手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「方舟さくら丸」安部公房

方舟さくら丸安部公房 新潮文庫 1990(原著は1984年) 

安倍公房の作品を読むのは「砂の女」と、これが二作目。面白かった~😄

「人間は本当に自由を求めてゐるのか」「われわれはいつも閉じ込められてゐるのではないか」というモチーフが浮かび上がってくる点は「砂の女」と共通。

「方舟さくら丸」は「砂の女」と比べて小道具がやたらと興味をそそり、物語として断然面白い。ただそのぶん文体の密度とか小説世界の象徴性・神秘性みたいなものは薄いのでそこは「砂の女」のほうがよかったな。

「方舟さくら丸」は人間の「縄張り意識」を主題とした思考実験だ。

たとえば人類を祖先をともにする類人猿には、はっきり二つの傾向が認められる。集団をつくって社会化しようとする拡張傾向と、縄張りにこもって城を築こうとする定着傾向だ。人間はなぜかこの二つの矛盾する傾向を同時に身につけてしまった。ネズミやゴキブリ以上の適応力で地上にはびこる力を手にすることが出来た半面、たがいに殺しあう憎悪の才能も手にしてしまったのだ。すでに自然と対等になってしまった人間に、この両刃の剣は重すぎる。巨大な電動鋸で白魚の腹を割くような政治に血道をあげることになる。 26頁

地上を埋め尽くすまでに繁殖し、ついに核兵器を手にした人類は、この矛盾をうまく制御できるのか。人間にそのような政治力はあるのか。

後半のほとんどギャグ的なサバイバル展開には大笑いした。とにかく、ブラックユーモアが秀逸。

安倍公房という人は本当に人間というものを突き放して見てゐるようだ。なんというか、人間存在をまったく愛おしく思ってゐないし、かといって憎んでもゐないという感じ。昆虫でも観察するような態度で人間を捉えてゐるのかもしれない。

「サクラ」というのは登場人物の綽名で、「ニセ客」と「日本的なるもの」の二つがかかってゐる。次の箇所など、「やってる感」演出の前政権を思い出して苦笑してしまった。

「おれが船長だって」 サクラが笑おうとしかけて、顔をこわばらせた。「人違いじゃないのかい。おれが船長になったら、この船、[さくら丸]だぜ。笑っちゃうよ。羅針盤もなけりゃ、海図もなしだ。走る気もないのに、走ったふりをしてみせるだけの船になっちゃうぜ」 304頁

この男は自分の空虚さを「笑っちゃうよ」といって冗談めかす知性があり、船長の器ではないと自覚してゐるところに愛嬌がある。彼が最後に取る選択も味わい深いものだった。

この小説で一番傑作だと思った模写は☟。これから何度も思い出しそうだ。

 その数秒のあいだに、ぼくはコンクールに出場できそうな指さばきで脳細胞の鍵盤を叩きまくり、結論を出していた。女に囁きかける。 344-345頁