「若き詩人への手紙 若き女性への手紙」リルケ 翻訳:高安国世 新潮文庫
若松英輔さんが「詩を書くってどんなこと?」の中ですすめてをられたので読んだ。
とてもよかった。
文庫には「若き詩人への手紙」と「若き女性への手紙」の二つが収められてゐる。
圧倒的に前者がよかった。後者はちょっとむづかしかったな。
「若き詩人への手紙」はリルケ(1875~1926)が詩をこころざす青年フランツ・クサーファ・カプスに1902~1908年にかけて送った手紙。
全部で10通あり、文庫の13~68ページまでで、とても短い。
短いけれど、とても濃厚。
これはたしかに座右に置きたくなる。
詩に関心がなくても、カプスが序文に言うように「今日また明日の、成長途上にある多くの人々にとって重要なもの」が書かれてゐるように思う。
自分は成長途上にある、なんて恥づかしがって大っぴらに言わないけれど、みんなほんとはそうなんだ。みんな成長途上だ。
だから、あらゆる人におすすめしたい一冊だ。
詩人は、孤独を愛すること、自らの内へはいり、生命の湧き出る深い底をさぐることの大切さを、くりかえし、くりかえし、説く。
しかしそういう時、孤独が大きなものであることに気づかれたならば、それをお喜び下さい。なぜなら(そうあなたは自問なさって下さい)偉大さを持たない孤独とは何ものであろうか、と。孤独はただ一つきりあるきりで、それは偉大で、容易に得られないものです。そしてほとんどすべての人にとって、 その孤独をできるものならなんらかのどんなに月並みな安価な付合いとでもいいから交換したい、行きあたりばったりの、どんなにくだらない人とでもいい、どんなに無価値な見せかけだけの一致でもいいから、それと交換したいと望むような時期がくるものです・・・・しかしそれこそおそらく孤独が成長する時なのです。なぜなら、その成長は少年の成長のように苦痛を伴い、春の初めのようにものがなしいものです。しかしそれであなたがまどわされてはなりません。必要なことはしかしこれだけです、孤独、偉大な内面的孤独。自己自身の中へはいり、何時間も誰にも会わないこと、----これは誰にも成し遂げ得るはずのものです。 38頁
(・・・)堪え忍ぶだけの忍耐と、信ずるための十分な単純さとを、自分自身の内部に見いだして下さるようにという希望です。また、困難なものや、他人とのあいだで感じられるあなたの孤独に対して、ますます信頼を深めていただきたいという希望です。それはともかくとして、人生をしてなすがままになさしめて下さい。どうか私の言うことを信じて下さい、人生は正しいのです、どんな場合にも。 64頁
ぼくが一番感激したのは1904年の手紙、文庫の53~63ページ。
かなりすごいことが書かれてゐるような気がする。
ここでリルケは、一般に考えられてゐるのとちがって、「運命は人間の内部から出てくる」のであり、「未来はじっとして動かない」のだ、と述べる。
「きたるべきものの運動について」の認識を改めよ、と言うのだ。
リルケによれば、人が悲しんでいるとき、悲しみとともに新しい未知の何かがその人の内部にはいりこむ。悲しみがとおりすぎたあとにも、その新しい何かは、心の中、心臓の一番奥の部屋、そして血の中にはいりこむ。
そのとき、私たちはそれが何かを知らないのだが、ほんとうはそのときに、自身の内部に変化がおこってゐる。この気づかない、内部の変化が「未来」である。
だから悲しい時には、孤独でいること、注意深くあることが、非常に大切なのです。つまり私たちの未来が私たちに中へはいってくる瞬間は、一見何も起っていないかのようであり、じっと麻痺したような瞬間であるにもかかわらず、そういう瞬間こそ外部からくるように思われる未来が、実際に生起するあの騒々しい偶然的な瞬間よりは、実に遥かに生に近いものだからです。私たちが悲しみを持つ者として、静かに、辛抱強く、あけ放しであればあるほど、その新しいものは一層深く、一層迷うこと少なく、私たちの内部へはいってきます、一層よく私たちはそれを自分のものにすることができ、一層多くそれが私たちの運命になります。そして後日、いつかそれが起る時(という意味は、それが私たちの内部から他の人々へと出て行く時)、私たちは自分自身がそれと最も深い内部で親しく近い間柄であることを感じるでしょう。そしてそのことこそ必要なのです。---そしてその方向へ私たちの発達も次第々々に進んで行くのですが---私たちの遭遇するものが何一つ未知のものでなく、久しい以前から私たちのものであったものばかりである、というようになる必要があります。 55-56頁
私たちの時間意識は、未来というものが向こうからやってきて、それに自分がぶつかって、何かが起こるのだ、自分が変化するのだ、そういうふうに考えてしまうけれど、そうではないのだと。
新しいものは、それと知らずに、すでに自分の中に、血のなかにあるのである。しかし多くの人は孤独から逃げてしまうため、その新しいものを吸収することができず、また自分自身に変化させることができないために、それが顕現してきたときに、未知のものだといって慌てふためくことになる。
私たちは運動の概念、すなわち時間意識そのものを変えなくてはならないのだ。
(・・・)長いあいだ太陽の運動について思い違いをしてきたように、人々は今なお、きたるべきものの運動について思い違いをしています。未来はじっとして動かないのです、カプス君。しかし私たちこそ無限の空間を動いているのです。 56頁
「無限の空間」とは私たちの内部だ。私たちのこころの奥底に、「未来」も「運命」もすでにあるというのだ。真に孤独と向き合うならば、「私たちの遭遇するものが何一つ未知のものでなく、久しい以前から私たちのものであったものばかり」になる。
孤独とは、めまいのするようなおそろしい体験だ。そこには耐えられないような異常な空想や奇異な感覚に満ちてゐる。
だから、孤独という困難に立ち向かうための「勇気」こそが最も重要だ。
(・・・)私たちは、私たちの存在をその及ぶ限りの広さにおいて受取らねばなりません。すべてのことが、前代未聞のことさえ、その中にはあり得ることなのです。それこそ本当のところ、私たちに要求される唯一の勇気です。私たちに出あうかも知れぬ、最も奇妙なもの、奇異なもの、解き明かすことのできないものに対して勇気を持つこと。人間がこれまで、こういう意味において臆病であったことが、生に対して数限りない禍をもたらしたのです。 57-58頁