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「一神教と戦争」橋爪大三郎 中田考

一神教と戦争」2018 集英社新書

橋爪  世界を見渡してみると、核保有国の大半は一神教の国です。そうでない国はインドと中国だけです。世界がどうすれば破滅しないで済むか。「最後の審判」の日を迎えないで済むか。そのカギは、核、戦争、一神教、これらを組み合わせてそのメカニズムを考えることにある、と私は思っています。そのメカニズムについて中田先生と議論してきたわけですが、読者の皆さんには、その先をぜひ、真剣に考えていただきたいと思います。                       

                             239頁

社会学者・橋爪大三郎氏とイスラーム学者・中田考氏の対談。

たいへん濃い内容である。

ちょっと難しかった。

今、付箋の貼った箇所を読み返してゐるのだが、悔しいかな、いささか消化不良の感がある。

くそお。

と、沈んでゐても仕方がないので、以下、知識の定着のためにメモしていこう。

キリスト教には聖書などの書物となって読まれる「神の啓示」とは別に、「理性を通じて得られる啓示」がある。理性に基づき数学や自然科学のなかで知識が深まっていき、創造主の設計図を読み解くことができる。このふたつの啓示は必ずしも一致しない。また、神は何から何まで啓示するわけではないから、二つの啓示の間には隙間がある。この隙間を埋めるためには自分で考える必要がある。神から与えられた理性を使って、隙間を埋める。 橋爪

 

イスラームでは理性の前提にイスラーム法がある。物事の本当の善悪・理非は神にしかわからないから、神の判断におまかせということになる。それが前提で、理性はそのあとの操作に使うもの。クルアーンにあるいろいろな前提は無条件に認め、それをどうイスラーム共同体に提供するかに関して、理性をもちいる。イスラーム法学者がそれを担う。 橋爪

 

パウロの「ローマ人への手紙」、一三章一節に「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである」と書いてある。つまり、上に立つ権威=国王は神によって立てられたものだから従いなさいということ。このルールが前提としてあるために、教会とはべつに、ネーションらしき統治の共同体ができやすく、権威が宗教の前で正当化されることになる。 橋爪

 

イスラームには国民国家ができにく体質があり、その理由に二つある。地理的なものと、教義的なものと。地理的なものとしては、中東は長い歴史を有する多民族、多宗教が複雑に混在する世界であるため、ひとつの文化と歴史を共有する国民をつくりにくい。教義的なものとしては、教会と国家というふうに宗教と政治が分離可能なキリスト教圏と異なり、政治的な単位と宗教的な単位が一致してゐる。ウンマを治めるカリフが信仰の共同体の長であると同時に、政治の共同体の長でもある。 中田

 

・教会と何か、法人である。神は法人をつくった、とは聖書に書いてゐない。しかし、教会が自然人の集合体である以上、教会は、すなわち法人は、存在する。こう考えざるを得ない。教会は、人々が「イエスの約束に従います」と誓約して、洗礼を受ける、その契約によって成り立つ。契約によって法人が実在するという考えかたの延長に社会契約説がでてくる。国家が実在するという確信は、法人が実在するという確信の延長にある。国家は国民から負託された権力を代行し、戦争もするし、法律も制定する。それが主権をそなえた国民国家というもの。 橋爪

 

キリスト教世界では国家や法人が人々の集合意識をこの人間が代表してゐるという考えがあるが、イスラームにはそれがない。「代表」はないが「代理(ワカーラ)」という概念がある。代理人は委託されたことを行う法的権限を有し、委嘱したものが認めたこと以外はできない。その根拠はイスラーム法が委嘱契約による代行の権限を認めてゐるということにある。代理人が委嘱者の意志を「代表」してゐるというフィクションによるのではない。これが政治ではもっとはっきりする。イスラーム法において政治とは「代理」と「後見(ウィラーヤ)」の組み合わせである。イスラームにおける君主は、ムスリム共同体によって選ばれた代理人の側面と、庇護者としてムスリムを統治する後見人の側面の両面をもつ。君主はムスリムを「代表」してゐるのではない。 中田

 

・日本の知識界はかつてマルクス主義という形のコスモポリタリズムに寄って行った時期があったが、その方向には未来はないと観じて見放した。それからフランス現代哲学のポルトモダンや、アメリカのプラグマティズムに歩みよったが、思想と呼べるほどのものにはならなかった。すっかりふり回された知識界には、日本人の感性や思想はどこに行ってしまったのだろう、というルサンチマンしか残らなかった。それが変容してアベノミクスみたいなものになり、本音は反米なのにアメリカに従属して生きてゐる。それは日本人の知的な構築力がひ弱だからだ。こんな状態で、イスラームや国際社会について、冷静に見ることはできない。 橋爪