「増補版 日朝関係の克服ー最後の冷戦地帯と六者協議」2007 集英社新書
12年前の本だから、最新の情勢について知ることはできないけれど、日朝関係や戦後体制について基底となる知見について多く語られてゐるので、今読んでもやはり有用。
例えば、次の記述などは、日本と朝鮮両国との関係を考える上で、最も本質的でかつ重要な視座だと思う。
このように、東北アジアの各国を無残に引き裂いてきた冷戦下の秩序は、日本にとっては、「一国内平和と繁栄」をもたらしてくれた、幸運な国際環境であった。
したがって、日本が、冷戦終結後、新しい秩序形成を求めて試行錯誤することに戸惑いを感じているのも不思議ではない。「現状維持」からの利益が骨の髄まで染み込んでいれば、それを変える力学的な変化に対しては、どうしても「反動」が働いてしまうからだ。
日本国内で相も変わらず、自民党中心の「五五年体制」の修正版が継続していることと、米国を後ろ盾とするような冷戦構造の温存に対外的な利益を見いだしていることとは、並行関係をなしているのである。
脱冷戦後の変化をできるだけ押しとどめ、また、その流れを現状打破の方向から逸らしていくためにはどうしたらいいのか。この現状維持のリアリズムこそ、戦後日本の外交のアルファ(出発点)であり、オメガ(終結点)であったと言ってもいい。
ここに書かれたような「現状維持のリアリズム」は、2009年の民主党政権の失敗と2011年の東日本大震災により強化され、第二次安倍政権を誕生させた。
病は膏肓に入り、「現状維持のリアリズム」が新しい国体のような威力をもちはじめ、現政権は、冷戦構造を打破すべくなされるあらゆる動きに対して、猛烈な敵意と憎悪を向けてゐる。
今の日本は、「現状を維持できてゐる」という妄想を守るために、国を壊し、人心を荒らすという倒錯的な状態になってゐる。
まことに悲惨である。
著者は終章において、「冷戦以後の東北アジアにおける多国間安全保障体制」という理想を述べる。
1、朝鮮半島の非核化。
2、米朝、日朝の国交正常化。
3、朝鮮半島の平和体制構築。
4、南北共存と統一。
5、東北アジアの安全保障。
以上の五点が、われわれの考えなくてはいけない論点である。
これらが目指すべき方向性であるということについては、2019年も2007年も変わらないだろう。
現代の最大の問題は、「こうであるべきだ」「このようでありたい」「こうしたい」という理想やビジョンについてはまるで語られず、現実を「冷静に」見て、「あいつらこうだから、こっちもこうするしかないぢゃん」みたいな幼児的な言い切りが力を持ってしまってゐることである。
理想なき現実主義が、理想と共にある現実主義を嗤う。
結果、どんどん悪くなってるぢゃないか。
当然のことだ。
現実というのは、理想という支柱によってささえられてゐなければ、容易に崩れてしまうものだからだ。
したがって、理想なき現実主義というのは、まったく現実的ではないわけだ。
ぼくは著者の最後のことばに、完全に同意するものである。
現実を批判するのは現実ではなく、理想だけが現実を批判しうるのである。
ここの述べた構想が、単なる画餅に終わることがないことは、現実の歩みが示しているとおりである。個人的な決断を言えば、ナショナリズムの実在よりは、東北アジアの虚妄に賭けたい。今後、魯鈍に鞭打ってわたしは虚妄の側に立ちつくしたいと思う。それこそが最も理想的で、しかも現実的だからだ。