手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

中島敦の描いた孔子

中島敦の「弟子」の一節をときどき思い出す。

孔子子路を描いた小説だ。

その箇所だけを読み返したら、やっぱり素晴らしくて感激した。

こんなの。

 このような人間を、子路は見たことがない。力千鈞の鼎を挙げる勇者を彼は見たことがある。明千里の外を察する智者の話も聞いたことがある。しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀さが全然目立たないほど、過不及無く均衡のとれた豊かさは、思路にとって正しく初めて見る所のものであった。闊達自在、いささかの道学者臭も無いのに子路は驚く。この人は苦労人だなとすぐに子路は感じた。可笑しいことに、子路の誇る武芸や膂力においてさえ孔子のほうが上なのである。ただそれを平生用いないだけのことだ。侠者子路はまずこの点で度胆を抜かれた。放蕩無頼の生活にも経験があるのではないかと思われる位、あらゆる人間への鋭い心理的洞察がある。そういう一面から、また一方、極めて高く汚れないその理想主義に至るまでの幅の広さを考えると、子路はウーンと心の底から呻らずにはいられない。とにかく、この人はどこへ持って行っても大丈夫な人だ。潔癖な倫理的な見方からしても大丈夫だし、最も世俗的な意味から云っても大丈夫だ。子路が今までに会った人間の偉さは、どれも皆その利用価値の中に在った。これこれの役に立つから偉いというに過ぎない。孔子の場合は全然違う。ただそこに孔子という人間が存在するだけで充分なのだ。少なくとも子路には、そう思えた。彼はすっかり心酔してしまった。門に入っていまだ一月ならずして、もはや、この精神的支柱から離れ得ない自分を感じていた。

「歴史的仮名づかひ」だとこうである。

 このやうな人間を、子路は見たことがない。力千鈞の鼎を挙げる勇者を彼は見たことがある。明千里の外を察する智者の話も聞いたことがある。しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀さが全然目立たないほど、過不及無く均衡のとれた豊かさは、思路にとつて正しく初めて見る所のものであつた。闊達自在、いささかの道学者臭も無いのに子路は驚く。この人は苦労人だなとすぐに子路は感じた。可笑しいことに、子路の誇る武芸や膂力においてさへ孔子のほうが上なのである。ただそれを平生用ゐないだけのことだ。侠者子路はまづこの点で度胆を抜かれた。放蕩無頼の生活にも経験があるのではないかと思はれる位、あらゆる人間への鋭い心理的洞察がある。さういふ一面から、また一方、極めて高く汚れないその理想主義に至るまでの幅の広さを考えると、子路はウーンと心の底から呻らずにはゐられない。とにかく、この人はどこへ持つて行つても大丈夫な人だ。潔癖な倫理的な見方からしても大丈夫だし、最も世俗的な意味から云つても大丈夫だ。子路が今までに会つた人間の偉さは、どれも皆その利用価値の中に在つた。これこれの役に立つから偉いといふに過ぎない。孔子の場合は全然違ふ。ただそこに孔子といふ人間が存在するといふだけで充分なのだ。少なくとも子路には、さう思へた。彼はすつかり心酔してしまつた。門に入つていまだ一月ならずして、もはや、この精神的支柱から離れ得ない自分を感じてゐた。

たしかに、論語は今でも世界中で読まれる人間学と知恵の宝庫であるが、孔子は「何かを為した」人ではなかった。直接的に役に立つ人ではなかった。

「ただそこに孔子といふ人間が存在するといふだけで充分」ということで歴史的偉人とされてゐる。

きっと、偉大な人格ランキングみたいなものがあったら一位になるだろう。

「知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さ」

「一つ一つの能力の優秀さが全然目立たないほど、過不及無く均衡のとれた豊かさ」

中国がこういう人間を産み、二千年以上にわたって人格修養の模範としてありがたがってきたということは、きわめて重要なことのように思える。

ぼくは10年ばかり前、一年と少しのあいだ、中国に住んだことがある。

その程度の留学であるから、たいして理解を深めたわけではない。

しかし、中国人の中で生活しなければ感じられないことが、確かにあったと思う。

それは、彼等が実に伸び伸びと生きてゐるということだ。

そのことを、強く感じた。

とても素直に、懸命に、自己のあらゆる面を発達させるべく、実に伸び伸びと生きてゐた。もちろん、そうでない人もゐたが、そうしようとはしてゐた。

ぼくはそういう自然な生き様に対して感銘を受けた。

自他を抑圧することで「和」を作ってゐる日本社会ではまったく感じられないものだったから。

ぼくは、中国人のそうした伸び伸びとした姿がすてきだと思う。