手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「日米安保解消への道」取留重人

日米安保解消への道」1996 岩波新書

 

最近ぼくは真剣に、日米安保の解消を目指す、あるいは、それを真剣に考慮にいれて、日米同盟を根幹から問い直さなくてはならないと思ってゐる。

安倍政権が登場するまでは、ぼくもふつうに「日米同盟が基軸というのは仕方ないよね。」くらいに思ってゐた。

しかし、第二次安倍政権の異常なまでの「属国ぶり」を目にし、日米安保に依存してゐる状態そのものが日本人をどんどん幼児化させ、結果的に国を没落させてゐるのではないかと考えるようになった。

ぼくは安倍政権の米国へのへつらいを見てゐると「我をばゆめな棄てたまひそ」という「舞姫」におけるエリスの台詞を思い出してしまう。

つまらない連想だ。

すまない。

しかし、そんな感じではないか。

日本人の米国に対する心というのは「我をばゆめな棄てたまひそ」でしかないぢゃないか。

先日の日米首脳会談で、中国が買わないことになったトウモロコシを日本が買うことにに決まったらしい。

ニュースによれば、その額は数百億円らしく、それを民間に買い取ってもらうために政府は補助金をだすという。トランプ大統領のことばが、いつもながら、ふるってゐる。

 「US has excess corn because China has failed to follow through on agreements so Abe is going to be buying all that corn. 」

この「so Abe~」というのが、なんというか、笑ってしまう。

「so Abe~」というのはどういう理屈なんだ。

理屈ぢゃないんだ。

理屈を超えた関係、問答無用の従属関係が、日米同盟というやつだ。

「so Abe~」によって、オスプレイを買い、イージスアショアを買い、F35を買うのだ。

それで一体、何億円だ?何兆円だ?

その金を教育や社会保障や善隣外交にあてることが「国益」ではないだろうか。

安倍政権によれば、それは違うのである。

彼等にとって「日本を守る」ことは「日米同盟を守る」ことであって、それは米国に朝貢することで果たされるのだ。

東アジア共同体を掲げ対米自立を目指した鳩山政権が挫折したことの反動から、安倍政権は対米従属を徹底させ、その依存心からどんどん幼児化し、アジア諸国との関係をメチャメチャにしてしまった。

対米従属以外にいかなる方向性も構想できない。

「日米同盟VS~」という冷戦構造でしか世界をとらえることができない。

「日米同盟が国を亡ぼす」というレベルにまで、今の日本は来てゐるのではないか?

日本が今、韓国に対して猛烈にヘイトを向けてゐるのは、おそらく、韓国が本気で冷戦を終らせようとしてゐるからだ。

「我をばゆめな棄てたまひそ」と「so Abe~」という没論理で非対称な関係を成立せしめる構造が冷戦構造でありサンフランシスコ体制だ。

日本は本当ならば、韓国と共同でこの冷戦構造の解体と新秩序の形成に取り組まなければならないはずだが、残念ながら、そのような気配はまったくない。

隷属体制がいかに強固なものか、奴隷根性がどれだけ染みついてゐるのか、安倍政権下の日本はそれを醜悪なまでの幼児性というかたちで満天下に知らしめてゐる。

日米安保は「冷戦に対処するために結ばれた軍事同盟」だ。

朝鮮戦争終結と南北統一が見えてきた今、日米安保の見直しを考えるのは、当然のことだろう。

取留重人の「日米安保解消への道」は、ソ連が崩壊して一応のところ冷戦が終わり日米安保の意義が問われた、その模索期に書かれたものだ。

取留重人は1912年生まれ、1947年の「第一回経済白書」を執筆した人物だ。

大日本帝国の滅亡を見て、戦後復興を経験し、ソ連の崩壊に立ちあった取留が1996年にどのような提案をしたか。

取留は「日米安保でなければ」即「独自防衛力の増強」という、われわれが囚われがちな二者択一のかたちを退け、「積極的な内容をもった別個の対応策でもって国際関係にも新機軸をひらくという発想」を提出する。

それは「良心的兵役拒否国家」とでもいうものであり、すなわち、日本は非軍事に徹して、国際協力にあたっては、軍事以外の分野で、各国に積極的に取り組む、というのだ。

世界の軍縮推進の先頭に立ち、日本を世界の”医療センター”とする意気込みで疾病とのたたかいに励み、自然景勝利用の施設整備に力を入れ、文化的・審美的活動の面での国際交流をさかんにし、国連大学への日本の負担を飛躍的に増大させてその充実をはかり、第三世界と結んでこの地球上から貧困を払拭させることに精出す日本であるならば、それこそこの国には、守るに値する価値を国民が共有しているという意識が根付くようになると同時に、他国からみれば、日本を軍事的に侵略することが、いかに無意味かつ非人道的であるかを感得せざるをえないにちがいない。そこには、若い人たちにとっても魂をふるいたたせて取り組みうるような建設的な仕事がいっぱいあり、国を愛する気概はおのずから湧くと思う。 

                            132頁

鍵となるのは沖縄だ。

取留は米軍基地の全面返還を求め、沖縄を「世界を結ぶ平和の交流拠点となる国際都市」とするために、国連本部を沖縄に誘致するべきだという。そして米国の友人のことばを紹介する。

「国連本部を日本に置くことは、日本の安全に対するどのような脅威にたいしても最も効果的な抑止措置となりうる。グローバルな集団的安全保障を促進する一方で自国の安全保障上のジレンマを解決できるというのは、あまり多くの国が享受できる選択肢ではない。」

ぼくは賛成だ。

今の日本がどんどん没落してゐるのは、結局のところ、日本という国が「守るに値する価値」を何にも体現してゐないからではないだろうか。

理想もビジョンも価値も、何もない、ただ病理だけがこの国を動かしてゐる。

取留が1996年に行った提案も、鳩山政権が2009年に掲げた構想も、今の世相では嘲笑の対象だろう。

それらは「脳ミソお花畑」の「クソリベ左翼」の「机上の空論」ということになる。

世界全部がそんな感じだ。

しかし、そういう時代が永遠に続くわけがない。

人々が理想の力を信じる時代がくるし、そうなるように努力を続けなければならないとぼくは思う。

苦しい時代がつづきそうだが、めげずに、未来のために、踏ん張るほかあるまい。

最後に、沖縄が本土復帰を果たした1972年5月15日に日本政府が発表した声明を引用しておく。

沖縄を平和の島とし、我が国とアジア大陸、東南アジア、さらに広く太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命をささげられた多くの方々の霊を慰める道であり、われわれ国民の誓いでなければならないと信じる。