手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「マホメット」井筒俊彦

マホメット」1989 講談社学術文庫(原著は1952年)

 

丸谷才一がどこかで「偉い学者の書いた薄い本を読め」みたいなことを言ってゐた。

本を読むからには再読三読に値するような名著を読むべきだし、そのためには薄いほうがよい。偉い学者の書いた薄い本には、学問の粋が詰まってをり、また文章も見事であるからだ。というようなことだったと思う。

井筒俊彦の「マホメット」はこの丸谷訓に見事にあてはまる名著中の名著だ。

「偉い学者」と言って、井筒俊彦くらい偉い学者もそうゐないだろうし、薄さのほうも相当なものだ。

何よりもぼくが惹かれるのは、その情熱と知性と志がほとばしりまくりの文体。

これこそ文学だと言いたい気がする。ぼくは小説も学術書もこだわらず読むが、結局のところ、「良い文章」が好きなのだ。だから本を読む。

井筒俊彦の博覧強記は同じ人間とは思えないほどもの凄い。文学的想像力もまた頭抜けてゐる。

序に「マホメットはかつて私の青春の血汐を妖しく湧き立たせた異常な人物だ。」とある。

続けて言う。

歴史的な学問研究はあくまで客観的精神に終始しなければならぬ。しかし冷たい客観的な態度でマホメットを取扱うことは私には到底できそうもない。自分の心臓が直接に通わぬようなマホメット像は私には描けない。だからいっそ思いきって、胸中に群がり寄せて来る乱れ紛れた形象の誘いに身を委せてみよう。文化と文明を誇る大都会の塵埃と穢悪に満ちた巷に在ることを忘れて、幻の導くままに数千里の回路の彼方、荒寥たるアラビアの砂漠に遙かな思いを馳せてみよう、底深き天空には炎々と燃えさかる灼熱の太陽、地上には焼けただれた岩石、そして見はるかす砂また砂の広曠たる平野。こんな不気味な、異様な世界に、預言者マホメットは生まれたのだった。

ぼくはこの小著を読んでゐるあいだ、完全に「荒寥たるアラビアの砂漠」に拉致されてゐた。

マホメット出現以前のアラブ人達の勇壮たる姿を見た。

血腥い倫理を知った。

そしてそこに忍び寄る実存的危機を感じた。

「大都会の塵埃と穢悪に満ちた巷に在る」ことをすっかり忘れてゐられた幸せな時間だった。

神に感謝する。

ちなみに、冒頭に記した丸谷の読書訓には続きがあって「一番だめなのは偉くない学者の書いた厚い本」だと。

こちらも納得。