。直後から公文書、教育、新聞がこれに従って書くようになり、急速に普及してゆきました。

とうぜん反対派も存在しましたが、敗戦直後の混乱期ですから学者や作家に組織立って抵抗する力はありませんし、国民も文字に関心をもつ余裕などありません。ですから反対派の抵抗もむなしく、明治期から一部の論者が熱望してゐた「漢字廃止」と「表記の表音化」を目標とする国語改革があっけなく成就することとなりました。

あっけなく成就したのは、これが占領期に行われたからであり、この改革の背後にGHQの存在があったからです。1946年3月、アメリカから教育使節団が来訪しました。彼らの任務は日本の教育制度を研究し、連合軍司令部および日本の文部省に対して助言することでした。使節団は3月31日に報告書を提出し、その第2章「国語の改革」において漢字の廃止とローマ字の採用を勧告してゐます。以下、その全文および要旨から引用します。(こちら

日本の国字は学習の恐るべき障害になつてゐる。広く日本語を書くに用ひる漢字の暗記が、生徒に過重の負担をかけてゐることは、ほとんどすべての有識者の意見の一致するところである。

(・・・)

国語改良の必要は、日本においてすでに長い間認められてゐた。 著名な学者達がこの問題に多大の注意をはらひ、政論家や新聞雑誌の主幹をふくむ有力者の中には、実行可能な方法を種々研究したものが多い(・・・)史実と教育と言語分析とを考へあはせて、使節団は、早晩普通一般の国字においては漢字は全廃され、そしてある音標式表現法が採用されるべきものと信ずる。  

単に教育計画のためのみならず、将来の日本の青年子弟の発展のためにも、国語改革の重大なる価値を認める人々に対して、激励を与へて差しつかへないのである。何かある形式のローマ字が一般に使用されるやう勧告される次第である。

この報告書だけ読むと国語改革は「GHQによる押しつけ」だったようにも見えますが、事実は異なります。前島密の漢字廃止論と森有礼の英語採用論を上に見たように「国語改良の必要は、日本においてすでに長い間認められてゐた」ものです。ここで使節団が提案してゐる漢字の廃止とローマ字の採用は、明治このかた多くの論者が提案してゐたであり、なんら新奇なものではありません。

国語改革の実行主体は国語審議会ですが、その前身は明治35年に設けられた国語調査委員会という文部大臣直属の組織です。国語調査委員会が発足時に定めた調査方針の第一は、「文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スルコトト シ假名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト」というものです。つまり明治以来、政府機関がすすめる国語政策は漢字廃止が前提であり、そのうえで仮名文字とローマ字のどちらを採用するかを決めようというのが既定路線だったのです。

政府国語機関はその路線にそった改革案を繰り返し建議しましたが、そのたびに反対論がまきおこり、政令として実施されることはありませんでした。彼らは彼らなりの愛国心と使命感でやってゐますから、改革が進まないのは面白くない。運動家のなかには執念を燃やす人、さらには怨念を抱く人も出てきます。そういう人達にとって敗戦と進駐軍による占領は千載一遇のチャンスでした。

時代の空気は「新日本」の建設です。なによりも、占領軍という絶対的な後ろ盾を得たのです。さあ、ついに、悲願の漢字廃止と文字の表音化を実現するのだ、というわけで公布されたのが「当用漢字表」と「現代かなづかい」だったのです。

したがって、国語改革は「GHQによる押しつけ」ではなく、GHQの権力を背にした改革派が、積年の執念を晴らすべく一気呵成に実行した、というのが正しい理解です。もちろん、志賀直哉がフランス語採用を真面目に説いてしまう敗戦時の自己否定の空気が味方してゐたことも忘れてはなりません。

改革派は、この機に乗じて既成事実を積み重ね、後戻りできない状況をつくろうと考えた。一気に漢字全廃やローマ字採用までいくのはむづかしい。だからとりあえずの段階的処置として、「当用漢字表」と「現代かなづかい」を発表した。

「当用」とは「さしあたって」という意味です。名前のとおり、「当用漢字表」はさしあたって漢字をこれくらいまで制限して、ここからさらに削減していづれ全廃しますよ、という漢字表です。「現代かなづかい」には「当用」がついてゐませんが実質は同じで、「さしあたってこれでいく(これからもっと表音化するぞ)」という暫定的性格のものです。原則として機能し得るものではありません。

そのせいかはわかりませんが、「当用漢字表」および「現代かなづかい」の二週間前に公布された日本国憲法は旧漢字および歴史的仮名遣いで書かれてゐます。

これは当然といえば当然で、普遍的理念を示した憲法を暫定的性格の字体と仮名遣いによって記すわけにはいかない。

当用漢字表」および「現代かなづかい」の公布以後、官庁・教育・新聞等あらゆる領域において、日本語文が新字・新仮名で書かれることになりましたが、日本国の公的文書の親玉ともいうべき日本国憲法が旧漢字と歴史的仮名遣いで書かれてゐるという事実はなかなか象徴的なことのように思えます。新憲法公布のわづか二週間後に、その文章の表記原則を全否定する方向での国語改革が実施されるというのはいかにも拙速です。

では、「当用漢字表」と「現代かなづかい」は具体的にどのあたりが「さしあたって」なのか。順番に見ていきましょう。

国語改革2 さしあたっての漢字制限

当用漢字表

まづ漢字から。「当用漢字表」のまえがきに、

・この表は、法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で、使用する漢字の範囲を示したものである。

・この表は、今日の国民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものである。

 とあります。また、使用上の注意事項に、

この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。

とあります。これを読めば「当用漢字表」が漢字全廃へ向けた第一弾の処置であることが明白でしょう。「漢字の制限」を無理なく行えるように、とりあえず表内にある1850字に使用を制限する。そして表中にない漢字を使いたい場合は、あきらめて別の語を探すか、仮名で書くようにせよという。これは漢字全廃を目指した段階的措置としてしか理解できない内容です。

「別のことばにかえる」といっても和語(やまとことば)は抽象的概念を示す語が少なく、そうそう適切な代替語などありません。日本は明治期に漢字を用いて大量の翻訳語をつくり、それによって西洋文明の知を輸入しましたから、現代の文明社会を記述するにはどうしても漢字が必要です。また仮名ばかりの文章では語の切れ目がわかりづらくなるために、それなりの頻度で漢字を挿入したくなるのが日本語文の生理です。

そういうわけで漢字の廃止など出来るわけがありませんし、1850字ではとうてい足りない。ある漢字を使いたいけれどもその漢字は表外だから使えない。そこで生まれたのが「混ぜ書き」であり「同音の漢字による書きかえ」です。

混ぜ書き

「混ぜ書き」は説明不用と思いますが、以下のような熟語の書きかたです。

けん制(牽制)、隠ぺい(隠蔽)、ねつ造(捏造)、払しょく(払拭)、忖たく(忖度)、信ぴょう性(信憑性)、へき地(僻地)、抜てき(抜擢)、急きょ(急遽)、安ど(安堵)、完ぺき(完璧)、明せき(明晰)、分水れい(分水嶺) etc.

挙げていけばキリがないですが、このような「混ぜ書き」はひとえに「当用漢字表」を守ろうとすることから生まれたものです。

「牽制」という語を使いたい。しかし「牽」は表外漢字であるから使えない。他の語で代替しようと思っても、意味の抽象度や語勢を考えると「牽制」がもっとも適切なようだ。しかたないから「けん制」と書く。「混ぜ書き」の誕生です。

いったい「けん制」とはなんでしょうか。漢字は一つの字が一つの語(ことば)を表す表語文字です。山は一字で mauntain であり、海は一字で sea という語です。一つ一つがそれぞれ意味をもつ漢字が複数あつまって熟語をつくります。

「牽制」なら「牽=つなをつけてひっぱる」と「制=おしとどめる、おさえる」とが二つ並んで「牽制=相手を威圧して自由にさせない」という熟語をつくります。したがって「けん制」と書いた場合に「けん」は「ケン」という音を示すだけで意味はありませんから、もうこれは「牽制」という語ではないわけです。

もちろん漢語を仮名で書くことはあります。ぼく自身ここまでの文章で「いったい」や「とうぜん」など元は漢語であった語を仮名書きしてゐます。ただこれらの語は極めて使用頻度が高く、その音を発し、耳にする機会が多いことから、和語としての地位を確立しつつある語です。こういう語は漢字の視覚的な意味喚起力を必要としないので仮名で書いてもとくに違和感はないはずです。

いや和語化してゐるかどうか以前に、上記のような「混ぜ書き」は一つの語の半分を漢字で書き、もう半分を仮名で書くという表記体系の混交が醜悪な印象を与えますから、ごく普通の美意識を有するならばとうてい許容できないものです。だから一般の人は漢字表など無視して平気で「牽制」「隠蔽」「捏造」と書いてをり、これを律儀に守ってゐるのは公文書・教科書・新聞くらいのものです。

同音の漢字による書きかえ

同音の漢字による書きかえ」は1956年に国語審議会が報告したもので、表外漢字を使いたいときに、その字を表中の同音の字に置き換える用法をいいます。

国語審議会は、当用漢字の適用を円滑にするため、当用漢字表にない漢字を含んで構成されている漢語を処理する方法の一つとして、表中同音の別の漢字に書きかえることを審議し、その結果、別紙「同音の漢字による書きかえ」を決定した。 

当用漢字を使用する際、これが広く参考として用いられることを希望する。

1946年の「当用漢字表」では「この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。」といってゐました。ところが1956年になると「表中同音の別の漢字に書きかえること」を認め、「当用漢字を使用する際、これが広く参考として用いられることを希望する。」と態度を変えてゐます。

ここにおいて、すでに失敗は明らかなわけです。上記のとおり「当用漢字表」の発表後に大量の混ぜ書きが発生しました。ところが混ぜ書きは意味がわかりづらく、また醜悪です。だから自然発生的にさまざまな書き換えが行われた。表外漢字を含む熟語を使いたいという欲求があるから混ぜ書きや書き換えが生まれるわけです。とすると、漢字制限は無理ということです。

しかし国語審議会はそれを認めず、一般に行われてゐる書き換えを収集し、これを「同音の漢字による書きかえ」として発表したのです。以下のごとく。

陰翳→陰影 叡智→英知 奇蹟→奇跡 畸形→奇形 綜合→総合 障碍→障害 

反撥→反発 日蝕→日食 肝腎→肝心 蹶起→決起 訣別→決別 顛倒→転倒

どうでしょうか。左側の書きかたには表外漢字が含まれるので右側の書きかたに変えよという指針なのですが、「陰翳」とか「奇蹟」とか「日蝕」とか書く人がとても多い。国語改革の経緯を知ってゐてそれに納得できずにそうしてゐる人もゐるでしょうし、感覚的に左のほうが正統だと感じて字を選択してゐる人も多いように思います。

もっとも有名なのは「障碍」→「障害」でしょう。「碍」は「さまたげ」や「さしつかえ」を意味しますが、表外漢字なので「障害」に書き換えることとなった。ところが「害」には「碍」にないネガティブな意味があるので「障害」と書くと語の意味そのものが変わってしまう。それを避けたいので「障がい」と書く人が出てくる。そういう状態が続いていまどうなってゐるかというと、この語の表記は「障碍」「障害」「障がい」と三種が並存してゐる。これは明確に、国語改革の失敗のせいです。

「訣別」の「訣」は人と別れることを意味します。国語の教科書に載ってゐる宮沢賢治「永訣の朝」の「訣」です。「訣別」を「決別」と書きまた読むことになれてしまうと、語感が「決別」の表記に固定されてきます。そうするとかつては感じられた「永訣」とのつながりが切れてしまう。知らなければなんとも思わないし、どうでもよいと考えればどうでもよいわけですが、やはりこれは喪失ではないでしょうか。

また「同音の漢字による書きかえ」には入ってゐないものですが、よく問題になるものを二つ挙げておきます。まづ「義捐」→「義援」への書き換え。不幸や災害にあった人に対して金品を寄付することを「義捐」という。「義援金」はもともと「義捐金」でしたが「捐」が表外漢字であるために「義援金」と書かれるようになりました。

「捐」は「すてる、なげうつ」という意味です。したがって「義捐」とは義のために私財をすてるという含意をもつことになる。人にほどこしをする際には相手に屈辱感を抱かせないことが大切です。「ああ自分は迷惑をかけてばかりの劣った人間なんだ」などと感じさせてはいけない。「義捐」という表記にはそのような人を助けることで生じる権力構造への洞察と配慮が感じられます。

しかし「義援」の「援」は「手を入れて助ける」という意味ですから「義捐」がもってゐた含羞が消えてしまいます。これもどうでもよいと考えればどうでもよいようなものですが、やはり喪失ではないでしょうか。この語は「障碍」と同じく、「義捐」と「義援」が並存状態となってゐます。

もう一つは「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」の混同です。「輿論」は知識と議論によって練り上げられた公的意見、「世論」は気分によってフラフラする情緒的な空気として、それぞれ別の意味をもってゐました。ところが「輿」は表外漢字なので「輿論」と表記できず「世論」で代替するようになり、「輿論」と「世論」の峻別が消滅しました。

「輿」を常用漢字に入れて「輿論」を復活させ、二つの概念の区別をジャーナリズムと市民社会に持ち込むことができれば、あるいは日本の政治文化はより成熟したものになるかもしれません。政治はコロコロかわる「世論」に媚びを売ってはいけないし、振り回されてもいけない。ジャーナリズムは「世論」を「輿論」に格上げするための正確な知識と批判的視座を提供しなくてはならない。市民は空気に過ぎない「世論」を、熟議によって「輿論」に練り上げる努力をすべきである。

こんな具合に、「輿論」と「世論」を区別することで政治言説をより精緻なものに組み立てることが可能です。

当用漢字字体表

さて、上に述べたのは字数制限によって生じた問題ですが、次に字体の変更によって生じた問題について書きます。1949年、内閣は「当用漢字字体表」を告示し、「当用漢字表」にある漢字について字体の標準を示しました。現在、一般に通用してゐる漢字の字体はこれに基づきます。

漢字の学習および読み書きを容易にするために字体が整理されたわけですが、根本にあるのは画数が少ないほうがよいという単純素朴な発想であり、その多くは国語改革以前から行われてゐた筆写体から採用されました。筆写体とは紙に手で文字を書く場合に全部あるいは一部をはぶいたり、またはぞんざいにつなげて書く書きかたで、例えば「區」を「区」、「傳」を「伝」と書くようなものをいいます。

漢字は数が多く、国民全体に普及させるためには字体がもっと簡単であるほうがよいというのは実際そのとおりで、ある程度の簡易化は必要だったでしょう。しかしそのためにはしっかりとした字形解釈の基礎のうえで、漢字の体系を破壊しないように行わなくてはならない。そうでないと正しい字義を説けないし、文字と文字との連関が見えなくなる。それでは指導および学習効率の面でもマイナスです。

「当用漢字字体表」における字体整理は十分な漢字学の知識に基づく綿密な検討を経て行われたものではありません。だから結果的には、ひとつふたつ画数を減らすその便益のために漢字の体系を破壊することとなりました。以下に例を挙げます。

「器」「突」「類」「戻」は改革以前には「器」「突」「類」「戾」でした。つまり「犬」の点をとって「大」にした。「器」は四つの「口(容器)」のそばで「犬」が見張ってゐるさま、「突」は「穴」から「犬」が飛び出すことですが、「犬」を「大」に変えると字解が困難となります。わづか点ひとつの省略のために正しい成り立ちが説明できなくなったわけです。また「犬」「伏」「就」など「犬」を含む他の字とのつながりも切れてしまいました。

つづいて、これは有名ですが「売」という字。「売」はもともと「賣」でした。貝は古代世界で貨幣の役割をはたしてゐたので、「貸」「賄」「賂」「購」「貪」などお金に関係した漢字の中には「貝」がはいってゐる。「買」にも「貝」がある。が、「賣」を「売」にしたので「貝」が消え、系列から外れてしまいました。

また「假」を「仮」としたために「暇」「霞」との関係が見えなくなりました。「海」「每」を「海」「毎」としたために「母」との縁が切れました。こういう例が無数にあるのです。

途中経過などどうでもよい

以上、漢字制限と字体の変更について見てきたわけですが、混ぜ書きも、書き換えも、字体の簡易化も、まことにいいかげんなものです。矛盾だらけで、筋が通らない。漢字体系は大きく損なわれました。実にひどい。なぜこんなデタラメな改革となったのか。それは何度も書いてきたように、彼らは「漢字全廃」を目標としてゐたからです。

まづ1850字に制限して、そこからどんどん減らしてゼロにする。いづれ漢字を完全に廃止するのですから、途中経過がいくら混乱してゐようと知ったことではないのです。どの字を入れようが外そうが、本音をいえばどうでもいい。混ぜ書きがいくら醜くても、文字体系がいくら破壊されても、どうでもいいわけです。

当用漢字表」が「さしあたって」の漢字表であるゆえんです。

国語改革3 さしあたっての仮名遣い

保守的な態度

当用漢字表」が「さしあたって」の漢字表であるのと同じく、「現代かなづかい」も「さしあたって」の仮名遣いです。最終的には、漢字を全廃し、表音文字(ローマ字か仮名文字)によって完全に表音的な表記法で日本語文を書くようにしたい。そのための一時的かつ過程的な処置です。

完全な表音化を目指すとは、文字と音の関係を一対一で固定し、一音一字、一字一音の原則で表記するということです。同一音はつねに同一文字によって表され、同一文字はつねに同一音を表す。すなわち「よ」はつねに「ヨ」という音を表し、「ほ」はつねに「ホ」という音を表す。逆からいうと「ヨ」音はつねに「よ」と書き、「ホ」音はつねに「ほ」と書く。一つの文字と一つの音とを虫の標本でもつくるようにピンで固定して動かさない。そういう状態をいいます。

「その語がはじめて仮名文字で書かれたときのつづりに従う(歴史的仮名遣い)」から「現代の発音のとおりに書く(表音化)」に変え、一音一字、一字一音の原則に基づいて書くようにするならば、なるほど単純容易で教育の手間もはぶけるかもしれません。しかしそうなると、それ以後の日本人は古典を読めなくなってしまいます。古典から切り離されるとは過去を失うことであり、過去を失うことは自分を失うことです。

自分はなにものでもあるか、自分がこれからどう生きていったらいいか、そういう問いの前に立ったとき、人はつねに過去と向き合うなかで答えをさがします。それは個人の場合にそうであり、民族や国民でもそうです。だから常識的にいえばそれ以後の日本人をそれまでの日本人から切り離すような改革は絶対に行ってはいけない。ところが、国語改革は文字の表音化を目指した。

なぜなら、繰り返しになりますが、国語改革は〈「われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです」といふ思想、ないしは判断を、言語表記のうへにあらはした〉ものだからです。

国語改革の実行主体は言語に対するごく常識的な保守的な態度をまったく欠いてゐました。保守的な態度とは「言語をいぢくりまわしてはならない」「言語の変化はゆっくりであるほうがよい」という穏健な考えかたのことです。

日本語はいまここの日本人が意思疎通するための道具ではなく、過去の日本人と語り合い、また未来の日本人に思いを伝えるためのものでもあります。一人の人間が生きる時間は日本語の長い歴史のほんの一部に過ぎず、個体は言語のなかに産み落され、ちいさな一生を生きて死んでゆきます。だから言語に対しては、可能な限り昔から受け継いだものをそのまま未来に受け渡すという保守的な態度をもつべきです。

もちろん言葉はどんどん変化します。どうあらがっても変化します。どうあらがっても変化を止められないからこそ、変化をできるかぎりゆるやかなものとし、言語の自律的な動きにまかせるために、使用者は保守的であるべきです。言葉については、古いこと、由緒正しいことが正統であり、原則としてこれを大事すべきです。変化を否定するのは頑迷ですが、変化を助長するのはさかしらです。

1946年に「当用漢字表」とともに公布された「現代かなづかい」は表記の表音化を目指したものであり、それは上に述べた保守的な態度とはまっこうから対立するものでした。「現代かなづかい」の導入によってローマ字表記に変ったわけではないし、また歴史的仮名遣いの要素もかなり残ってゐます。けれどもこの改革によって、それ以後の日本人と過去の日本人とをつなぐ通路が痩せ衰えたことは明らかです。断絶とはいえないにしても、弱く貧しいものになりました。これはたいへんな喪失です。

「これはたいへんな喪失です」といわれても、「いや、そんなふうに感じない」というのがほとんどの人の感覚だと思います。ぼくのほうがどうかしてをり、みなさんが普通です。しかしぼくは、是非ともみなさんにこれが重大な喪失であると感じてほしくてこの文章を書いてゐるのです。大切なものが失われたことをしっかりと悲しんで、また愚かな政策が愚かな人々によって行われたことに怒ってほしいと思います。

「混ぜ書き」や「同音の漢字による書き換え」や「字体の変更」は、視覚的にいっぱつで「たしかにこれはヘンテコだなあ、ま、おかしいわな」と感じることができるので、「当用漢字表」が誤った政策であったことは誰でもすぐにわかるでしょう。けれど「現代かなづかい」のほうは漢字とちがって視覚的な異様さがないために改革の傷跡が見えづらいところがあります。

また、そもそも歴史的仮名遣いはそんなにむづかしいものではなく、文字と音とのずれも大騒ぎするほどのものではないので、表面的には歴史的仮名遣いと「現代かなづかい」はそんなに変わらない。だから「いや、喪失とかわかんない。こんなもんでいいんぢゃない」と感じてしまう。

ぼくたちは「現代かなづかい」で日本語を書き、なに不自由なく暮らし、古典との断絶も感じてゐない。国語改革の後も素晴らしい詩や小説が書かれ、多様な日本語表現が生まれてゐる。だからなんの問題もないように感じる。なるほどたしかにそのとおりです。しかし次のように考えることもできます。

すなわち、そんなふうになんの問題もないように感じるのは、改革の記憶が失われ、いまの状態に慣れて、それに適応してしまったからである。歴史を顧みると、場合によっては、仮名遣いはいまよりもっと伝統を保存したもの、いまよりもっと日本語の古層につながったもの、いまよりもっと柔軟で豊かなものであった可能性があります。

そういう仮名遣いがあり得たとすれば、そっちのほうがいいと思いませんか? 「漢字全廃」と「完全なる表音化」を目指した超急進的な改革ではなく、とりあえず表記は変えずに効率的な教育法を考える。そのうえで、ここはさすがに無理があるというところを少しづつ変えてゆく。そのような漸進的な改革であれば、いまよりもっと便利で美しく、伝統と深くつながった仮名遣いで読み書きしてゐたはずです。

そう考えると、表音主義にもとづく改革がいかに巨大な喪失であったかが理解されるはずです。以下に「現代かなづかい」の具体的な内容を記しますので、そのような想像力をもって読んでいただきたいと思います。

助詞の「を」「は」「へ」

1946年11月16日の内閣訓令《「現代かなづかい」の実施の関する件》に、

国語を書きあらわす上に、従来のかなづかいは、はなはだ複雑であつて、使用上の困難が大きい。これを現代語音にもとづいて整理することは、教育上の負担を軽くするばかりでなく、国民の生活能力をあげ、文化水準を高める上に、資するところが大きい。

とあります。「従来のかなづかい」とは歴史的仮名遣いのことで、「現代語音にもとづいて整理する」とは表音化、すなわち一音一字、一字一音の原則を目指すということです。歴史的仮名遣いではことば(語)に基準があり、表音文字である仮名文字を組み合わせて語を示し、語から音を思い出すという手順を踏みます。語に基準をおいておけば、表音文字を表音的に使うこともできますし、表語的に使うこともできます。なによりも発音の変化に合わせて表記を変える必要がないため、表記の歴史的一貫性を保つことができます。

「現代かなづかい」は基準を語から音のほうに移しました。現代の日本語話者が発音し分けてゐる音に対して仮名文字を当てがって一対一で固定し、自分が口にする音に対応する仮名文字を並べるという方式です。「語」という観念はここに消滅します。表音化とはそういうことで、話す音をそのまま仮名文字で表すことが「国民の生活能力をあげ、文化水準を高める」と考えられました。口にする音をそのまま文字に写すというのは実にシンプルで便利そうに聞こえますが、果して、そんなことは可能なのでしょうか。音は基準となりうるでしょうか。

「現代かなづかい」のまえがきに、

このかなづかいは、大体、現代語音にもとづいて、現代語をかなであらわす場合の準則を示したものである。

とあります。ここにおいて、音を基準にすることがそもそも無理であることが露わになってゐます。音は「大体」の基準にしかならない。時代によって、地域によって、状況によって、いくようにも変化します。そのような不安定な「音」が表記の基準になるわけがありません。基準にならないものを基準としたことによって、「現代かなづかい」では「複数の書きかたがある語」や「どう書いたらよいかわからない語」が生まれました。

まづ、助詞の「を」「は」「へ」の問題。表音化を徹底するならこれを「お」「わ」「え」と書かねばなりませんが、これらは例外として「を」「は」「へ」と書いてもよいことになってゐます。そして、どういうわけかこの例外たる三つの助詞には待遇差があります。細則の第一に、

「ゐ」、「ゑ」、「を」は「い」、「え」、「お」と書く。ただし助詞の「を」を除く。

とあり、助詞の「を」は「お」と書くことを認めない一方で、「は」「へ」については、

「ワ」に発音される「は」は、「わ」と書く。ただし助詞の「は」は、「は」と書くことを本則とする。

「エ」に発音される「へ」は、「え」と書く。ただし助詞の「へ」は、「へ」と書くことを本則とする。

とし、「本則とする」だけで「わ」「え」を許容してゐます。つまり助詞の「は」は「は」と書いても「わ」と書いてもよく、また助詞の「へ」は「へ」と書いても「え」と書いてもよいわけです。

助詞の「を」「は」「へ」を例外としたのは、これを「お」「わ」「え」と書いてしまうと読みづらいからでしょうが、それならそもそも表音主義の原則は無理ということですし、「を」と「は」「へ」との待遇差はいったいどういう理由でしょうか。まったく謎めいてゐるのですが、しょせんは「さしあたって」の仮名遣いですからおそらくたいした意味はないと思います。

四つ仮名

次に、「じ/ぢ」「ず/づ」の使い分け、すなわち四つ仮名の問題。これはあまりにも例外が多く、「現代かなづかい」が準則となり得ないことを示す証左といえます。「じ/ぢ」「ず/づ」はそれぞれかつては異なる音を有してゐましたが、室町時代から同一化が始まり、江戸期には一部の方言を除いて分別ができなくなりました。そこで「じ/ぢ」「ず/づ」をどう使い分けるかという問題が出てきます。

歴史的仮名遣いでは語がはじめて仮名文字で記載されたときのつづりを守りますので、これを書き分けます。すなわち「はじまり」は「ぢ」ではなく「じ」を使い、「恥づかしい」は「ず」ではなく「づ」を使うといった具体に、一語一語のつづりを覚えなくてはなりません。これがむづかしいというので「現代かなづかい」は表音化してサ行の「じ」「ず」に一本化しようというのです。細則の第三に、

「ぢ」、「づ」は「じ」、「ず」と書く。

とあります。なるほどこの原則でいけば「〈しずめる〉かなあ、〈しづめる〉かなあ」「〈いじめ〉かなあ、〈いぢめ〉かなあ」などと悩まなくてすむわけです。ところが「現代かなづかい」はここに例外を設けてゐて、全部「じ」「ず」とするわけにはいかない。その例外がとても多く、しかもどれが例外に当てはまるのかは個人の感覚にまかされるのです。例外とはすなわち、

(1)二語の連合によって生じた「ぢ」、「づ」は「ぢ」、「づ」と書く。

(2)同音の連呼によって生じた「ぢ」、「づ」は「ぢ」、「づ」と書く。

(1)の二語の連合では例として「はなぢ(鼻血)」「もらいぢち(もらひ乳)」「ひぢりめん(緋縮緬)」「ちかぢか(近々)」「みそづけ(味噌漬け)」「みかづき(三日月)」などが挙げられてゐます。「はなじ」と書こうとすると、頭の中で「鼻の血なのだから〈はなぢ〉だよなあ」と語意識が抵抗します。「みそずけ」と書こうとすると、頭の中で「しかし味噌で漬けるのだから〈みそづけ〉だよなあ」と語意識が反乱をおこします。

すなわち濁音化する前の語が頭に浮かんでしまって「じ」「ず」と書くのが気持ち悪いわけです。そういう場合は「ぢ」「づ」を使ってよいとする。そこで問題となるのは語意識が抵抗して気持ち悪いという感覚はみなバラバラだということです。これでは「もとづく(基づく)」を「もと+つく」であるという語意識がある人は「もとづく」と書き、ない人は「もとずく」と書くことになってしまいます。

これについて、国語改革批判における最大の功労者である福田恆存は次のように書いてゐます。

 そもそも語意識が生きてゐるかゐないかなどといふことは、誰にも判定できることではない。また判定の目やすなどどこにもない。言葉は生き物です。今日、使はれる言葉は生きてゐるのだし、過去に使はれた言葉もすべて生きてゐるのです。したがつて語意識も生きてゐる。人がみづからそれと氣づかぬ場合にも生きてゐる。さういふことに國語改良論者はもつと謙虛にならなければいけません。第一、他人の、この私の語意識を勝手に判定し、藪醫者ではあるまいし、生きてゐるのゐないのと無責任な診斷を下すなど、もつてのほかの僭越であります。さうではありませんか。「ひざまづく」は「膝」と「突く」だと意識してゐるものにたいして「ひざまずく」と書けといふのは、その生きてゐる語意識に死を宣告、あるいは暗示、命令するやうなものです。 『私の國語敎室』福田恆存 1960

間然するところのない見事な文章で、これを読んたあとに「ひざまづく」を「ひざまずく」と書くのはほとんど無理ではないでしょうか。

次に(2)同音の連呼ですが、これは例として「ちぢみ(縮み)」「つづみ(鼓)」「つづら(葛籠)」「つづく(続く)」「つづる(綴る)」などが挙げられてゐます。「同音の連呼」とは実に謎めいた概念で、これらの語を例外として認めるために後付けで考えついた理屈だろうと思います。福田恆存は「ほとんど意味をなさぬ言葉」といってゐます。

 次に、同音の連呼によつて生じる「ぢ」「づ」の場合ですが、これは「ちぢむ」「つづく」のやうなもので、さらに「つれづれ」「つくづく」などにも適用され、いづれも「ぢ」「づ」をそのまま生して書きます。ただし「いちじるしい」「いちじく」では元來、「じ」なので「ぢ」とはしない。また「五人づつ」などは歷史的かなづかひでは「づつ」ですが、これは同音の連呼とは言へないといふ理由で「ずつ」と書かなければいけません。「つづ」なら同音連呼で、「づつ」ならさうではないといふ根據がどこにあるのか疑問ですが、それよりも同音連呼とは何か、ほとんど意味をなさぬ言葉だと思ひます。

以上のとおり、「じ/ぢ」「ず/づ」の使い分けに関して、原則として「ぢ」「づ」は使わず「じ」「ず」を用いて書き、ただし二語の連合および同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」は使ってよいことになってゐます。この例外事項は二つとも極めてあいまいであり、また量も多い。このように例外の多い原則は原則として破綻してゐるといってよいでしょう。

さらに、四つ仮名の事項に関しては次のような驚くべき「注意」が添えられてゐます。

「クヮ・カ」「グヮ・ガ」および「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」をいい分けている地方に限り、これを書き分けてもさしつかえない。

とあります。これは《「ぢ」、「づ」は「じ」、「ず」と書く。》という基本原則を丸ごとひっくり返す文言といわねばならないでしょう。1946年当時には「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」をいい分けてゐる地方があり、そこに住む人たちは「じ/ぢ」「ず/づ」を書き分けてもよいというのです。発音に基づくので「じ」「ず」が原則だといい、語意識が残ってゐれば「ぢ」「づ」もよしとし、いい分けてゐるならいい分けてゐるとおりに書いてよいという。どこに原則があるのでしょうか。

「現代かなづかい」によって「複数の書きかたがある語」や「どう書いたらよいかわからない語」が生まれたとい意味はこのような状況を指すのです。「現代かなづかい」が「さしあたって」の仮名遣いであるゆえんです。

語意識、語源、ことばの由緒

表音主義に基づく表記改革によって失われた最大のものは古典とのつながりであり、語意識を養う環境です。古典とのつながりについて、福田は次のように書いてゐます。

一番大事なことは、專門家も一般大衆も同じ言語組織、同じ言語組織、同じ文字組織の中に生きてゐるといふことです。同一の言語感覺、同一の文字感覺をもつてゐるといふことです。古典には限りません。江戸時代の無學な百姓町人が難しい漢語の續出してくる近松や馬琴を充分に樂しめたといふのも、そのためではありませんか。大衆が古典を讀むか讀まないかは題二義的なことで、古典をひたしてゐる言語文字と同じもの、同じ感覺に、彼等もまたひたされてゐることが大切なので、それによつて彼等は古典とのつながりを最小限度に保つてゐるのです。

なにも特別なことをいってゐるのではありません。よい食材で丁寧に調理された料理を食べて育てば味に敏感になりますし、洗練されたデザインの調度品や服飾に囲まれて育てばお洒落になります。それは長じて知的に客体化して観察できるようになるまで本人は気づかない。あるいはずっと自覚しないかもしれません。しかしそれこそが文化であって、無自覚ながらにその文化を享受するところに美意識が育まれ、生活の喜びや充実が生まれる。

衣食住に関して、洗練された文化のなかで生活することはとても大事です。だから食育ということがいわれるのでしょうし、自然の豊かな地域で子育てしたいと考えるわけです。福田は母語についても、そのような感覚が大切だといってゐるのです。それが、「古典をひたしてゐる言語文字と同じもの、同じ感覺に、彼等もまたひたされてゐることが大切」ということばの意味です。歴史的仮名遣いはそのような環境を保持するものでした。そして国語改革はそれに大きな打撃をあたえました。

いくつかわかりやすい例を挙げましょう。

いづれ」という語があります。「いづれにせよ君の勝ちだよ」とか「いづれまた会いましょう」とかいうときの「いづれ」です。「いづれ」の「いづ」は、時の不定の代名詞「いつ」および場所・方向の不定の代名詞「いづ」につながるもので、「いづこ」「いづかた」「いつ」「いつか」「いつも」などとの繋がりが表記にあらわれてゐます。これを「現代かなづかい」にしたがって「いずれ」と書くと、他の語との連絡が見えなくてなってしまいます。

「それじゃ、このへんで失礼するよ」の「じゃ」は「では」がなまったもので、歴史的仮名遣いでは「それぢや」と書くのでその由緒を示すことができます。しかし「現代かなづかい」では「じゃ」となってダ行からザ行に移るので語源を示すことができません。

助詞の「へ」は「ゆくへ(行方)」という行く先・方面・方向を示す名詞から発達したものです。歴史的仮名遣いでは「ゆくへ」と書きますから語形に助詞「へ」との連関を残してゐますが、「現代かなづかい」では「ゆくえ」ですから連絡が途切れます。

以上、三つ例を挙げましたが、「いづれ」が「いつ」と同族で、「では」が「ぢや」の由緒であることはすぐに理解できても、「ゆくへ」と助詞「へ」との関連は聞いてもピンとこないと思います。つまり、ここに語意識の程度の濃淡、あるいは深浅があります。けれども現代人が、いまここの自分が、自分の語意識をジャッジして、それによってつづりを変えるべきでない。福田はそういいます。

「今日、使はれる言葉は生きてゐるのだし、過去に使はれた言葉もすべて生きてゐるのです。したがつて語意識も生きてゐる。人がみづからそれと氣づかぬ場合にも生きてゐる。」

福田のことばは情緒的で、伝統主義的で、これぞ保守という感じがするので煙たく感じる人もゐるかもしれません。しかしぼくはこの感覚が常識であるし健全でまっとうだと思います。地産地消が大事であって旬のものをバランスよく食べようというのは現代人の共通の認識だと思いますが、言語についても、古典との回路は太いほうがよく、変化はできるだけゆっくりであるべきであり、由緒正しいことばづかいを心がけるべきであるというのが、保守でも国粋主義でもなんでもなく、あたりまえの常識であるべきだと思います。

表記の「革命」

以上、「現代かなづかい」が「さしあたって」の仮名遣いでしかないために矛盾や例外が多く、とうてい準則になり得ないこと、またそれが表音主義に基づく改革であったために古典との断絶が生まれ、日本語の古層とつながる回路が貧しくなったことを示しました。

ご関心があれば「現代かなづかい」をひらいてちょっと読んでみていただきたいのですが、これは読んでもよくわからないものです。なぜ理解できないかというと、それはここまで何度も書いてきたように、基準となり得ない「音」を基準にしてしまったために、説明できないところがでてくるからです。

「仮名遣い」ということと「現代語音にもとづいて語を書く」ということが本質的に相入れないものであるために、「仮名遣い」ともいえず、「表音化の規則」ともいえない、気味悪いキメラみたいな文書です。

本則で「この音はこう書く」といい、それで説明できないところを細則として、「この語は例外である」「この語はどちらでもよい」といった具合に、表音主義で都合が悪くなると「語」を持ち出してきてごまかすのです。はじめに「音」をたてて、そのうえに「語」をもちだすので二つが衝突してわけのわからないものになってゐる。

「現代かなづかい」は国語学者から強く批判されたのですが、批判の核心はまさにこの点でした。基準が「語」から「音」に変わった。「音」を基準にしてことばをつづるという表音主義の採用は仮名遣いの歴史における「革命」であって、そんなものは仮名遣いではないというのです。「現代かなづかい」は名前こそ仮名遣いと称してゐますが、仮名遣い問題が発生した当初から国語改革まで、そういうものを仮名遣いと呼んだことは一度もなかったのです。代表的な意見として時枝誠記の論を紹介しておきます。

 そこで「現代かなづかい」は、歷史的假名づかひを修正して、現代の表記に應ずるといふ方針をとらずに、全く別の假名表記の原則を立てたのである。それは何かといへば、發音通りに表記するといふことである。この新表記の原則が、從來の假名づかひの原則とは全く異なつた原則に立つてゐるといふ意味で、表記の革命と呼ぶことが出來るのであるが、どのやうな意味で、それが表記の革命といはれることになるのであるか。從來の表記法は、例へば、「紅」といふ語の表記は、「くれなゐ」と書くことが定められて居つて、その定められた方式に從つて、「くれなゐ」と書いたのである。それはまた、書き手と讀み手との閒の約束ででもあり、また、言語の綴字法の原則は、さうであるのが一般である。(中畧)「現代かなづかい」の方針は右のやうな取決めに從つて表記するといふのではなく、表記者が自らの發音を探つて、それを文字に寫すといふのであるから、假名表記の方針としては、根本的に異なるのである。 『國語問題のために』時枝誠記 1962

仮名遣いとは語を表記する際の取り決めであるといってゐます。「ゐ」の発音が「い」と同じになったとき、「紅」を「くれなゐ」と書くか「くれない」と書くかという問題が生じました。これが仮名遣い問題です。表記がバラバラだと困るので「紅」は「くれなゐ」と書くよう決める。それが仮名遣い問題の解決法であり、その取り決め全体を指して仮名遣いと呼んできた。これを時枝は端的に「臺帳(台帳)」といいます。

 假名づかひ問題の解決は、語とそれに相當する記載の假名の取決めを明かにしたところの臺帳を作成することを以て主要な任務とする。そしてその臺帳は、今日歷史的假名づかひと稱せさられてゐる契沖の取決めた假名づかひを原本として、これを補訂することが、方法的には最も妥當である。 『國語問題と國語敎育』時枝誠記 1949

国学者国語学者達の努力と研鑽の成果である巨大な台帳である歴史的仮名遣いが存在するのであるから、これに困難や不便があるならば、これを原本として補訂していけばよい。しかし敗戦後の国語改革ではそれをせず「現代の音韻」という別の原理を強引に当てはめてしまった。その産物が「現代かなづかい」である。時枝は、発音のとおりに書く(表音主義)という原則は「不斷の創作」とならざるを得ないといいます。

云はば、表音主義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは古典假名遣の困難を救はうとして、更に表記の不安定といふ別個の問題をひき起こすことになるのである。(中略)今日の假名遣問題の發生は、現在認められてゐる古典準據の假名遣が、文字と音韻との間に連絡がなくなつたために、理解の場合にも表記の場合にも困難を感じさせるところから來てゐることである。從つてこれが解決法は、古典假名遣そのものを取上げ、これを出來るかぎり現代語音に接近させることでなければならない。從つて、本案の主張する表音主義は、實は表記の際に於ける準則として考へられるべきことではなく、舊假名遣を改訂する場合の改訂の準則として立てられるべきものであつたのである。 「國語問題と國語敎育」

この提案は極めて穏当でまっとうなものです。時枝は歴史的仮名遣いを絶対に守るべきとはいってゐません。改めていけばよい、しかし改めるなら現代音韻を最初に立ててそれでうまくいかないところを歴史的仮名遣いで補うのではなく、歴史的仮名遣いを元として、これを現代音韻に近づける工夫をするべきである。表音主義によって書くのではなく、表音主義によって歴史的仮名遣いを改訂すればよいというのです。

国語改革以後の仮名遣いに慣れきったぼくたちにはわかりづらいところですが、ここが決定的に重要です。本来なら時枝がいうように、歴史的仮名遣いを徐々に改訂していくという手順を踏むべきだったのです。あの戦争に、あれほどひどい負けかたをしなければ、それは可能でした。

国語改革4 定着と忘却

なかったことになりました。

当用漢字表」と「現代かなづかい」が「さしあたって」のものであり、暫定的処置としてしか理解できないものであることがおわかりいただけたと思います。国語改革の最終目標は「漢字全廃」および「表音主義的表記(ローマ字か仮名文字による)」の実現でした。この目標はどうなったのでしょうか。改革の顛末をみましょう。

ご承知のとおり、漢字も仮名文字も廃止されず、完全なる表音化も実現してをりません。ということは国語改革は失敗であったということです。ところが国語改革が当初「漢字全廃」と「完全な表音化」を目指してゐたという根本の事実がいつの間にか忘れさられ、なんとなく途中の状態が定着してしまったのでした。

国民の多くが忘れてしまえば、あるいは興味がないなら、それが失敗として認知されませんから、政府は改革についての反省も検討も行うことなく、途中の状態(であるはずだったもの)を追認しました。「さしあたって」にすぎないものであったという事実が「なかったこと」になり「こんな感じで」と現状肯定されたのです。それが1981年の「常用漢字表」および1986年の「現代仮名遣い」です。

いづれもかつての目標をなかったかのごとく見せかけ、失敗を認め根本的な再検討をするのを避けるための極めて官僚的な性質の告示・訓令です。そういう性質のものであるからまったく権威がなく、効果的に機能してゐるとはいえません。簡単に紹介しておきます。

常用漢字表

文字通り「当用」が「常用」に変わりました。「当用漢字表」は「漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして」1850字が選ばれたものでしたが、「常用漢字表」では「現代の国語を書き表すための漢字使用の目安」となり採用字数も1945字に増えました。さらに2010年には「改定常用漢字表」が告示され2136字となりました。

そういうわけで、使える漢字が増えたので徐々に「混ぜ書き」が減りつつあるのですが、失敗を認めて根本的な再検討をしたものではないので、この表には権威がありません。なので官公庁や新聞社は律儀にしたがってゐますが、一般にはけっこうバラバラで、前述のとおり「障碍」「障害」「障がい」は三通りの表記が流通してをり、「叡智/英知」「日蝕/日食」などは元の表記と置き換えた表記が並存してゐます。上記したような歴史的経緯を説明したうえで指針を出せばこうした混乱はすぐに解消するはずですが、それでは誤りを認めることになるので無理なのかもしれません。

字体についても不合理な簡略化を改めるべきと思います。漢字体系に整合性があるほうが教育も容易なはずですし、それがさほどむづかしいこととは思えません。そんなことをしたら混乱するでしょうか。それなら国語改革の超急進的な改革のほうがよほど混乱を招いたのであって、漱石でも鴎外でも改革後の表記に書き換えたものを出版し、またそれを読んで平気なのですから、字体がちょっと変わったくらいなんとも思わないはずです。

現代仮名遣い

「現代仮名遣い」の前書きに、

1.この仮名遣いは、語を現代語の音韻に従って書き表すことを原則とし、一方、表記の慣習を尊重して、一定の特例を設けるものである。

とあるように、表音主義が間違いであったことを認めたわけではありません。内容は「さしあたって」の仮名遣いである「現代かなづかい」が実施されて40年が経過した、その中途半端な状態を追認するかっこうに文言を修正したものです。

「現代かなづかい」では、助詞の「は」を「わ」と書き、また「へ」を「え」と書くことが許容されてゐたのですが、これが不可となりました。すなわち表音主義の徹底を諦めました。「表記の慣習による特例」にこうあります。

1 助詞の「を」は、「を」と書く。

2 助詞の「は」は、「は」と書く。

3 助詞の「へ」は、「へ」と書く。

四つ仮名に関して、福田恆存が問題にしてゐた助詞の「づつ」および「ひざまづく」は、「づつ」でも「ずつ」でもよく、また「ひざまづく」でも「ひざまずく」でもよいことになりました。同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」と、二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」については「ぢ」「づ」を用いて書くとしたうえで、次のように追記されます。

なお、次のような語については、現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として、それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし、「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。

例:せかいじゅう(世界中) いなずま(稲妻) さしずめ でずっぱり なかんずく うでずく くろずくめ ひとりずつ ゆうずう(融通)

「現代語の音韻に従つて書き表す」という原則があり、原則に従わない「特例」があり、その「特例」のうちの少なくない語は「どっちでもよい」というのです。ある語をどう書くかの取り決めが「仮名遣い」なのに「どっちでもいい」とはっきりいってしまってゐる。こういうものを「仮名遣い」とは呼べません。くどいようですが「現代語の音韻に従う」という原則にそもそも無理があるのです。

失敗を認めたくないばかりの取り繕いは実にタチの悪いものです。「前書き」で歴史的仮名遣いの位置付けがなされてゐます。

8.歴史的仮名遣いは、明治以降、「現代かなづかい」(昭和22年内閣告示第33号)の行われる以前には、社会一般の基準として行われていたものであり、今日においても、歴史的仮名遣いで書かれた文献などを読む機会は多い。歴史的仮名遣いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。また、この仮名遣いにも歴史的仮名遣いを受け継いでいるところがあり、この仮名遣いの理解を深める上で、歴史的仮名遣いを知ることは有用である。付表において、この仮名遣いと歴史的仮名遣いとの対照を示すのはそのためである。

「表記の慣習を尊重して」とか「この仮名遣いにも歴史的仮名遣いを受け継いでいるところがあり」というのは大嘘です。とても卑怯な書きかたです。「尊重」とか「受け継いで」とかいったらいかにも歴史的仮名遣いに敬意を表してゐるみたいにみえますが、実際はごまかしてゐるだけです。「現代仮名遣い」が広く世の中で行われ、これがいちおうのところ成立して問題なく流通してゐるのは、その背後で歴史的仮名遣いが支えてゐるからです。

「現代かなづかい」も「現代仮名遣い」もそれのみでは絶対に成立し得ないものであり、歴史的仮名遣いがいまも生きてゐて、その規範力がちょうど重力のように強力に作用してゐるから「現代仮名遣い」で落ち着いてゐるのです。ほとんどの人はふだん歴史的仮名遣いに触れないと思いますが、読んだり書いたりしなくても誰もが「現代仮名遣い」を介して歴史的仮名遣いにアクセスしてゐるのです。

いまさして混乱がなく「こんなもんでいいんぢゃない」と思えるくらいに安定してゐるのは、「現代かなづかい」および「現代仮名遣い」が優れてゐてよく出来たものであるからではありません。両者ともにそれだけ読んでもことばを書くことはできませんし、誰もそんなことはしてゐません。実際には語のつづりを覚えて書いてゐる。

たとえば「現代仮名遣い」に〈オ列の長音はオ列の仮名に「う」を添える〉という原則があり、例として「かおう(買)」「あそぼう(遊)」「おはよう(早)」などが挙げられてゐます。ではこれらの語を書く際に「オー」だから「お」+「う」だな、よし「かおう」と書く、などと音韻から考えて書いてゐるかというとそうではありません。それぞれの「語形」すなわちつづりを覚えてそれに従って書いてゐます。

これはどういうことかといいますと、「現代仮名遣い(現代かなづかい)」は「仮名遣い」であるかのような体裁をとってはゐますが、実質としては時枝誠記のいう「舊假名遣を改訂する場合の改訂の準則として」機能し、改訂版の台帳に従ってぼくたちは日本語を書いてゐるということです。「假名の取決めを明かにしたところの臺帳」がぼくたちの頭の中にあり、それを参照しながらぼくたちは日本語を書いてゐる。

その台帳の役割を果たしてゐるのが国語辞典です。国語辞典で任意の語を引くと、必ずカッコ書きで歴史的仮名遣いでのつづりが付記されてゐます。「はずかしい(はづかしい)」「いずれ(いづれ)」「じゃあ(ぢやあ)」「ゆくえ(ゆくへ)」「おもう(おもふ)」「おはよう(おはやう)」などです。

カッコ書きの歴史的仮名遣い表記は「昔こう書いてゐた」ということではなく、そちらが正統表記であり、本体なんです。歴的仮名遣いを表音主義に基づいて簡略化したものが「現代仮名遣い」による表記なので、「受け継いでいるところがあり」はまったく実態とかけはなれた詐欺的文言といわねばなりません。

歴史的仮名遣い」と「現代仮名遣い(現代かなづかい)」は同じ「仮名遣い」ということばが入ってゐるので対等な二つの方式のように感じられるかもしれませんが、「現代仮名遣い(現代かなづかい)」は完全に「歴史的仮名遣い」に依存したものです。「歴史的仮名遣い」はそれ単独で存在し得るものですが、「現代仮名遣い(現代かなづかい)」は「歴史的仮名遣い」抜きには存在し得ません。

このあたりわかりづらいところで、ひょっとしたらこういうツッコミを入れたくなった人がゐるかもしれません。おまえは「現代仮名遣い(現代かなづかい)」は表音主義だから原則にならないといって批判してゐる。そしてそれが実質としては「舊假名遣を改訂する場合の改訂の準則として」機能してゐるから仮名遣いは安定してゐるという。安定してゐるなら「現代仮名遣い(現代かなづかい)」で別にいいぢゃないか。結果オーライ、成功ぢゃないか。と。

違いますよ。「現代かなづかい」は表音主義をかかげたものでした。本当に現代音韻に従って書けば、時枝誠記のいうとおり「不断の創作」とならざるを得ません。ところがそれでは基準にならないので、日本語の生理と日本語使用者の規範意識が作用して、結果として、「舊假名遣を改訂する場合の改訂の準則として」機能したのです。

それが落ち着いたところで、落ち着いた状態を「現代仮名遣い」として告示した。その「現代仮名遣い」も結果を追認しただけですから、上記のとおりこまごまとつじつま合わせをしてゐるだけです。したがって「現代仮名遣い」も「仮名遣い」としては機能せず、実質としては「舊假名遣を改訂する場合の改訂の準則」として機能してゐるのです。

これでぼくが先に、

手元に「歴史的仮名遣い」が存在する。これを完全なる表音化を目指して改革する。ところがそれは無理なようだ。だから途中でやめてしまった。この途中の状態が「現代仮名遣い」です。途中の状態なんてといわれると信じられないかもしれませんが、本当のことです。(実際はそうであるのに、そうではないかのような体裁をとってゐるのが「現代仮名遣い」のやっかいなところです。それについては後述します)。

と書いた意味をおわかりいただけたでしょうか。「現代かなづかい」は「大体、現代語音にもとづいて、現代語をかなであらわす場合の準則」であり、「現代仮名遣い」は「語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし、一方、表記の慣習を尊重して、一定の特例を設けるもの」であり、いづれも「歴史的仮名遣いを元にします」なんて書いてゐません。

ところが、現代語の音韻に従って書くことはできないので、実際の運用にあたっては歴史的仮名遣いを元とし、これを簡略化する原則として機能してきたし、いまも機能してゐるのです。それしかできないからです。

このあたり、記述がややこしくなって申し訳ないのですが、責めるなら「現代仮名遣い(現代かなづかい)」を責めてください。「現代仮名遣い(現代かなづかい)」は「現代の音韻と仮名文字との関係」と「語をつづる取り決め」とをごっちゃにした性格のものなので、このヘンテコな構造をきっちり分解して書くとぐちゃぐちゃになってしまうのです。

「現代仮名遣い(現代かなづかい)」は仮名遣いではないのに、仮名遣いを自称してゐる。また実態としては「舊假名遣を改訂する場合の改訂の準則」として機能してゐるので、現象面では仮名遣いであるかのようにみえる。

要するに「現代仮名遣い(現代かなづかい)」を「仮名遣い」と呼んでしまうからややこしくなってしまう。実態に即した名称をつけますと「和語を仮名文字によって書き表すための歴史的仮名遣い表音化原則」とでもなるでしょうか。

1、日本国の公用語である日本語は和語と漢語と外来語との三層構造からなる。

2、和語を仮名文字によって書き表す準則としては、江戸期以来の国学および国語学の成果として歴史的仮名遣いが存在する。歴史的仮名遣いは音韻の変化に左右されず歴史的一貫性を保持して和語を表すことが可能な正統表記である。

3、しかし、歴史的仮名遣いは語がはじめて仮名文字で書かれたときの表記を保持するものであるため、現代の音韻体系との間に少なくないずれが存在する。

4、公用語としての日本語およびその表記を考えた場合、歴史的仮名遣いの教育と普及は困難であるため、これを現代音韻に近づける改訂が必要である。

5、歴史的仮名遣いにおける文字と音声とのずれは、ハ行点呼音、四つ仮名、「ゐ/い」、「ゑ/え」、「を/お」、促音、撥音、拗音、長音である。

6、以下、上記各ずれについて改訂の原則を示す。

こういうふうに書けばとてもすっきりします。ぼくは冒頭に、

正統表記である「歴史的仮名遣い」は文字と音とのズレが大きくてむづかしい、だから国民全部に普及させるために表音化して簡単にすべきである。そのように考えたとしましょう。では、どこをどんなふうに簡略化するのか、無限とはいえないにしろ、多くの段階が考えられます。

と述べましたが、多くの段階とは、ハ行点呼音・四つ仮名、「ゐ/い」、「ゑ/え」、「を/お」、促音・撥音・拗音・長音をそれぞれどのように扱うかということなのです。「現代かなづかい」は完全なる表音化をゴールに設定してつくられたものであるため、そのほとんどを改訂してしまいました。これは明らかに行きすぎです。

安定してゐることを成功といえば、それは結果オーライで成功です。が、ぼくが述べてきたのは、表音化しすぎたために過去とのつながりが細くなったということであり、本当ならよりすぐれた安定や落ち着きがあり得たということなのです。いま混乱してゐないから成功というのは「起こったことは全部正しい」式の現状肯定であり、要するに現実への盲従に過ぎません。

もし大日本帝国がもっと早い時期に敗戦を認めることができ、連合軍による占領もなく、過去を全部否定するような空気が生まれず、漸進的な国語改革が行われてゐたとしたら、おそらくハ行点呼音や四つ仮名の改訂はなかったはずです。

ハ行点呼音は「思ふ」「したがふ」「すなはち」「たとへば」など語中語尾のハ行音がワ行音へと変化した現象をいいます。これらは規則的ですから習得の手間はほとんどないようなものです。個人的にはこれが失われたことを非常に残念に思ってゐます。

「すなはち」「たとへば」といった表記はちょっと違和感があるかもしれませんが、これはほんとうにすぐ慣れます。慣れればこちらのほうが、語の標識力においても、字面の美しさにおいても、音韻を写す正確さにおいても、すぐれてゐることがわかるはずです。

四つ仮名について、「現代仮名遣い(現代かなづかい)」では「二語の連合」と「同音の連呼」によって生じだ「ぢ」「づ」を許容するのみですが、これはほとんどすべての語に関して書き分けが残ったと思います。現状でもそうとう程度書き分けてゐるのですから、こちらはいまから旧に復してもさしたる混乱は生じない思います。

本ブログの仮名遣い

戦後処理の問題

さて、ようやく国語改革についての説明が終わりましたので、本ブログで実践してゐる仮名遣いについて説明いたします。

冒頭に「国語改革を問いなおすことは、戦後の日本国がどのようにしてつくられたかを知り、そしてこれからどのような国をつくっていくかを探るためのひとつの契機となるとぼくは考えてゐます」と書きました。ぼくの頭には思想家・内田樹氏の次のことばがあります。

日本は戦争に負けることで多くのものを失いました。それはどのようなものか。「そんな話はもう止めよう」と言って済まされるものではありません。僕たちの国は敗戦であまりに多くのものを失った。それを回復しなければ、この国は蘇生しない。そして、僕たちが敗戦で失った最大のものは「私たちは何を失ったか?」を正面から問うだけの知力です。あまりにひどい負け方をしてしまったので、そのような問いを立てる気力さえ敗戦国民にはなかった。その気力の欠如が戦後七十年間続いた結果、この国の知性は土台から腐食してきている。僕にはそのように思えるのです。ですから、僕たちはあらためて、あの戦争で日本人は何を失ったのかという痛々しい問いを自分に向けなければならないと思います。 「街場の戦争論内田樹 2014

敗戦から75年を経て、またサンフランシスコ講和条約から70年近くを経て、日本国にはいまだに大量の米軍基地が存在し、その多くを沖縄に押し付け、中国・韓国・ロシアとのあいだには領土問題を抱え、北朝鮮とはいまだ国交さへ回復できてゐません。核兵器禁止条約にも不参加です。

要するに近隣諸国とは信頼関係を築けてをらず、日米同盟だけがうまく機能してゐる。「日米同盟だけがうまく機能してゐる」とは実際には対米従属が深まってゐるということで、その抑圧された屈辱を埋め合わせるように、アジア蔑視がなんの屈託もなく表明される世相となってゐます。

福田恆存は「私の國語敎室」を収めた「福田恆存全集 第四巻」の覚書に次のように書いてゐます。

かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られて來た正統表記が、戰後倉皇の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる餘裕のない隙に乘じて、慌しく覆されてしまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である、しかも一方では相も變らず傳統だの文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化である。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか。 『福田恆存全集 第四巻』1987

対米従属とアジア蔑視があまりの常態化し、すごい速度で没落してゆく現在の日本国の状況をみると、福田のことばが強烈に胸に迫ってきます。日本は戦争に負け、その戦後処理が冷戦下におけるアメリカの世界戦略に適合するかたちで行われたために、半面講和となり、日米安保と引き換えにアジア蔑視が温存されてしまった。

つまりきちんと大日本帝国を葬り去ることができず、自分達で戦後日本国のかたちを考えてこなかった。それを放置してきたツケをいま払ってゐるのではないでしょうか。中国人嫌いだ、朝鮮人嫌いだというアジア蔑視言説をもてあそぶ人達が「保守」を名乗り「愛国者」を自称し、権力を握ってゐる。「伝統」だ「文化」だというお題目を並べ立てる人達が、そのよって立つべき「言葉」を破壊し続けてゐる。言葉を破壊するとは現実を破壊することであり、社会を破壊することです。

ぼくたちは「あの戦争で日本人は何を失ったのかという痛々しい問い」を自分に向け、敗戦によって失われたものを取り戻し、アジア蔑視を克服し、日米同盟の根本的見直しを目指さねばならぬのではないでしょうか。それが国民的合意となるまで日本の没落は止まらないと思います。

戦後体制の見直しという大きな事業の小さな一領域として、国語改革を見直すことが必要だと考えます。ぼくが「現代仮名遣い」に従わず若干の修正を加えた表記を試みてゐるのは、国語改革が失敗であったことを忘れないためであり、また戦後処理と戦後体制に対する抵抗でもあります。そして、このブログを読んだ人に「違和感」を感じてもらって、その違和感から戦後処理と新しい国家像について考えてもらいたいのです。

正統表記に近づける

ぼくが「現代仮名遣い」に加えた修正は、以下の語を「歴史的仮名遣い」で書くというものです。

・助詞の「さへ」「づつ」

・存在を意味する「ゐる」「をる」

・「ぢ」「づ」「じ」「ず」、いわゆる「四つ仮名」を使用した語

この変更によって正統表記である歴史的仮名遣いに二歩か三歩か近づきました。この程度の変更であれば国語改革後の表記しか知らない人にも抵抗が少ないでしょうし、「日本スゴイ」系の似非愛国者と間違われる心配も減るだろうと考えて決めました。

「現代仮名遣い」の側からいうと上のようになるのですが、「あり得たはずの国語改革を考える」という視座からいえば、とうぜん歴史的仮名遣いの側から説明することになります。つまり先に示した「和語を仮名文字によって書き表すための歴史的仮名遣い表音化原則」の、

5、歴史的仮名遣いにおける文字と音声とのずれは、ハ行点呼音、四つ仮名、「ゐ/い」、「ゑ/え」、「を/お」、促音、撥音、拗音、長音である。

6、以下、上記各ずれについて改訂の原則を示す。

に続いて、例えば以下のように続けることになります。

・ハ行点呼音の「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、「わ」「い」「う」「え」「お」と書く。ただし助詞の「は」「へ」「さへ」は「は」「へ」「さへ」と書く。

・四つ仮名を含む語は歴史的仮名遣いに従う。

・「ゐ」は「い」と書く。また「を」は「お」と書く。ただし、存在を意味する「ゐる」「をる」は「ゐる」「をる」と書く。また助詞の「を」は「を」と書く。

・「ゑ」は「え」と書く。

・促音は「っ」と書く。

・撥音は「ん」と書く。

(以下略)

繰り返しになりますが、歴史的仮名遣いを表音主義によって改訂する具体案にはさまざまなバリエーションがあり得ます。読者の心理的抵抗を小さくするためにぼくの実践はほとんど「現代仮名遣い」と同じレベルまで簡易化してゐますが、思考実験としてはもっと歴史的仮名遣いに近い仮名遣いを想像することができます。

あのような無残な敗戦でなければ、自信喪失の度合いも小さくて済んだでしょうから、国語改革のありかたも違ってゐたはずです。日米開戦を回避できてゐたら、ミッドウェー海戦の直後に講和できてゐたら、仮名遣いはどうなったでしょうか。

ハ行点呼音は残ったでしょう。「ゑ」は「え」になったでしょうが、「ゐ」「を」の使い分けは残ったかもしれない。拗音、長音が微妙なところです。「ありがとう」は「ありがたう」だったかもしれません。こうして想像をふくらませると、失われたものの大きさに改めて思い至ります。

国民国家の解体を見据えて

誤解を受けないように、最後に補足的に述べておきますが、ぼくは決して国粋主義者ではありませんし、もっと国家を強くすべきだなどと考えてゐるわけではありません。「正統表記を守る」とか「新しい国家像」とか書いてゐるので、とても「愛国」っぽくて「国家」が大好きなように思われるかもしれませんが、そういうタイプではありません。むしろ逆で、「国家」や「民族」を基準にものを考え、人を裁くような発想は嫌いです。

しかし人類はまだ「国民国家」に変わるシステムを見つけられてゐないので、まだとうぶんのあいだ、少なくとも21世紀中は「国民国家」モデルでやっていくほかないでしょう。とすれば、日本人の「国家観」や「国家像」をいかに「マシなもの」にアップデートしていくかが重要であるように思うのです。だから現在の「日本国のかたち」が出来上がった敗戦時にまでさかのぼって戦後処理を見直す必要があると考えるのです。

「新しい国家像」は、逆説的ですが「国民国家の解体」を遠い先に見据えたものであるべきです。日本は極めて均質性の高い社会なので「一国家・一民族・一言語」的な幻想を共有しやすかったわけですが、外国にルーツをもつ人達がすでにたくさんをり、これからも増えていくことを考えれば、その幻想はもはや暴力でしかありません。「国家」の施政権がおよぶ「領域」に住む「国民」全部に「国家語」を教育するという平面的なモデルはもう無理です。

現在の公教育の「国語」はいづれ「日本語」に変わるでしょう。「国家の言語」から「公用語としての日本語」への転換です。日本語も、その表記法も、より多層的なものならざるを得ないと思います。大きく分けて「正統」と「公用語」と「やさしい日本語」の三つの次元が重なり合って流通するようなかっこうになる。そして三つの次元のあいだにさまざまなグラデーションがあってよいと思います。

そのようなありかたが実現するためには「正統」という観念を復活させることが必要です。国語改革の見直しは「正統」の復権という一事のためにどうしても必要です。漢字についてはいま「旧字体」と呼ばれてゐる康煕字典体を「正字」として認め、歴史的仮名遣いを「正統表記」として認めること。正統がきっちりしてゐないと、それを簡易化した「公用語」および「やさしい日本語」の次元も定位できませんし、それに引っ張られて日本語全体がだらしなく平板化していくことにもなりかねません。

優劣は関係ありません。むづかしい字体や仮名遣いを覚えてゐるほうがエライわけではない。もちろん「正統」にしたって万古不変のものではなく、歴史的に形成されたものです。しかし、いちおうのところ「正統」と認められたものが存在し、それを人々が信じてゐる。それが大事だと思います。極端な話、正統がしっかりしてゐれば、あとはバラバラでけっこうと思います。

書籍案内

お読みいただきありがとうございました。

最後に、国語改革に関心をもたれた方のためにいくつか本を紹介しておきます。

私の國語教室福田恆存 1960

国語改革批判における最重要文献です。国語への愛、該博な知識、異様なまでの文章のうまさに感動します。絶対に読むべき一冊ですが、1960年初版なので内容がちょっと古いです。また日本語音韻についての知識がまったくない場合にはむづかしいと思います。ですから下の「漢字と日本人」「知らなかった!日本語の歴史」のどちらか、あるいは両方を先に読んでから挑戦するのがよいと思います。

漢字と日本人高島俊男 2001

日本人および日本語にとって漢字とはなにかについて軽妙な語り口で書かれた名著です。仮名遣いについての記述はありませんが、国語改革についても詳しく述べらてゐるので、全体像をつかむのに最適です。

知らなかった!日本語の歴史」浅川哲也 2011

開音節と閉音節の違い、上代特殊仮名遣い、ハ行点呼音、四つ仮名、などなど日本語音韻の性質と変化についてかなり詳しく、またわかりやすく書かれてゐます。

国語改革を批判する丸谷才一編 1983

2012年に丸谷才一が亡くなり、名のある作家で歴史的仮名遣いで書く人がゐなくなりました。丸谷が執筆した「言葉と文字と精神と」を是非読んでください。歴史的仮名遣いが圧倒的に優れてゐると実感できるはずです。あと大野晋の「国語改革の歴史(戦前)」も必読です。

かなづかいの歴史 日本語を書くということ今野真二 2014

上に挙げた四冊は基本的に国語改革に否定的な立場をとってゐます。今野氏の本はそのような価値判断から距離をとり、客観的事実として仮名遣いがどのように変化してきたかを記したものです。最新の研究成果が盛り込まれてゐるので、これを最初に読むのもよいかも知れません。