手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「ルバイヤート」オマル・ハイヤーム

ルバイヤートオマル・ハイヤーム 小川亮作訳 岩波書店

 

オマル・ハイヤームは11世紀ペルシアの詩人。

11世紀だからペルシアはとうにイスラーム化してゐるのだが、この詩人は酒のことばかり歌ってゐる。

たとえばこんな具合に。

魂よ、謎解くことはお前には出来ない。 
さかしい知者の立場になることは出来ない。 
せめては酒と盃でこの世に楽土をひらこう。 
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。 

今日こそわが青春はめぐって来た! 
酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。 
たとえ苦くても、君、とがめるな。 
苦いのが道理、それが自分の命だ。 

16

いつまで一生をうぬぼれておれよう、 
有る無しの議論になどふけっておれよう? 
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は 
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう! 

143 

ぼくは酒をあまり飲まないから、酔って憂さをはらすという感覚がわからない。

だからこうした刹那主義にはピンとこないのだけれど、全編をつらぬく無常観(なげやりと言ってもよいだろう)には共感する。

悲観的な人生観に、どこかおかしみ、かわいげがある。

チャーミングだ。

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、 
生きてなやみのほか得るところ何があったか? 
今は、何のために来り住みそして去るのやら 
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ! 

創世の神秘は君もわれも知らない。 
その謎は君やわれには解けない。 
何を言い合おうと幕の外のこと、 
その幕がおりたらわれらは形もない。 

よい人と一生安らかにいたとて、 
一生この世の栄耀をつくしたとて、 
所詮は旅する身の上だもの、 
すべては一場の夢さ、一生に何を見たとて。

20

われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ! 
われらは影も形もなく消えるよ、ああ! 
来なかったとてなんの不足があろう? 
行くからとてなんの変りもないよ、ああ! 

51

時の中で何を見ようと、何を聞こうと、 
また何を言おうと、みんな無駄なこと。 
野に出でて地平のきわみを駈けめぐろうと、 
家にいて想いにふけろうと無駄なこと。 

102

イスラーム的な世界観があらわれてゐる詩句もある。

世界のことも人間のことも自分のことも、みんな主が決めて天の紙に書かれたとおりにすすんでゆくのだから、もう、いろいろ、知らんがな、と歌う。

あることはみんな天(そら)の書に記されて、 
人の所業(しわざ)を書き入れる筆もくたびれて、 
さだめは太初(はじめ)からすっかりさだまっているのに、 
何になるかよ、悲しんだとてつとめたとて! 

26

土を型に入れてつくられた身なのだ、 
あらましの罪けがれは土から来たのだ。 
これ以上よくなれとて出来ない相談だ、 
自分をこんな風につくった主が悪いのだ。 

30

宇宙の真理は不可知なのに、なあ、 
そんなに心を労してなんの甲斐があるか? 
身を天命にまかして心の悩みは捨てよ、 
ふりかかった筆のはこびはどうせ避けられないや。 

32

善悪は人に生まれついた天性、 
苦楽は各自あたえられた天命。 
しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、 
かれもまたわれらとあわれは同じ。 

34

戸惑うわれらをのせてはめぐる宇宙は、 
たとえてみれば幻の走馬燈だ。 
日の燈火を中にしてめぐるは空の輪台、 
われらはその上を走りすぎる影絵だ。 

105

ぼくは、このなげやりな感じが好きだ。主におまかせ。

「これ以上よくなれとて出来ない相談だ、 
自分をこんな風につくった主が悪いのだ。」

「身を天命にまかして心の悩みは捨てよ、 
ふりかかった筆のはこびはどうせ避けられないや。 」

こういった詩句に、イスラーム的世界観の癒しを感じる。

実際のところ、世の中も自分も他人も、どうにもならんことばかりなのだ。