手探り、手作り🐘

物には時節、待てば海路の日和あり🚢

誤解を与えたとすれば謝罪した上で、発言を撤回いたしますが、真意についてコメントすることは差し控えさせていただきたいと、このように思うわけでございまして・・・

台風19号の被害について自民党二階俊博幹事長が「まづまづに収まった」と述べて、そんなわけないだろうということで問題になったので、それを撤回した。

「被災者に誤解を与えたとすれば表現が不適切であった。今後、災害の復旧に全力を尽くしたい」

とのことだ。

この発言について国会で問われた安倍首相は、

「中身の詳細は承知していない。コメントは控える」

と言った。

こういう卑怯な言い逃れ、木で鼻を括ったような応答があんまり多すぎる。

まづ、「誤解を与えたとすれば、お詫びする」と述べ、撤回するパターンについて。

こういうもの言いはやめてもらいたい。意味がわからない。誤解を与えたのではなく、単に思慮が浅く粗雑で乱暴な「本音」を吐いただけぢゃないか。その「本音」が非常識だから問題なのである。「誤解」などというのはウソであり、卑劣な言い回しだ。

また、ほんとうに「誤解を与えた」のだとして、だったら真意が何であったのか、どのような表現をすべきであったのかを説明しなくては筋が通らないだろう。

それに、誤解を与えるような言い方しかできないなら政治家なんかやめてくれ。覆水盆に返らずという。発言は本質的には撤回などできっこないということを肝に銘じておいてもらいたい。

次に「控える」という言い回し。

コメントは差し控えたいと思います。

個別の質問に答えることは控えさせていただきます。

仮定の質問に回答することは差し控えさせていただきたいと思います。

いづれも冗長で気持ちわるい。没論理で意味不明だ。意味をぼやかすために日本語の膠着的な語法をつかってゐるだけで、実際に意味するところは「発言は拒否する」ということだ。

だったら、「お答えいたしません」と言えよ。その上で、なぜ答えないのかを論理的に明瞭な日本語で説明してくださいよ。それができないなら政治家なんかやめてくれ。そして、曖昧に何かを言ったふうに見せかけてるだけの上記のような語法を、ジャーナリズムは許さないでほしい。

人間は言葉で世界を把握し、言葉でものを考える。言葉と現実との結びつきを壊す語法が蔓延してしまうと、ぼくたちは現実を正しく把握することができなくなり、他者と意志疎通することができなくなってしまう。それが着々と進行してゐるように思える。

必也正名乎。

必ずや名を正さん乎。

ああ、虚しい。